フリーアナウンサー・神田愛花「Forever! 私の華麗なる便乗人生」
【連載第15回】神田愛花 わたしとピンクと、時々NY
この連載コラムの記念すべき第1回が掲載された号で、コラムとともにカラーグラビアも載せていただいた。表紙から水着や下着姿の女の子たちが続く中、急に自己顕示欲が強そうな笑顔で洋服を着た私の写真が3ページも。マネージャーと見ていて、「ここだけFRIDAYじゃないみたいですね(笑)」「『オバさん邪魔だよ!』っていう声が聞こえてきそうですね(笑)」なんて話をした。だがあの写真は、私にとって″一生もの″なのだ。だって、あの! あの!! あのバービーになりきれたのだから!!!
バービーとは、ファッションドールとして知られているBarbieのこと。来年にはデビュー65周年を迎え、世界150ヵ国以上で販売されている。
初めてバービーを手にしたのは幼稚園生のときだ。バービーは背が高くて、顔が小さく、手足が長い。髪の毛は金色で瞳は青色。愛花少女は自然と、自分にはないものをもっているバービーに惹(ひ)かれていった。
アメリカ旅行にハマり始めた20代中頃、私のバービー愛が再燃した。それまではフリフリのドレスを着ているイメージだったが、アメリカのおもちゃ売り場で見かける彼女たちは、バラエティに富んでいて、とても面白かったのだ。畜産農家に産婦人科医、テニスプレイヤーにパイロット……。こんなバービー、日本に入ってきてたっけ!?
調べてみると、バービーはアメリカでも女性が就ける職業が限られていた1959年に、「女の子だって何にでもなれる」をモットーに登場。以降、200以上の職業を表現している。今では多様性を大切にする時代の流れに合わせ、さまざまな肌の色や体型、トランスジェンダーなど、あらゆるタイプの美を発信している。
もうただのおもちゃじゃない。バービーが発信するメッセージや、時代を先取るスピードを知れば知るほど、私を前向きな気持ちにさせてくれ、勇気を与えてくれる存在になった。私のラッキーカラーであるピンク色と、バービーのイメージカラーが同じということも相まって、自分とバービーを重ねて考えるようになっていった。
NHKを辞めた11年前からは、アメリカに行くと必ずバービー人形を1体、買って帰るようになった。当時は「可愛いから!」と買っていたつもりだが、今思うとこの先どうなるか怖くて考えたくないし、認めたくもないという心の奥の不安を″何にだってなれる!″と伝えてくるバービーを傍に置いておくことで、掻き消そうとしていたのかもしれない。
数千円で叶えられる憧れの姿
現在(いま)、私の部屋には38体のバービー人形が飾られている。ここ数年は購入する基準が変わり、私の夢を叶えているバービーを選ぶようになった。
大人になって、小さい頃にバレエを習っておけばよかったなぁと思ったから、バレリーナのバービー。安藤優子さんに憧れているから、ニュースキャスター姿のバービー。メジャーリーグ観戦が好きだけど頻繁には行けないから、ヤンキースのユニホームを着てバットを構えているバービー。ニューヨークに住みたいけれどそんな行動力はないから、箱にニューヨークの街並みが描かれているバービー。ピンク色の車に乗りたいけれど高すぎて買えなかったから、ピンクのオープンカーに乗っているバービー。
海が好きで一級船舶免許を取得したけれどクルーザーは買えないから、クルーザーに乗っているバービー。恥ずかしくなっちゃってなかなか着られないから、水着姿のバービー。そして、なかなかチャンスが来ないけれど着てみたい、着ぐるみを着ているバービー……などなど。私がしたくてもできないことを、バービーはすべて見事にやってのけているのだ。本当にかっこいい!! 誰も敵(かな)わない!! お陰様で、「あー私にはできないのか……」とマイナス思考になってしまうのではなく、「バービーがしてる! 便乗しよーっと!」と前向きな気持ちになれている。
この先、私は何をしたくなるのだろうかとワクワクしている。だって自分の発想に制限なんて設けなくていいんだから。何をしたくなってもきっとバービーが叶えていて、数千円でそれに便乗できちゃうんだから。そう、あなただって例外じゃない。『You Can Be Anything』だ!!

1980年、神奈川県出身。学習院大学理学部数学科を卒業後、2003年、NHKにアナウンサーとして入局。2012年にNHKを退職し、フリーアナウンサーに。以降、バラエティ番組を中心に活躍し、現在、昼の帯番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)にメインMCとしてレギュラー出演中
『FRIDAY』2023年6月30日号より
文・イラスト:神田愛花