意外! テレビを「劇的変化」させた平成元年の3つの歴史的事件

テレビ平成30年史〔1〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)

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まもなく平成が終わり、5月1日から令和が始まる。

この平成という時代は、実はテレビにとって激変の30年だった。

平成の始まりと共に、4マス媒体の中で新聞・雑誌・ラジオの広告費が次々にピークアウトした。勢いをインターネットに奪われたからだ。

一方テレビは、昭和の後半に新聞を抜き、メディアのトップに立っていた。

そして平成に入ってもしばらくは成長を続けていた。ところが平成の後半には、ダウントレンドとなってしまった。娯楽の多様化、テレビの多チャンネル化、デジタル録画機の普及、そしてインターネットやスマートデバイスの普及で、生活者のテレビ視聴時間がじわじわ浸食されたのである。

各メディアの栄枯盛衰の中、テレビはどんな変化をして来たのか。

今後を展望するためにも、「3つの構造変化とテレビ」という観点で過去30年を振り返りたい。

平成テレビ史30年〔2〕天災・事件続発の平成 テレビの「緊急報道」はITで進化した!

ターニングポイントの1989

1989年(平成元年)は、単に日本で元号が変わった1年に留まらなかった。世界史的にも見ても大きな変化の1年で、これを境に各メディアやテレビも激変し始めたからだ。

その後に大きな影響を与えた出来事は三つ。6月4日の中国・天安門事件、1110日のベルリンの壁崩壊、そして1229日の日経平均株価史上最高値だ。

まず挙げるべきは、東西ベルリンを分断して来た壁がなくなったこと。

この年、東ドイツ市民の大量出国に直面した東ドイツ政府は、「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で対策を発表した。これを機に東ベルリン市民が壁に殺到し、遂に壁の撤去作業が始まったのである。

以後、東欧諸国で続々と共産党政府が倒れた。

ベルリンの壁着工から28年で、状況は一変した。翌12月、米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ最高会議議長が会談し、東西冷戦の終結が宣言されるに至った。

次が中国の天安門事件。

北京の天安門広場に民主化を求めて集まった学生や市民を、人民解放軍が武力で鎮圧し、多数の死傷者が出た。これを機に中国は、共産党の一党独裁を維持しつつも、民主化の代わりに市場経済を活発化させていった。

その約20年後、中国はGDPで日本を抜き、世界2位の経済大国になった。しかもその後も、かなりのテンポで成長が続いている。

対照的なのが日本。

『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版され、80年代にバブル景気に沸いた。ところが89年末に38,95744銭と日経平均株価が史上最高値を付けたものの、翌年からバブル崩壊が始まった。

平成は、“失われた10年”から、“20年”“30年”と低迷が続いた。

3つの構造変化による影響

最初の2つは、一見、政治体制の変化のように見える。

ところが実際には、その後の世界や日本の経済、ひいてはメディアに大きな影響を与え始める。

まずは東西冷戦の終結。

これにより日米で暗黙の了解だった役割分担が崩れ始める。軍事力を米国が担い、その傘の下で日本は経済発展を謳歌してきた。ところが軍事へのニーズが低下した結果、米国は軍の機密として閉じ込めてきたハイテクを、民間に開放し始めた。

インターネットなどITの劇的な進歩が始まった。

米国のベンチャーが次々にイノベーションを起こし、米国経済は成長し始めた。しかもPCやソフトウエアなどでボトルネックを握ったため、その後の世界を席巻し始める。

今のGAFA(Google、Amazon.com、Facebook、Apple Inc.)やNetflixなどの活躍は、その延長上にある。

いっぽう中国は、天安門事件の後に、ローテク分野から成長を始めた。

そして輸出競争力の強化を視野に、沿海部を中心に技術力のある外国企業の誘致に力を注いだ。その結果、安価な労働力と14億人という市場規模を前提に、急速に経済成長を遂げた。今や家電や通信分野の企業も、世界のトップ企業として活動している。

日本の経済学者の中に、両国の変貌ぶりを“前門の虎・後門の狼”と評した人がいた。

かくてバブル崩壊後の日本経済は、容易に立ち直れなくなる。まず“失われた10年”があり、やがて10年は20年、30年になった。

この間に、80年代まで右肩上がりを続けた4マスが、次々に失速した。

対照的にインターネットが急成長した。広告費の多寡でみると、まずラジオが04年に抜かれた。次が06年に雑誌。新聞は09年に逆転され、最後に残ったテレビも平成と令和の交代に合わせるように、今年中に逆転される。

時代状況を正しく認識し、社会に警鐘を鳴らす役割のメディアが、自身が置かれた状況に対応できず、後退していったのは皮肉だ。

バブル崩壊の意味

日本の株価は前述の通り、89年(平成元年)末の最高値の後、90年に大暴落した。

湾岸危機と原油高、さらに日銀による公定歩合の引き上げなどがあり、9010月には半値近い2万円割れを起こした。株価だけでなく地下も暴落した。90年から06年までで、日本全体の土地資産額は1200兆円以上失われたという試算もある。

経済の停滞は、日本の広告費を直撃した。

テレビは、90年代も依然として成長を続けたが、新聞とラジオは9091年をピークに痛み始める。新聞はバブル崩壊後の10年で、15%に相当する1900億円ほどの広告収入を失う。2018年まででは、3分の2近い8808億円も失っている(図1)。

ラジオも90年代に15%相当の363億円を減らしている。去年の広告費1278億円は、ピークの91年と比べほぼ半減である。

雑誌はバブル崩壊後も97年まで頑張った。ところが以降は右肩下がりに転じた。去年の1841億円は、ピークだった97年の58%減だ。やはり市場の半分近くを失った。

テレビのピークは2000年の2兆793億円。

ところがリーマンショックなどで大きく痛み、その後横ばいあるいは微増が続き、そしてここ2年で再び減少に転じている。この間に約3000億円を失っている。

経済の停滞は、各企業の広告宣伝費を抑制させた。

ただし苦戦の理由はそれだけではない。経済や社会の構造に変化が生まれた点も見逃せない。一番大きいのは産業構造の変化。バブル崩壊後に各業界の再編が進み、業界内の企業数が減り始めた。その分競争も緩和され、広告宣伝の重要度が下がった。広告宣伝費削減の傾向が生まれた。

広告の「日本飛ばし」もある。

経済のグローバル化が進み、広告費が海外へ移り始めた点だ。大きな成長が見込めない日本の市場は、どう現状を維持するか程度のインセンティブだけ。日本で積極的に広告宣伝をする企業が減ったのである。

少子高齢化も要因だ。

マス広告を出しても、中高年が主な受け手となり、広告により購買行動が影響されにくくなった。いっぽう若年人口は減少の一途。広くリーチするマス広告の見直しが過去20年で進んだ。

他にもバブル崩壊後、日の出の勢いの業界や企業が減ったことも大きい。

IT・デジタルの時代となり、通信キャリアやゲームを含むネットサービス業などが一部気を吐いたが、それ以外の元気のある業界が出てこない。つまり広告費減少を補う新興勢力の不在も響いた。

日本の広告市場は、GDPで示される景気循環に影響され上下動を繰り返してきた。

ところがここ十数年、4マスの広告収入はGDPを下回り始め、テレビも例外ではなかった(図2)。そしてネット広告費だけが90年代後半から急成長を続け、今や1兆7589億円となっている。

“おカネの切れ目は縁の切れ目”ではないが、4マスは明らかに30年で減速した。テレビもこの10年でダウントレンドに入った。明らかにネットだけが独り奮闘し続けている。

平成の30年。テレビをお金の側面で俯瞰すると、右肩上りが止まり、そして右肩下がりへと流れが変わった、ターニングポイントとなる30年間だったのである。

平成テレビ史30年〔2〕天災・事件続発の平成 テレビの「緊急報道」はITで進化した!

  • 鈴木祐司

    (すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。

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