天災・事件続発の平成 テレビの「緊急報道」はITで進化した! | FRIDAYデジタル

天災・事件続発の平成 テレビの「緊急報道」はITで進化した!

テレビ平成30年史〔2〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)

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2019年4月1日、新元号「令和」が発表された。

これまでならテレビ東京は、大事件・大事故・大災害が起こっても、他局と同じ報道特番を組まずに、通常通りアニメを平然と流すことが多かった。

ところが新元号発表では、そのテレ東も報道特番を編成した。ネット上では、「これもまた歴史的瞬間」などと話題になったぐらいである。

実は平成の30年は、緊急報道のあり方が大きく変わった時代だった。

元年(1989年)の天安門事件やベルリンの壁崩壊などの大事件を、現在進行形でテレビが生中継で伝えられるよう、中継システムが機動力を持ち、通信ネットワークが発達したのである。

平成7年(95年)の阪神淡路大震災以降、安否情報も変わり始めた。

さらに事件・事故・天変地異は、テレビよりネットが早く伝えるようにもなってきた。平成30年のテレビ史を「テレビ緊急報道の変貌」という観点で取り上げる。

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生中継の時代

テレビの発展の根幹には、技術の進化がある。

テレビ技術の根本は、「遠くの今」を「よりリアル」に伝える方向で進化してきた。「遠くの今」は、当初は東阪名の三大都市圏の中継ネットワークから始まり、次に全国津々浦々への伝送を可能にした。

そして1964年には、東京オリンピックの際に衛星よる国際中継を可能にした。さらに中継技術は、月と地球を結ぶ宇宙中継にまで進化して行った。

つまり昭和は、「より遠く」と距離を伸ばしてきた時代だった。

ところが平成は、世界中を驚かせる大事件や大災害を、生中継で一挙に世界中に情報を届けられるように、テレビの機動力が各段に進歩した30年だったのである。

平成元年(1989年)の天安門事件やベルリンの壁崩壊が、緊急生中継対応の第一歩。

両事件は世界や各社会に大きな影響をもたらした。当然のことながらメディアやテレビも、例外ではなかったほどだった(当シリーズ初回で詳述)。

平成13年(01年)に起こった米国同時多発テロ。

飛行機が世界貿易センタービルに激突する瞬間がテレビに映された。恐らく大掛かりなテロの瞬間が生中継された最初の事件だろう。

その後に対テロ作戦が始まり、アフガニスタン侵攻やイラク戦争となった。衝撃的な映像の生中継が、多くの人の気持ちを動かしたのである。

平成23年(11年)に起きた東日本大震災では、各地が津波に襲われる状況が生中継された。

ヘリコプターによる中継システムの他、テレビ局のお天気カメラや監視カメラの整備が進み、多くの地域での決定的瞬間を生中継できるほど、撮影システムやネットワークが進化した。

地震や津波などの自然災害では、貴重なデータがメディアによって集められるようになった。科学や学問への貢献という意味でも、大きな進歩だった。

多発する自然災害

平成は自然が猛威を奮った30年でもあった。

まずは火山。平成3年(91年)、雲仙普賢岳で大火砕流が発生し、報道関係者を含む43人が犠牲になった。平成12年(2000年)、有珠山や三宅島が噴火した。平成26年(14年)には御岳山が噴火し、戦後最悪の火山被害となった。他にも新燃岳・桜島・口永良部島などが頻繁に噴火している。

地震も頻発した。

平成5年(93年)に奥尻島を巨大津波が襲い、230人が飲み込まれた。平成7年(95年)には阪神淡路大震災が発生。死者の数が6434人に上った。平成16年(04年)には、新潟県中越地震、平成19年(07年)には新潟県中越沖地震が続いた。そして平成23年(11年)に東日本大震災が襲った。死者約15800人、行方不明者約3500人と、未曾有の被害となった。

ここ数年でも被害が続出している。平成28年(16年)には、熊本地震で震度7が2回も記録された。そして去年は北海道胆振東部地震。管内のほぼ全域が停電するブラックアウトが起きた。

他にも台風や大雨の被害も頻発した。

地球温暖化の影響か、日本に接近・上陸する台風が増えている。大きな被害をもたらす大雨も顕著だ。29の台風が発生し、うち16が日本に接近、日本本土に5個も上陸した去年はその典型だ。全国の広い範囲で被害をもたらした平成30年7月豪雨も、象徴的な災害だった。

変わる安否情報

頻発する自然災害に対し、メディアの対応も進化した。

初動の迅速化、天気カメラ・監視カメラの整備、ドローン撮影など映像化の進化などだ。中でも安否情報提供体制の充実は特筆に値する。

平成7年(1995年)の阪神淡路大震災では、NHKは教育テレビを使って6日以上、被災者の安否情報を流し続けた。受け付けた無事の情報と安否連絡の依頼は、累計で5万4千件を超えていたという。

テレビを使った大規模な安否情報という画期的な対応だった。ただし問題点も浮かび上がった。対象となる情報の家族・親戚・知人からすれば、6日間以上もずっとテレビの前で待つわけにはいかない。残念ながら効率的な方法とは言えなかったのである。

平成16年(2004年)の新潟県中越地震では、手法が一歩前進した。

放送を使ってリニアに伝達すると同時に、データ放送を活用して、検索もできるように進化した。探している人に行き着きやすくなったのである。

利便性は各段に増した。ただし寄せられた情報が大量過ぎて、一部の処理が追いつかなかった。最新情報の更新ができない事態が発生したのである。放送の限界が露呈したと言わざるを得ない。

平成23年(2011年)の東日本大震災では、主役は放送からネットに移った。

発災から2時間後に、Google社のパスファインダーが起動し、ネット上で大量の被災者情報を確認できるようになった。放送と異なり、情報処理を多数のボランティアがクラウドソーシングで行ったため、情報処理が追い付かないという事態も少なかった。以後、安否情報はネットが最も便利なシステムになっていった。

初動もネットの時代

安否情報に限らず、取材活動もインターネットが一部を担い始めた。

主役はソーシャルメディアだ。現場にたまたま居合わせた普通の人々が、ツイート・写真・動画をアップし始め、これらがメディアの取材より早い“現場報告”となり始めたのである。

ただしインターネットには、ねつ造情報も混入している。

10年ほど前からテレビ局では、3交代24時間体制で、SNSをチェックし始めた。重要な情報については、発信者に確認したり、放送での使用許諾を獲るなどの作業チームだった。

ただし一連の作業も、多くの人手とコストを要し、テレビ局の負担はかなりのものだった。

そこで登場したのが、ネット上の情報を自動的にチェックするシステム。例えばJX通信社は、テクノロジーの進化で大半の作業を自動化した。

国内外のニュースサイトやSNS等を監視し、速報や報道に値する情報を検知し、アラートで伝えてくれるシステムだ。画像解析技術で、デマの写真等の判別もかなりの精度でやってくれる。さらにテキスト情報に至っても、信憑性の低いものを技術で排除してしまう。かくして今や多くのメディア企業が、同システムを導入している。

以上のように、平成は大事件や大災害が頻発した30年だった。

その対応で各社の緊急報道も各段の進歩を遂げた。ただし実態を俯瞰してみると、テレビからネットへウェイトが確実に移り始めている。

平成初期に登場したIT・デジタルは、30年の間に緊急報道の仕組みを大きく変えてしまっていたのである。

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  • 鈴木祐司

    (すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。

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