「5年間は完全に壊れていた」…高樹澪「芸能界引退のどん底から這い上がった」再婚と再デビュー
デビュー翌年に『ダンスはうまく踊れない』が大ヒットするも、 難病に絶望することに――
「あの5年間は完全に壊れてました……」
「今年は3月と6月に公開された映画に出演しています。また、歌とトークのライブをやったり、何本かの新作映画の撮影が入ったりと、忙しい毎日です」
笑顔でそう話すのは、女優で歌手の高樹澪(63)。特徴的な声、そしてエクボは若い頃と変わらない。

彼女はサザンオールスターズが音楽を担当した映画『モーニング・ムーンは粗雑に』(’81年)でシンデレラのように女優デビュー。同年公開の『無力の王』でも主演を務め、’82年には3枚目のシングル『ダンスはうまく踊れない』が80万枚の大ヒット、歌番組にも数多く出演した。印象的なロングヘアに美貌、抜群のプロポーション、そしてコケティッシュな歌声に痺れた男性ファンが多かった。
その後も、『スチュワーデス物語』『ウルトラマンティガ』など多くのドラマや映画に出演し、歌手としても人気を集める。私生活では、’90年に舞台で共演したミュージシャンと結婚。順風満帆な人生だったのだが、あるとき、忽然と人々の前から姿を消してしまうのだ。
突然、病魔に襲われて
異変は’97年頃、右目の下がピクピクと痙攣(けいれん)することから始まった。
「私は、小学校の頃から劇団に入っていて、自分の思いを表現しちゃいけないと教えられ、『ノー』と言えないまま育ってきちゃったんですよ。仕事でも、家庭でも、何事に対しても『イエス』で対応していくうちに、いつの間にかストレスを溜め込んでいたんですね。結婚生活でも軋轢(あつれき)が生じるようになって、体調はどんどん悪化していきました。寝ていても痙攣は続き、睡眠不足にもなっていました」
体調を整えるため灸や気功にも通ったが効果はない。’99年には離婚が成立。映画出演などの仕事は続いたが、痙攣が治まらず撮影現場でも迷惑をかけることが増え、徐々に耐えられなくなっていく。
「もう無理だって思いました。自分の中で何かが壊れてしまって。事務所の社長に電話して『辞めます』と伝えたんです」
’03年、彼女は携帯電話を解約し、住まいも変え、「女優・高樹澪」と決別した。
所属事務所を辞めた高樹は、さまざまなアルバイトを経験する。
「芸能の仕事しか知らなかったので、やりたくてもできなかった仕事をこの機会に経験してみようと思いました。ラーメン屋やパチンコ店の店員、交通警備からビルの清掃、アロマ関係などいろいろやりましたね」
一方で、痙攣には絶えず悩まされていた。不眠に苦しみ、21日間、水以外何も口にしないこともあった。’06年、知人の勧めで脳神経外科を受診し、ようやく『片側顔面痙攣』と診断される。
「それまで心療内科で『うつ』だと診断されてたんですね。実は、脳幹付近にある顔面を司る神経と動脈が癒着して、血流が痙攣を起こしていたんです」
完治するには、頭蓋骨を開けて脳の血管を手術するしかない。成功率は70%だと言われたが、悩みに悩んだ末、彼女は手術を決意する。
手術は無事、成功。身体が快復するにつれ、女優業への思いが強くなっていく。
「そんなとき、たまたま事務所のHPを見たら、私の写真とプロフィールがまだ残っていてビックリ。社長に連絡すると、すぐに温かく迎えてくれました。そしてまた女優として仕事をすることができるようになったんです」
一方的に事務所を辞めてから5年後のことだった。復帰後、バラエティ番組で闘病のことが明かされ、一躍注目を集める。’13年には、同い年のIT企業役員と再婚する。
「私は再婚だけど、彼は初婚なんです。何を思ったのか、急に『ご先祖様に囁かれた』そうで『結婚してみる?』とつい口にしてしまったそうです(笑)」
今春放送のドラマ『あなたがしてくれなくても』(フジテレビ系)では挿入歌として高樹の大ヒット曲『ダンスはうまく踊れない』が流れた。歌っていたのは『B’z』の稲葉浩志(58)だったのだが、高樹の歌を思い出した人もいただろう。
昨年末、デビューした高樹を長年サポートし、5年間休業している間も復帰を待ち続けてくれた事務所社長が急逝した。
「私の芸名『高樹澪』の名付け親でもありました。きっと社長は私を見守ってくれていると信じています」
そう言って、高樹は優しい笑顔とエクボを見せてくれたのだった。



『FRIDAY』2023年9月8日号より
取材・文:小泉カツミPHOTO:小檜山毅彦