BS朝日『人生歌がある』星野哲郎特集で感じた「昭和歌謡の力」 | FRIDAYデジタル

BS朝日『人生歌がある』星野哲郎特集で感じた「昭和歌謡の力」

芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”

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「星野哲郎記念館」が完成しテープカットを行う(左から)水前寺清子さん、船村徹さん、星野哲郎さん、北島三郎さん、都はるみさん(’07年)
「星野哲郎記念館」が完成しテープカットを行う(左から)水前寺清子さん、船村徹さん、星野哲郎さん、北島三郎さん、都はるみさん(’07年)

《芸能リポーター・石川敏男の芸能界“あの出来事のウラ側は……”》

テレビってすごいな、と感じた時間だった。

作詞家・星野哲郎さんの13回忌(11月15日没)を記念してつくられた11月12日に放送された『人生、歌がある』(BS朝日)。視聴率を気にするテレビから歌謡曲・演歌番組が消えていく中で、名曲を聞かせる番組はすごいと思ったね。

最近は、一部の平成生まれの人たちにもこよなく愛されるようになった昭和歌謡。スポンサーを気にしてばかりの番組づくりじゃないところに魅力を感じた。

五木ひろしさん、伍代夏子さんがMCを担当して進行された番組。水前寺清子さん、小林幸子さん、石川さゆりさんら、名前を出したらきりがないほど多くの演歌・歌謡曲を歌うスターたちがキラ星のように出演していた。

「故郷があるから自分がいる」

とおっしゃって、故郷・山口周防大島町を大切にしてこられた星野さん。周防大島町の名誉町民にも選ばれているし、その後、引っ越した東京・小金井市の名誉市民の第一号にもなっている。

だから山口放送の岩田幸雄会長は、何度となく地元の宝を特番で放送してきた。星野さんは、現・海洋大学を結核で休学することもあったが無事に卒業。マルハニチロに就職し、遠洋漁業の乗組員になったこともあった。

数年後、腎臓結石で船を降りることに。腎臓摘出手術をして故郷での闘病生活が始まった。この闘病生活が、偉大な作詞家・星野さんを誕生させる。

作曲家・船村徹さんとの出会いも大きかった。船村さんに誘われるままに上京。船村さんの口利きで日本コロムビアに入社。その後クラウンレコードの創設で移籍した。作詞した曲は4000曲を超えている。

星野さんは、作詞した曲を遠くにありて歌う「遠歌」。人との出会いを歌う「縁歌」。人を励ます「援歌」と呼んでいて、作詞は最初の2行で決まるともおっしゃっていた。

仲間に愛され、後輩に愛され続けた星野さんの性格が、どの詩にも感じられて、心に残る詩が多い。穏やかで

「大きな声を聴いたことがない。後輩にも丁寧に接していた」

とは業界関係者。ちなみに水前寺さんのことを“チータ”と名付けたのは星野さんだった。“小さいタミコ(本名)”ということからこのニックネームをつけ、それが音楽関係者のみならずファンにも愛されるあだ名となった。

作詞家仲間と会話をしている時に、頭に浮かんだフレーズをコースターの裏にそっと書き留めておいて持ち帰り、それを奥さんに書き写してもらい、翌朝、奥さんが、それを清書していた。それが、新しい詩を書く上での下地になっていたというのは有名な話だ。

番組は、今は亡き美空ひばりさんの『みだれ髪』を八代亜紀さんが歌うなど、十分に聞く人を満足させてくれた。

番組の後半には作詞家・なかにし礼さんの特集も。’20年12月に82歳で亡くなったなかにしさんが残した名曲の数々。弘田三枝子さんの『人形の家』を小林幸子さん、天童よしみさんが歌ったり、島倉千代子さんの『愛のさざなみ』を市川由紀乃さんが聞かせてくた。

まさに「名曲を豪華歌手が歌い継いで行く」という番組のコンセプトにぴったりな内容だった。こんないい番組はBSだけじゃなく、地上デジタルでも放送してほしかったな…。

  • 石川敏男(芸能レポーター)

    ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、レインボータウンFMにレギュラー出演中

  • 写真共同通信

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