山口かおるが地元・葛飾で『30周年コンサート』…ピンチを救った〝株主優待〟桐谷広人氏の「妙手」
芸能リポーター・石川敏男の芸能界〝あの出来事のウラ側は……〟
《芸能リポーター・石川敏男の芸能界〝あの出来事のウラ側は……〟》
歌手生活30周年を迎えた山口かおるさんが9月2日、東京都葛飾区にある〝かめありリリオホール〟で新曲『ふた情け』『三行半のブルース』の発売を記念してコンサートを開いた。
25周年の記念コンサートもここ〝リリオホール〟だった。地元を愛し、地元のファンに多く支えられていることで、記念コンサートは地元で続けてきた。
オレが初めて山口さんと知り合ったのは、コロムビア時代に名乗っていた「青木香織」から、巨人軍の終身名誉監督・長嶋茂雄さんに、あたらしい芸名を決めてもらったころだ。
彼女のマネージャーが、美川憲一さんの事務所社長の息子さんだった関係で知り合った。美しい顔には似合わない男っぽい性格で、妙に気が合ったので応援することになった。
だから、ここ20年ぐらいは、プライベートのこともよく相談されてきた。
そんな彼女の性格に惚れた関西の友人ができ、私設マネージャーになる。本業を持っている二人だが、彼女のことを本気で応援していて、芸能の仕事はほとんど東京中心だけど、そのたびに関西から上京してマネージャーを務めている。
「桂銀淑のような声が魅力」
と言う人もいるが、ハスキーボイスが魅力で歌のうまさは天下一品。
16年前、NHK『歌謡コンサート』の名物コーナー「歌コン金メダル」で、持ち歌『夢のまた夢』を歌い、見事99%の支持を受けたこともあった。
多くの新人歌手が登場するコーナーだったが、もちろんコーナー最高得点。その後、このコーナーが消滅するまで、彼女を抜ける歌手は現れなかった。
そこまで歌が上手な歌手でも、なかなかヒット曲に恵まれない。特に演歌・歌謡曲歌手のヒットは難しい時代に入っている。
そんな中での新型コロナウイルスの蔓延。特に地方のイベントなどがキャンセルされ、ほとんどの仕事が無くなっている彼女を見てきた。でも、弱音を吐かない彼女。強いと言ってしまえばそうなんだけど、周囲には自分の苦労を見せようとはしない。
まだまだコロナが続いているようだけど、今年になって久しぶりに再開できるようになった。嬉々として仕事にめり込んでいく山口さん。
地元を愛し、毎年続けていた葛飾・水元公園の『菖蒲祭り』も4年ぶりに今年再開。中止になっていた地方のコンサートも復活しつつある。
そんな順調の波に乗り出した彼女に、またまた試練が訪れる。
今回のコンサートを客席で観ていたファンには分かりにくかったが、リハーサルではうまくいっていたモニターが、本番では全く機能を果たさなくなっていたのだ。機材担当者も直せない。
マネージャー2人が近くの電気屋さんに飛び込んでモニターやコードを買いまくり約30分後で原因を突き止め、直してしまう。コンサート中にこんなことが起こるとは誰も思わない。
客席にいた将棋七段で株主優待生活の桐谷広人さんが舞台に上がり、お客さんとの間をつないでくれた。そのことで、約500人のファンは再開をじっと待っていてくれたのだ。
「私もかおるさんのファン。『紅白』に出るまで応援しましょう」
とエール。会場は割れんばかりの歓声が上がっていた。
「でもしっかり音響代は請求されました」(マネージャー談)
と。業界人のオレにしたら厚かましい。大切なコンサートをぶち壊した責任は大きいと思うが、山口さんは
「事故だからしょうがないですよね」
と言っていた。そこが山口さんらしいところかもしれないけど、問題だよなあ。
話は戻るが、新曲は作詞が荒木とよひささん、作曲が浜圭介さん。山口さんは
「曲をいただいたとき、すごくきれいなメロディーに感動しました。荒木先生の詩は人の中にある(好き)(嫌い)な心情を理解して歌うところに妙味を感じています」
と。
「これからも生まれ故郷を大切に、末長く周年を重ねていきたい。だって、お嫁に行かないんだから(笑)」
大ヒットがなく30年間歌い続けてきた山口さんの心の支えは、地元の根強いファンたちなのだ――。
文:石川敏男(芸能レポーター)
‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、レインボータウンFMにレギュラー出演中