ついに死刑執行…加藤智大の祖母が語った「壮絶な生育環境」
〈幼い頃のあの子は率直ないい子だったんです。でも、両親がスパルタでね。トモがニコニコしていると父親が『締まりのない顔をするな!』と怒鳴る。はたで見て『なんでそんなに怒るの?』と思うこともあった〉
事件当時、本誌の取材にそう話していたのは加藤智大死刑囚(39)の祖母。「トモ」とは加藤死刑囚のことだ。
7月26日、7名に対する殺害などの罪で収監されていた加藤死刑囚の刑が執行された。事件が発生したのは08年6月。事件後に明らかになったのは、加藤死刑囚の生育環境の壮絶さだ。
「事件当時、加藤死刑囚の家庭の異質さがクローズアップされました。親が異様にしつけに厳しく、加藤死刑囚がテレビで見られるのは『ドラえもん』と『日本昔ばなし』だけ。勉強ができないと風呂に沈められたこともあったそうです」(全国紙記者)
当時、祖母は本誌の取材にこう話していた。
〈特に母親のほうが教育熱心で、『部活なんてやらなくていいから勉強しなさい』と常にトモを叱咤していました〉
加藤死刑囚は子どもの頃から自宅に友人を呼ぶことを禁じられていた。その“干渉”は女性との関係にも及んだ。事件直後、本誌は加藤死刑囚の同級生から以下のような証言を得ている。
〈どれぐらいの交際だったかはわかりませんが、加藤にはちょっとかわいい感じのガールフレンドがいたんです。でもお母さんに交際をやめろと言われて、泣く泣く別れたそうですよ〉
地元でも有数の進学校に通っていた加藤死刑囚だったが、同級生の多くが4年制大学に進むなか、短期大学に進学。その後はアルバイトや派遣社員として職場を転々とするようになる。そうしてネットの掲示板に入り浸るようになり、社会への憎悪を募らせていった。
彼の家庭環境について、酌むべき点はある。しかし、彼の起こした犯行の大きさ、卑劣さを考えれば、そこに同情の余地はない。
「亡くなった人たちは大学生、会社員、調理師、元医師など、性別や年齢がバラバラの人たちでした。加藤死刑囚からの謝罪の手紙の受け取りを拒否した遺族もいます。一命は取りとめたものの、重傷を負った人の中にはいまだに後遺症に苦しんでいる人もいるようです」(前出・記者)
加藤死刑囚の祖母は当時、こうも語っていた。
〈あれだけの大それたことをしてしまった以上、自分の命で償うしかない……〉
14年後、まさにそうした形となった。しかし、被害者、そして遺族の心と身体の傷が癒える日がくるかはわからない。
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