小5男子首吊り自殺 担任の暴力を暴いた母親“1018日の闘い”

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“いじめ自殺”を振り返る ジャーナリストの取材現場から

匠君の遺影と一度も着ることのなかった中学校の制服を手にする母親の和子さん。「真実を知りたい」と裁判に訴えた

いっこうに減らない学校でのいじめ。文部科学省によると、’18年にいじめで自殺に追い込まれた小中高校生は322人にのぼるという。解決への糸口はあるのか。過去の事件から考える。長年、少年事件を取材し続けてきたジャーナリストの須賀康氏が振り返るのは、’06年に起きた担任の女性教師による“いじめ自殺”だ。

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「学校は事実を隠し、同級生の親は『何も言えない。他の事は何でも協力するから子どもにも聞かないで欲しい』と泣くだけです。でも何人かの同級生から聞いた話しに私は気が狂いそうになりました」

‘06年3月16日、北九州市青葉小学校の5年生だった永井匠君(当時11)は、教師から体罰を受けた直後に自殺した。匠君の遺影を抱え涙に声を詰まらせながら語ったのは、母親の和子さん(同47)だ。

事件当日は、翌日の卒業式を控え予行演習が予定されていた。和子さんが外出から家に戻ったのは午後4時50分頃。玄関に匠君の靴を見つけ、学校はまだ終業時間の前なのにと不審に思い、一階の匠君の部屋を覗いた。そして和子さんは、匠君がシャンデリアに犬用のリードを掛け首を吊っている光景を見た――。

救急隊が蘇生措置を続ける間、呆然とする和子さんに代わり、匠君の叔母の田丸由美子さん(同43)が学校に連絡した。電話に出た担任は、田丸さんを母親と間違えたままその日の事をこう話したという。

「あっ、お母さん。匠君どうされてます? 今日、匠君が女の子を叩いたのできつく叱ったんですよ。匠君が反抗的な態度を取ったので、胸ぐらを掴んで揺すったら匠君がこけました。その後ペットボトルを自分に投げつけ教室を出て行き、戻ったと思ったらランドセルを持ってそのまま飛び出して行ったんですよ」

担任の話を聞き終えた後、田丸さんは匠君が自宅に帰ってきた後、自室で首を吊って自殺を図ったことを告げた。電話口の担任は絶句した。病院に搬送された匠君は午後6時10分死亡が確認された。校長が病院に駆けつけるが担任は姿を見せない。学校で何があったのか尋ねる遺族に、校長はこう言い放ったのである。

「匠君が大変なことをしました。耳が悪い女の子を、ほうきの棒で殴ったんです。マスコミに出たら大変なことになる」

遺族は校長の話しが信じられなかった。老人ホームへボランティアに行く息子が、弱い女子をいじめるはずがないと思ったのだ。それ以上に担任がなぜ来ないのか。校長を問い詰めるとこう言い訳をした。

「自分で命を断ちそうなほど憔悴し、二次被害が出る恐れがあるので連れて来られない。卒業式が終わり次第来させます」

「もう学校を辞めたい」

バレーボールに夢中だった匠君。県大会で優勝するなど運動神経の良い明るい少年だったという

学校は事件直後から「教諭の指導に行き過ぎた点はなかった」と教諭を庇い、担任の行動は体罰ではなく、教育的指導だったことを強調した。翌日の卒業式の後、匠君と同学年の5年生全員を体育館に集め匠君が自殺したことを告げると、児童たちの中から、

「○○(担任の名前)先生が匠を殺したんや」

という叫び声が上がった。すると校長は「そんなことをしゃべってはいけない。そんなことを言うと匠君が悲しむ」と児童たちを戒め、父兄にも「お母さんが『そっとしておいて、何も聞かないで欲しい』と言っている」と、事件の口止めをした。卒業式が終わり次第来る事になっていた担任は仮通夜が始まっても顔を見せず、遺族宅を訪れたのは17日の夜9時を回っていた。棺の中の匠君の顔を見ようともしない担任に遺族が「顔も見られないのか」と詰め寄ると、匠君の枕元を覗きか細い声で、

「話を聞いてやらんでゴメンね」

と一言いった後は、遺族が何を尋ねても口を開くことはなかった。

教員生活が30年近いベテラン担任教諭は、’05年4月に青葉台小学校に赴任し匠君のいる5年3組の学級担任になった。実は匠君はその年の夏休み直後母親に、「あの先生は直ぐに叩く。僕だけいつも叩く」と打ち明けていた。翌年にも匠君が泣きながら授業終了前に帰宅し、

「男子同士でケンカをしたら、先生は僕の話を聞かないで平手で顔を殴った。もう学校を辞めたい。行きたくない」

と訴えたことがあった。遺族は独自に真相究明に動き始めた。葬儀の日、小学校の児童が担任の顔を見るや、「あの先生、叩く先生だ」と声を上げたことがきっかけだった。情報収集を開始し、同級生の家庭を尋ねるが、何人もの父兄から協力を断られ、子どもに聞くことも止めてくれと断られた。

「この地域は公務員の家庭が多く、『小学校の教諭をしているので、お母さんに会うのが辛い』『自分の子供が言うように、実際に(体罰を)したことは事実だと思います。でも私も子供も証言することも、陳述書にすることもできません、許してください』と泣くんです」(田丸さん)

それでも何人かの父兄らから得た証言から事件当日だけでなく、5年3組の担任になって以降、匠君に集中的に体罰を加えていたことが明らかになった。

遺族は事件から1年後の’07年3月、匠君に対する担任の体罰が自殺の原因だとして北九州市を相手に、損害賠償を求める民事訴訟を起こした。

事件直後には、依願退職していた担任を訪ねた。永井匠君の事でと告げると一瞬体がこわばったように見えたが、しばらく沈黙が続いた後、担任はこう答えた。

「いまは(教員を)辞めていますし、裁判になっていますから私が言うことはできません。裁判に出るかどうかもわかりません。話は委員会(市教委)に聞いてください」

私は北九州市教育委員会を尋ねた。

「うちとしては当該担任のほか校長、教師から聞き教育的指導だと考えています。二次被害が懸念されるためアンケートもしていません」

しかし、アンケートの存在を知った遺族が結果の開示を求めると、市教委の指示ですでに学校が廃棄していたことが発覚したのだった。

‘09年10月1日、福岡地裁は教師の言動を違法行為と認定、自殺との因果関係も認める判決を下した。しかし、北九州市は判決を不服として控訴。’10年5月21日、市が自殺に対し一定の責任を認めたことから和解が成立した。

*匠君が亡くなった直後に進行性胃がんを告げられた和子さんは、その後入退院を繰り返し法廷には毎回車椅子で駆け付けていた。しかし、高裁の審理が進むなか容態が急変、’10年3月16日、匠君が運び込まれた九州厚生年金病院で匠君の後を追いかけるように旅立った。1018日に及ぶ命をかけた闘いだった。

母親の和子さんとウルトラマンのイベントを見に行った5歳の頃
’07年に民事訴訟を起こすと記者会見を開いた匠君の両親
バレーボールのチームメイトとVサインをする匠君(中央)
  • 取材・文・写真須賀 康

    '50年、生まれ。国学院大学卒。週刊誌を主体に活躍。政治や経済など「人と組織」をテーマに取材。学校のいじめ自殺や医療事故などにも造詣が深い

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