稚内発 高校2年生の少年を自殺に追い込んだ“教師6人の言い分”

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“いじめ自殺”を振り返る ジャーナリストの取材現場から

稚内市内の自宅で匠君の遺影に線香をたむける父・勝也さんと母・文枝さん。両親は学校や教育委員会の対応に不信感を抱いていた

いっこうに減らない子どもたちのいじめ自殺。文部科学省によると、’18年にみずから命を絶った小中高校生は322人にのぼる。解決の糸口はあるのか。長年、少年犯罪を取材するジャーナリストの須賀康氏が切り込む。とりあげるのは’08年に北海道でおきた、高校2年生の首吊り事件だ。

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〈自分は生徒会もやっている。まじめに学校にもいっていたつもりだ。先生たちに今日あれだけいわれたんだ。おれって先生たちにも信用なかったんだね。がんばった。がんばったんだけど認めてもらえなかったんだね……〉

‘08年7月20日、北海道稚内市の道立高校2年生だった今野匠君(当時16)は、学校で6人の教諭から約3時間に及ぶ指導を受けて帰宅したその日の夜、自宅で首を吊って自殺を図った。そして意識不明のまま、2週間後の8月4日病院で息を引き取ったのだ――。

事件直後に警察による自宅の捜索で、匠君の勉強机の上にあったA4判のノートから遺書と思われる書き込みが発見された。ノートには3ページに渡り、先生たちから受けた指導の内容や、死を決意するまでの悲痛な心の叫びが、細かな字でびっしりと綴られていた。冒頭の引用はその遺書である。

この道立高校を、私は以前にも尋ねている。’06年8月27日、同校1年生だった少年が自分の母親殺害を中学時代の同級生に30万円の報酬で依頼した事件の取材だった。事件後、学校と北海道教育委員会は事件の教訓を「命を大切にする教育の徹底」と繰り返し口にした。その同じ高校で今度は生徒が自殺した。しかも生徒の両親が、「複数の先生による行き過ぎた指導が自殺に追い込んだ」と問題にしているのだ。

稚内市内の自宅で父親の勝也さん(同47)が学校への不信感をあらわにする。

「(自殺の)原因はすべて遺書に書かれています。信頼していた先生方から『死ね』『アホ』と言われたと書かれている。6人もの先生による行き過ぎた指導が息子を死に追い込んだとしか考えられません。学校は遺書に書かれたような言葉は一切なかったといいますが、死ぬ前の人間が嘘をつくはずがない」

3時間におよぶ強烈な指導

匠君が残した遺書。A4のノート3ページにわたって鉛筆で書かれていた。写真はノートの2ページ目

事件のきっかけは7月19日、学園祭のオープニングとして行われた行灯行列だった。生徒会役員の匠君は祭の実行委員で行灯行列を運行する責任者だった。その行事にまったく協力しようとしないクラスの6名の生徒に匠君は我慢ならなかった。帰宅後に携帯サイトに、この6名の生徒のイニシャルと共に愚痴を書き込んだのだ。

〈反省会 (○○は見るな)。
死ね。OとKとKとKとWとIは死ね。投してやる。ぺナでも追放でもしろ。粕ども。塵ども。リア充どもめ〉(原文ママ。匠君の死亡後、学校から家族に渡されたメールのコピーより)

事件の発端となった行灯行列を終え、帰宅した匠君の様子を母親の文枝さん(同44)が悔しそうに言う。

「息子のあんな怒る姿を見たのは初めてでした。『あいつらずるいんだ。行灯制作はやらないし、行灯行列でも前で騒ぐだけで全然引っ張らない。いくら頼んでも聞いてくれず、校門の前だけ引く振りをしてまたワーッと騒ぐんだ!』と。普段は仲のいい弟にまで、あたっていました」

翌日この書き込みが学校で噂になり、匠君は学校に呼び出されて約3時間も6人の先生に代わる代わる指導を受けたのだった。学校に呼ばれた文枝さんがその時の教諭らの対応を訝る。

「担任は私の隣に座っている匠に、隠すように自分のメールを見せるんです。クラスの生徒が持ち込んだ匠のメールを、担任が自分の携帯の写メで写したというものでした。しかし、私が行くまでの匠とやり取りについて、どんな指導をしたのかまったく説明されません。そして、『(処分の)結果が出たら電話します』と言われ学校を出ました」

学校からの帰り際、匠君は車に乗り込むや教諭たちの指導に混乱している様子でこう言ったという。

「最初の指導の先生に『目を見てしゃべれ』と言われたので、次に来て指導した先生の目を見てしゃべったら『なに睨みつけているんだ』と怒られたんだ。どうしたらいいのか分からなかったよ」

その日の夕方、担任から無期停学の処分を知らせる電話があった。その夜の10時過ぎ、勝也さんが2階の匠君の部屋に様子を見に行くが匠君がいないため、隣の作業道具入れの部屋を覗いた。そこで天井の柱に紐を掛け、匠君が首を吊っている姿を発見したのだった。そして、意識が戻らないまま2週間後の8月4日、16歳の命を閉じた。

匠君を指導した6人の教諭のうち、匠君が意識不明の入院中に顔を見せたのは担任以外に2人。だが、彼らから謝罪も、言い過ぎたという言葉も一切聞かれることはなかった。彼らは匠君の遺書に書かれた「お前の罪は重い。死ね」という事も「バカか」「アホか」の言葉も言っていないと否定するだけだった。さらに、匠君が亡くなった後の8月7日の会見で校長は、

「本校の職員がそんなことを言うはずがない。(遺書には)事実と違うことを書いている。適切な指導だった。事情聴取が本人を追い詰めたとは考えられない」

と遺書の内容も学校の責任についても完全に否定した。両親は担任に再度会って話を聞きたいと学校に申し込むが「担任は適応障害で通院しているので会えない」と何度も断られた。だが適応障害で通院中という担任は、その年の9月に生徒を引率して東京へ修学旅行に行っていたのである。私は同校を尋ね、事件後に赴任してきた校長と当時の教頭の2人に話を聞いた。

――6人の先生が一人の生徒を指導するのは行き過ぎではないのか。
「6人の先生というのは多いかもしれませんが交代で指導し、書き込みの動機など先生が入れ替わるたびに同じこと繰り返しを聞いています。それは生徒に重大性を認識させるためで、通常の指導として問題はないと考えている」

――遺書の内容についてどう考えるか。
「指導した先生全員に聞き取りをしても、遺書にある『死ね』『アホ』『バカ』とは言っていない。どうしてああいうことを書いたのか分かりません」

――担任は現在も通院中ですか?
「(しばらく言葉がなく)そういうことは先生(医者)に聞いてください」

私は匠君の指導に当たった担任に是非とも話を聞いてみたかった。ちょうど匠君の一周忌の2日後、電話に出た担任はまるで事件の当事者ではないかのような口振りでこういった。

「そういう事は学校を通してもらえませんか。一周忌のこと? それも学校に聞いてください。病気(適応障害)? 先生と学校から、向こうの家にもマスコミにも接触しないようにいわれているんです」

文部科学省はネットのいじめ防止を問題視し、積極的に防止活動を行うよう指導している。もう一つ文科省が取り組んでいることが、’07年のいじめの定義の変更である。「いじめは被害者が苦痛を感じたら存在する」としたのである。

1年半も担任をした生徒が亡くなったにもかかわらず、その一周忌に自らの意志で顔を出せない担任教師、真実を語れない学校関係者。学校とはそれほどまでに複雑な組織なのか。改めて、事実と向き合う教諭たちの良心を信じたいのだが。

中学時代の匠君。彼が同級生の中傷コメントを書いたのは無料ゲームサイト「モバゲー」だった
  • 取材・文・写真須賀 康

    '50年、生まれ。国学院大学卒。週刊誌を主体に活躍。政治や経済など「人と組織」をテーマに取材。学校のいじめ自殺や医療事故などにも造詣が深い

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