『アンタッチャブル』復活の場に“有田哲平の番組”が選ばれた必然

連載 スタッフは見た!週刊「テレビのウラ側」Inside story of Television

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女性トラブルで相方・山崎弘也の不興を買っていた柴田英嗣。関係修復までの秘話を紹介

史上最高(当時)となる673点を叩き出すなど『アンタッチャブル』は圧倒的強さで’04年のM-1を制覇

11月29日放送の『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)で、お笑いコンビ『アンタッチャブル』がサプライズで約10年ぶりに漫才を披露した。

「もともと、柴田英嗣(ひでつぐ)が相方の山崎弘也(ひろなり)に扮した小手伸也と漫才をするという企画で、台本にも『小手がセリフを飛ばし、一度、スタジオから退出した後にピン芸人のコウメ太夫が出てくる』と書かれていたのですが、実際はコウメの代わりに本物の山崎が登場したのです。このサプライズを知っていたのは、山崎とMCの有田哲平、そして一部のスタッフだけでした」(フジ関係者)

『アンタッチャブル』は’04年の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)を制して大ブレイクしたものの、’10年に柴田が女性トラブル等を起こして謹慎処分をくらい、活動休止に追い込まれた。

「1年ほどで謹慎は解かれたのですが、山崎は柴田を許さなかったらしく、『アンタッチャブル』としての活動は休止したまま。もうひとつ、ここまで再開が遅れた理由として業界内で囁(ささや)かれているのが、二人が所属する『プロダクション人力舎』の設立者、故・玉川善治前社長の存在です。玉川さんは芸人思いの熱い人物で、『アンタッチャブル』に泥を塗った柴田に対して、山崎以上に腹を立てていた。そして、柴田の謹慎中に亡くなってしまったのです。山崎は育ての親でもある玉川前社長の遺志を継いで、柴田が完全に更生するまで『アンタッチャブル』は復活させないと決めた。そう言われています」(民放バラエティ番組スタッフ)

以降、ピンでの活動となり、お互いの名前を出すことすら〝アンタッチャブル〟となった。雪どけムードが漂い始めたのは、ここ最近のことである。

「柴田が番組内で山崎の名前を出すようになったのです。一方の山崎も飲み会のような私的な場では『たまに柴田と会っている』と話していた。テレビ業界では『アンタッチャブル』が帰ってくる日が近い、ともっぱらのウワサだったのです」(制作会社ディレクター)

コンビ復活の舞台に有田の番組を選んだのも山崎だったようだ。前出のフジ関係者が語る。

「有田は売れないころから山崎を可愛がっていて、同じマンションで暮らしていたことがあるほど仲がいい。『アンタッチャブル』は’03年に『M-1』敗者復活戦に勝利して決勝に進出。翌年に優勝しているのですが、もし敗者復活戦に敗れていたら、山崎は芸人を辞めるつもりだった。放送作家に転職して『くりぃむしちゅー』のブレーンになろうと考えていた。それぐらい有田を慕っている。そんな有田とヒザ詰めで話し合ったすえ、『恩師の番組でサプライズ漫才を披露』という復活のシナリオができあがったのです」

業界で〝頼れる兄貴分〟として知られる有田。彼自身も作家への転職を考えた時期があるという。

「『くりぃむしちゅー』は有田の相方、上田晋也の蘊蓄(うんちく)キャラがウケてブレイクしました。そのため、当初は上田にオファーが集中。有田は生き残るため、作家の仕事も喜んで引き受けていたそうです。そうしてスタッフたちと信頼関係を築いたことが、今回のサプライズにも繋がっている」(キー局プロデューサー)

復活劇の裏に、もうひとつの長いドラマがあったのだ。

『FRIDAY』2020年1月3日号より

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