フリーアナウンサー神田愛花 旅先でひと目惚れしたお椀に後ろ髪を引かれて
【連載第7回】神田愛花 わたしとピンクと、時々NY
毎年冬になると、北海道の阿寒湖は見事に凍る。湖の上を人が歩けるのはもちろん、車も走れる。ワカサギ釣りやスノーモービル、バナナボートが体験でき、日中はまるでテーマパーク。特に2月は格別。氷点下20℃前後の中、毎晩氷上で立派な花火が打ち上げられる。
私も氷点下の中で花火が見たい! と、昨年2月に母と2人の阿寒湖旅行を計画した。だがそのタイミングで私が新型コロナウイルスに感染してしまい、断念。今年こそはと再び計画を立て、決行した。

スノーモービルをしたり、ワカサギ釣りを眺めたりした後は、お買い物タイム。2泊3日2人分の全国旅行支援の地域クーポンで何か買おうと歩き、アイヌコタンと呼ばれるアイヌの人々の生活や文化に触れられる集落まで辿り着いた。そこには二十数店の民芸品店が並び、さまざまなアイヌ文様の伝統の木彫りの品が販売されていたが、観光客が数組いるだけで閑古鳥が鳴いていた。民芸品に興味を持つタイプではないが、クーポンを使いたいのですべてのお店を見る。
すると、あるお店で素敵なお椀を見つけた。店番をしている方に伺うと、アイヌでは魔除けになるといわれている貴重な木のお椀だそうだ。
我が家で使っているお椀は結婚のお祝いに頂戴したもので、使い始めて5年になる。私たち夫婦には上品すぎて容量がちょっと少ない。頂き物なので言葉にしたことは一度もないが、大量にお味噌汁を飲む夫のために、食事中何度も席を立って注ぎ足しに行くのが面倒だなぁと、5年間思い続けてきた。
……欲しい。対で買うと5500円するが、クーポンを使うと、持ち出しゼロで手に入る。並んでいる2点の現品限りだと言われ、目を見開いて検品すると、両方とも中にたくさんのホコリが。なるほど、長い間売れていなかった品物なんだなぁ。でもカーブが手に馴染み、触り心地も滑らか。よし買おう! と決心しクーポンを出すと、
「あぁ……電子クーポンは使えないんです。以前の紙のクーポンなら大丈夫なんですけれど……」
と、店番の方が残念そうに言った。私が持っていたのは二次元バーコードを読み取って支払う、電子クーポンだった。
「ウチでも使えるように申請中なんですけど、事務局の電話が繋がらない状態で」
クーポンが使えない。でも欲しいお椀に出会ってしまった。そこで私の中の天使と悪魔が葛藤を始めた。
天「ここでしか買えないよ、買おうよ!」
悪「は? 自腹で買うってこと!? いや、それじゃ話が違うじゃん」
天「でも旅の思い出にもなるし……」
悪「何言ってるの?」
天「今私が買わなかったらまた長い間ホコリだらけのままだよ……」
悪「ダメだよそんなの! 意志が弱いよ!」
天「そんなこと言わないでよ……意志は強いよ私……わかったよ……」
というわけで悪魔が勝ち、買わないことになった。
阿寒湖の夜空に浮かぶのは……
そしてその夜、いよいよ念願の花火。打ち上げ音を身体の深い部分で直接感じたくて氷上に出た。ドーンッ! パンッ! 夏の花火とは比べものにならないくらい澄んだ音で聞こえ、周りの暗さと星の数が相まって宇宙の中で花火を見ているようだった。
120%感動するタイミングのはずだが、ふと我に返った。大輪の花火の横に、あの店番の方の顔が浮かんできたのだ。あの時の私は、お店にとって数十日ぶりのお客さんで、お椀を買っていれば数十日ぶりの売り上げだったかもしれない。お仕事を終えてご飯を食べている今頃は奥様に「数十日ぶりに売れたよ!」と笑顔で話せていたかもしれない。そんなことが脳裏をよぎり、買わないという判断は、店番の方の楽しいはずの夜を奪い去ってしまったのかもしれないと急に思い始めた。それなのに私はこうして満足そうに花火を見ている。とてつもなく悪いことをした一日に思えてきて、花火にのめり込めなかった。
素敵なお椀だった。自腹で買えばよかった。5500円の出費くらい別によかったじゃないか。本当にごめんなさい、店番の方。そして頼むから、頼むから、もう電子クーポン制度はやめてくれ!! と、阿寒湖の夜空に咲き乱れるフィニッシュの花火に向かって願ったのだった。ドーンッ! ドンドンドンッ! パンッ!!
1980年、神奈川県出身。学習院大学理学部数学科を卒業後、2003年、NHKにアナウンサーとして入局。2012年にNHKを退職し、フリーアナウンサーに。以降、バラエティ番組を中心に活躍し、現在、昼の帯番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)にメインMCとしてレギュラー出演中
『FRIDAY』2023年4月14日号より
文・イラスト:神田愛花