”新しすぎた朝ドラ”『芋たこなんきん』がいま再評価されている訳 | FRIDAYデジタル

”新しすぎた朝ドラ”『芋たこなんきん』がいま再評価されている訳

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朝ドラ低迷期…『芋たこなんきん』が新しすぎた理由

NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』が賛否両論となる一方、今、再評価されているのが、現在BSプレミアムで再放送中の『芋たこなんきん』だ。

これは、田辺聖子の半生と数々のエッセイ集をベースに描かれた作品で、朝ドラ低迷期と言われる2000年代半ばの2006年下半期に放送されたもの。当時は藤山直美が「最年長ヒロイン」ということばかりがメディアで取り上げられ、達者すぎるヒロインが「ヒロインの成長を視聴者が見守る」従来の朝ドラと異なることもあり、数字上では苦戦した。

しかし、作品の評価は朝ドラ好きの間では非常に高く、DVDが発売されず、再放送もなかったことから再放送を切望する声ももとより多数あった。

それにしても驚かされるのは、あれから15年以上経った今観ても、全く古びないどころか、非常に新しすぎることだ。

『芋たこなんきん』がクランクアップし、晴れやかな表情を見せる藤山直美(写真:共同通信)
『芋たこなんきん』がクランクアップし、晴れやかな表情を見せる藤山直美(写真:共同通信)

日常の積み重ねを大事に描く朝ドラ

『芋たこなんきん』が斬新だったのは、まず構成の巧みさだ。

異なる時間軸を行ったり来たりするのは宮藤官九郎脚本のようだが、複雑に感じさせないのは、基本的に現代のパートをベースとしつつ、過去の回想シーンを主人公・町子(藤山)と夫・健次郎(國村隼)の「おしゃべり」として差し挟んでいるため。

これは藤山直美が舞台等で多忙すぎたための苦肉の策という面もあったようだが、ちょうど良い尺・ちょうど良いテンポで過去編が入ることで、短編やエッセイ1本の読後感に似たものを味わえる。「芋たこなんきん=女性が好きなもの」になぞらえ、健次郎が自分の好きなものとして語った「飲むこと、食べること、おしゃべりすること」、町子の「飲むこと、食べること、本を読むこと」ともつながっている。

町子と健次郎は、毎日一緒にご飯を食べ、酒を飲み、ひたすらしゃべる。近年では『ひよっこ』(2017年上半期)が、ドラマチックな出来事は起きないものの、日常を丁寧に描いた作品として高く評価されているが、実は『芋たこなんきん』がその10年以上前に登場した「日常の積み重ねを大事に描く朝ドラ」だったのだ。

朝ドラでは唐突なゲストキャラを出し、騒動を巻き起こして一件落着という、本筋と無関係な展開をはさんで尺を稼ぐパターンが多々あるが、本作の場合、唯一唐突に見えるのが、「ツチノコ」騒動である。

しかし、これは田辺聖子自身に実際に訪れたブームで、それを朝日新聞で連載、後にドラマ化したという「事実」がもとになっているのだから、驚かされる。

また、町子の結婚式のときに生きた鶏が送られ、式場が大騒動になるコントのようなドタバタぶりが描かれたが、その送り主の「さすらいの男」兄・昭一(火野正平)が後に登場すると、「ああ、この義兄ならいかにもやりそうだ」と腑に落ちて、クスリとしてしまう。

脇に至るまで一人ひとりの人物がブレなく描かれ、日常生活が丁寧に積み重ねられているため、ナレーションによる説明の必要がなく、わずかなシーン、わずかなセリフに、視聴者が「この人ならこう言うだろう」「この人はこうするな」と納得・理解できてしまうのが、脚本の妙だろう。

ちなみに、『ちりとてちん』(2007年下半期)の小次郎(京本政樹)、『ひよっこ』の宗男(峯田和信)、『カムカムエヴリバディ』の算太(濱田岳)など、朝ドラには魅力的な「へんなおじさん」が登場する作品が多いが、神出鬼没で女性と酒が大好きでろくでなしで、それでも心根は優しく、ついクスリとさせられる“憎めないダメおじさん”として昭一の魅力は突出している。

新しかった「夫婦像」「家族像」

『芋たこなんきん』の新しさといえば、何と言っても「夫婦像」「家族像」だ。

嫁ぎ先は10人の大家族。「僕と結婚したら面白い小説ようさん書けるよ」というプロポーズも、結婚したら物書きとしても主婦としても中途半端になるという町子に「アホやな。中途半端と中途半端が2つって、トータルしたら、人生満タンやないか」という説明も、仕事を持つ全ての女性にとって魅力的に響くのではないか。

また、結婚後も、子どもたちに「お母ちゃん」とは呼ばせず、「町子おばちゃん」と呼ばせるのは、子どもたちにとっての母親が亡くなった「お母ちゃん」一人だから。

それでいて、健次郎がもともと進歩的な考え方の持ち主だったわけではなく、「女のくせに」と言っては町子を激怒させ、和やかに飲んでいる最中にも「小説って……おなごがそんなもんうまなってもしょうがない(笑)」「女の役割忘れて、なんか」と言ったことで、「進化できないんやったら恐竜と同じように滅びてしまいなさいよ!」と罵られてもいる。

それがいざ結婚すると、町子の仕事を尊重し、互いの中間地点に買ったマンションにときどき家族みんなで集まってご飯を食べるという「別居婚」からスタート。同居後には、町子に仕事部屋を用意する。

また、「子育て」観にも当初は大きなズレがあり、やんちゃな息子を叱るときにポンポン叩く健次郎を見て、町子が制止しようと突き飛ばすシーンがあったが、そうした違い・ズレを見つけるたびに、夫婦はひたすらしゃべってしゃべって、互いを理解しようとする。ゆっくりであっても、対話によって人は理解し合えるのだ。

「神回」と呼ぶべきは、第60

さらに唸らされるのは、「戦争」の描き方。第9、10週では現代編がほぼ入らず、2週間続けて少女編となる。

そこで描かれたのは、勇ましい軍国少女だった町子の「変化」だ。実家の写真館の技師に召集令状が届くと、みんなが逃げろと言う中、町子だけが「兵隊さんが逃げたら、誰が戦うんや」と口を尖らせる。英語教師(菊池麻衣子)が「(戦争は)どっちかに片付くわ」と言うと、「日本は負けたことなんてあらへんのに」と憤慨する。

そんな中、「神回」と呼ぶべきは、第60話。

序盤では町子が勤労動員先で兵隊が乗る飛行機のネジを作っていることを妹に誇らしげに語っているが、大好きないとこが戦争で亡くなり、戦争の意味を知る。さらに、父の写真教室に通っていた幼馴染の寛司(森田直之)が学徒勤労動員で写真教室に来られなくなると告げに来ると、妊娠中の母(鈴木杏樹)が産気づき、寛司が急遽産婆さんを呼びに行かされる展開に。

そこで、やってきたのはヨロヨロしたおばあさんで、その様子を町子は不安がるが、父は「15年前からあんなんや」。そして、ソワソワしながら父と町子が待つ中、「子どもがな! 生まれてん!」と妹が駆け込んでくるが、実はそれは裏の犬の話で、こうした騒動を少し笑って見ていた寛司は「弟かな。妹かな」「お母さんは女の子のほうがええと思ってはるんちゃうかな。兵隊に行かんかてええ」と言い、町子の父と母によろしく伝えてくれるよう言い残して、黙って去るのだ。出産でバタバタの一家に気を遣わせないよう、「バンザーイ」の声だけ外で聞き、安堵した様子で「おめでとうさん」と呟き、深々と頭を下げて――。

ちなみに、この寛司はおそらくドラマオリジナルのキャラだが、戦争が終わったらまた来てと町子に言われた際、寛司は「どっちかに片付いたらな」と言う。これはかつての英語の先生と同じ言葉だったが、以前は憤慨した町子が今度は穏やかにうなずく、その対比によって、「町子の変化」を描く意味も担っていた。これだけの涙あり笑いあり、悲喜こもごもの濃い内容が、駆け足な印象もなく、たった15分で描かれるのだ。

これも藤山直美のスケジュールの都合だったと言われているが、ほぼノンストップでじっくりと戦争を、そして町子の変化と少女時代の終わりを描いた意義は大きい。偶然が生んだ第60話という「神回」だけでも、本作を観たことのない人にはぜひ触れてほしいものだ。

  • 田幸和歌子

    1973年生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌等で俳優などのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)、『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)など。

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