リーチマイケル 不屈のキャプテンはラグビーW杯で伝説になった
闘志あふれるプレーに、「リーーーチ!」と誰もが叫んだ!
「リーーーーチ!」
背番号6、日本代表のキャプテンがボールを持って突進するたび、スタンドから地鳴りのような声が響く。その声援には思いが、願いが、いや、祈りさえもが込められているようだった。
リーチマイケル(31)。日本の誇り、そして宝。
日本を熱狂の渦に巻き込んだラグビーワールドカップ。日本代表は準々決勝で南アフリカに3対26で敗れた。リーチの仕事もその瞬間に終わった。
’04年、ニュージーランドから札幌山の手高校に留学。「高校1年の夏合宿がいちばんきつかった。根性練習って、世界中探しても日本にしかないですよ」と振り返るが、そこから彼の旅が始まる。
’11年のW杯に日本代表として出場、’14年からはエディー・ジョーンズ前HCの指名で主将に任命され、前回のW杯で「ブライトンの奇跡」を起こす。
エディーの後任であるジェイミー・ジョセフも、当然のことながらリーチの力を必要とした。が、リーチは’16年の日本代表を辞退。かつて、ジェイミーは誇り高きオールブラックスの一員。「国の代表を辞退するとは」と落胆を隠さず、二人の間に隙間風が吹いた。「ジェイミーが自分を必要とするかどうかわからない」とリーチも話していたが、’17年から代表に復帰すると、再び主将に。それでも順風満帆とはいかず、ジェイミーと対立もしたが、衝突を乗り越えて相互理解が深まると、昨年の秋から代表は上昇カーブを描き、W杯へ向けて力を蓄えた。
そして迎えたW杯本番。予選突破がかかるスコットランド戦の前には「相手をボコる。優しい気持ちは必要ない。鬼にならないといけない」と発言し仲間を鼓舞、悲願の8強進出を果たした。
準々決勝の南アフリカ戦でも、リーチの働きは感動的だった。キックオフでは、ウィングの福岡堅樹よりも速く先頭を走り、南アフリカの巨人たちと真正面からぶつかった。スコアは開いた。それでも、6番がボールを持って走るたび、観客は惜しみない声援を送った。
そして、終戦。日本代表の長い航海は終わった。リーチはバックスタンドにいた家族と合流し、東京スタジアムのピッチを子どもたちと楽しそうに駆けていた。戦士にようやく訪れた休息の時間。
2019年秋、われわれが目撃した日本代表の物語は、偉業として記憶されるだろう。たくましいキャプテン、リーチマイケルの大きな背中とともに。








『FRIDAY』2019年11月8日号より
文:生島淳(スポーツ・ジャーナリスト)写真:PA Images/アフロ 佐貫直哉/JMPA