『スケバン刑事』生みの親が死去で次々追悼…斉藤由貴、南野陽子、浅香唯のかわいすぎる「秘蔵写真集」
「私には兄のような存在で、いつも温かく見守ってくださいました。ライブにも来てくださると言っていたのに…。心より哀悼の意を表します」
東映社長の手塚治さんが亡くなったと2月14 日、同社が発表。手塚さんがプロデューサーを務めた『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』(フジテレビ系)に主演した南野陽子(55)が、所属事務所を通じてコメントを発表し、故人を偲んだ。
「手塚さんは1983年に大学卒業後、東映に入社。プロデューサー補として最初に手がけたドラマが1985年に始まった『スケバン刑事』でした。2作目の『スケバン刑事II』でプロデューサーに昇格し、3作目の『スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇』までシリーズを担当。温厚な人柄で、シリーズで人気を不動とした斉藤由貴(56)や、一躍人気者になった南野陽子、浅香唯(53)にとって恩人のような存在でした。特に南野は可愛がってもらっていましたね」(芸能事務所幹部)
昨年10月、BSフジの音楽バラエティ番組『霜降り明星のゴールデン☆’80S』に斉藤、南野、浅香が揃って登場。3人は番組内で、『スケバン刑事』への思いを明かしていた。斉藤は、
「なぜ私?って。最初はものすごく反発というか、色々言いましたし、収録最中もそういう意味ではずっと辛かったです」
と撮影が嫌だったことを明かした。南野も、
「私はアクションが本当に苦手だったので、鉄仮面よりアクションが大変。ヨーヨーとか。嫌だ嫌だと思って、がっかりしたのは覚えています。だけど、想像力がそれほどなかったから、どんな作品か頭に浮かべることができなくって。最初はすごいところに来てしまったって。やっている時はしんどかったです。気持ちも体も」
と過酷な過去を思い起こしていた。それに対し、浅香は、
「2人は正統派の、本当に、ザ・アイドルみたいな女性だったので、パート3は、全く違う人にしたいってイメージがあったらしくて」
と制作サイドから「山猿っぽい子を探している」ことを知らされ、オーディションでは「木登りできますか?」と聞かれたそうで、
「私、おてんばだったので、もちろんですって答えた」
と、二人とは違った思い出を語っていた。
その後、スター街道を一気に駆け上がった3人。浅香は手塚さんの訃報に接し、自身のインスタグラムで、このようにコメントしている。
「無名だった私を三代目スケバン刑事として起用してくださり、不安だった私を優しい笑顔で見守ってくださいましたね。『唯なら大丈夫だから』とあたたかく励ましてくださった言葉にたくさん勇気をいただき頑張れたこと、本当に懐かしくありがたい気持ちでいっぱいです」
彼女たちがスターダムにのし上がれたのも、手塚さんのプロデュース力、そして、『スケバン刑事』の魅力があったからに他ならない。
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- 写真:中村将一、神崎龍、祝迫力、宮坂雅紀(6,8枚目)中村和彦(9枚目)竹本テツ子(10枚目)