水道橋博士の「参院選奮闘記」勝利を確信した”大坂夏の陣” | FRIDAYデジタル

水道橋博士の「参院選奮闘記」勝利を確信した”大坂夏の陣”

実録 北は仙台から南は福岡まで地方遊説密着30日 気鋭のノンフィクション作家が描き出す

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「話があるんだけど」

水道橋博士(59)からLINEが届いたのは6月5日のことだ。自宅を訪ねると「選対に入ってほしい」と告げられた。

最終日は梅田など主要駅を回った後、大阪城公園近くで「ウルトラソウル撮影会」。「大坂夏の陣」の盛況で細田氏(右)は勝利を確信
最終日は梅田など主要駅を回った後、大阪城公園近くで「ウルトラソウル撮影会」。「大坂夏の陣」の盛況で細田氏(右)は勝利を確信

「でも、れいわ新選組の本部から選対スタッフが来ているでしょう?」

「来てない」

出馬表明したはいいが、具体的な選挙戦のプランも立てられず、手付かずの課題が山積していた。筆者は「わかりました」と即答した。

そもそも、水道橋博士と筆者はテレビ番組の出演者と構成作家の間柄だった。担当して半年はほとんど口をきかなかったが、昭和の芸能ネタなどを話すうちに、言葉を交わすようになった。それを見た番組のスタッフは、博士への頼みごとをほとんど筆者に託(ことづ)けるようになった。

事あるごとにスタッフの要求を伝えたが、その都度、論駁(ろんばく)された。いちいち筋が通っていたし、矛盾がないことに感心した。そのとき「この人は案外、政治家に向いているかも」と感じたことが今となっては懐かしい。「向いている」と思ったが、重要なことを見落としていた。

公示前に、杉並区内のちょっとしたイベントに博士が登壇した。終了後、ファンらしき男性が「ハカセーッ」と走り寄って来て、息も絶え絶えに「頑張ってください。本気で応援しています」と言った。その姿は感動的ですらあったが、博士は表情一つ変えずこう応じた。

「……ああ、ありがと」

まさかの塩対応にすっ転びそうになった。「あんた、いつから自民党副総裁になったんだ」と突っ込むと、けたけた笑い始めた。笑い事ではない。「ありがとう」と両手で握手し、「選挙戦よろしく!」などと言葉でもかけるべきで、三原じゅん子(57)ならそうするはずだ。いくら政治家に向いていようと、選挙に向いていなければ、何の意味もないではないか。

公示日の6月22日を迎えた。水道橋博士の出陣式の第一声は、高円寺北口駅前広場にて行った。特筆すべきは、千枝夫人が聴衆に御礼を述べたことである。

「みなさん、主人をどうか、どうか、支えてやってください……」

前夜まで躊躇(ちゅうちょ)していたというが、いざマイクを持つと堂に入っていた。腹を決めた女性には男にはない迫力がある。

’86年に西川きよし(76)が参院選に初出馬した際、「ヘレン夫人の内助の功が100万票を叩き出した」と言われたものだが、「この選挙戦の勝利の女神になるかもしれない」、そんな考えが脳裏をよぎった。

選挙戦初めての日曜日となった6月26日、我々は横浜遊説に出かけた。

まず、相鉄横浜駅前で演説を行った。最高気温35度を超える猛暑にもかかわらず、50人近い聴衆が足を止めてくれた。博士の演説も数を重ねるにつれて上達していった。「無理に上手く喋らなくていい。自分の言葉で話しましょう」というアドバイスが少しは役に立ったかもしれない。

1時間半の演説会を終えると、「桜木町に寄ってみない?」と筆者は提案した。

大激戦の神奈川選挙区は定数5。ファーストサンデーの桜木町駅前は、間違いなく他党の候補者が遊説に来ているはずだ。我々の目的は、コラボという美名のもと、他党の支持者を前にアピールすることにあった。案の定、桜木町駅前広場では自民党の浅尾慶一郎(58)の演説会が盛大に行われていた。聴衆の数はざっと500人。すぐに大量動員の理由がわかった。副総裁の麻生太郎(81)が応援弁士なのである。博士の目の色が変わった。

麻生太郎と水道橋博士には浅からぬ奇縁があった。『浅草キッド』が18年の長きにわたって担当したテレビ番組『週刊アサ(秘)ジャーナル』(TBS系)に幾度となく出演した麻生太郎は、『ゴルゴ13』を始めとする漫画好きの一面を披瀝していた。そのキャラクターを引き出したのが、誰あろう水道橋博士で、「漫画好き麻生太郎」の生みの親と言っていい。

麻生太郎は、老舗の料亭を営む千枝夫人の名古屋の実家を訪ねた折、「お宅のお婿さんのお陰で総理になれた」と、べんちゃらまで口にしていた。関係は悪くないようで、500人の聴衆を前に「水道橋博士君もひとつよろしく」と一席ぶってくれそうな気配すらある。よし、突撃だ!

聴衆を掻き分け、麻生太郎とグータッチをする列の横に並んだ。

「麻生さん、お久しぶりです。水道橋博士です。れいわから出馬しています」

「おぉ……まだ生きてるの?」

副総裁は人を喰ったように言うと、素通りしていった。博士にとっては、憤懣(ふんまん)やるかたない再会劇だったに違いない。

ただ、屈辱も無駄ではなかった。一連の様子を録画していた筆者が、すぐさまツイッターで動画を流すと、7万回も再生され、ネットニュースに取り上げられた。新人候補にとって、これほどの宣伝効果はなかったのではないか。

選挙戦も中盤以降は、れいわ新選組の本部の指示で地方遊説に出かけるようになった。水道橋博士も、東京→仙台→東京→大阪→名古屋→大阪→小倉→福岡→神戸→東京→埼玉→横浜→大阪と、プロレスの地方巡業を思わせるハードスケジュールをこなした。

選挙戦最終日の7月9日、我々は選挙カーで大阪市内をくまなく回った。反応は悪くないのだが起爆剤がほしい。

「とりあえず、大阪城でも行こっか」

かつて大阪に住んでいた筆者には「大阪城に行けば誰かに会える」という妙なジンクスがあった。それだけのことだったが、チームの一人が「大阪城ホールでこの後、B’zのコンサートがあるみたいですよ」と、スマホをいじりながら言った。

大阪城公園に隣接したビジネスパークに車を進めると、人で溢(あふ)れていた。我々は車を停めて、臨時の撮影会「ウルトラソウル撮影会」を行った。何のことはない。B’zの人気曲『ultra soul』の掛け声に合わせて、水道橋博士と写真撮影を行うだけのことである。

しかし、これが望外の盛況となった。列をなすB’zファンに、博士は手製の名刺を手渡しながら、こう語りかけた。

「平にご容赦ください。水道橋博士でございます。必死で仕事をいたします。よろしくお願いいたします」

グッときた。熱心なファンに塩対応を見せていた無愛想な男が、選挙戦最終日に心から哀願しているのだ。「勝てる」――そう確信した瞬間だった。

7月10日に投開票を迎えた第26回参議院選挙において、水道橋博士はれいわ新選組の全国比例で議席を獲得。得票数は11万7794票だった。

「とにかく露出すること」という細田氏の戦略で街頭演説会や盆ダンスに精力的に参加。仕事や著書出版で博士にお世話になったことに加え、氏の「大の選挙好きという小学生のころからの特異体質」が選対入りを後押しした
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中盤以降、博士号は全国へ。新人候補ながら、抜群の知名度を生かしてれいわ公認候補の援護射撃を任された
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7月11日未明、当確直後の「チーム水道橋博士」集合写真。素人集団だけに感動もひとしお。博士の左が千枝夫人
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ほそだ・まさし ’71年岡山市生まれ。CSキャスターをへて、放送作家に転身。ラジオやテレビ番組を担当しつつ著書を発表。近著『沢村忠に真空を飛ばせた男-昭和のプロモーター・野口修 評伝-』(新潮社)が「第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞」を受賞

「FRIDAY」2022年8月12日号より

  • 撮影・文細田昌志

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