愛知・高2美少女飛び降り自殺 いじめ調査を拒否した学校の言い分

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小学校3年生の時から児童劇団に所属していた美桜子さん。将来の夢は女優になることだった

“いじめ自殺”を振り返る ジャーナリストの取材現場から

小中高校の’19年のいじめ認知件数は、前年度の約41万件から大幅に増加し54万件以上に達した。実に31%の増加だ。みずから命を絶った生徒も322人いる。なぜいじめは減らないのか。少年事件に詳しいジャーナリストの須賀康氏が深層に迫る。取り上げるのは、’06年8月に愛知県内で起きた、高校2年生少女の飛び降り自殺だ。

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「いじめを受けていた時に、死んだわけじゃないんです。いじめられた時の記憶が、美桜子を自殺に追い込んだんです」

こう涙ながらに話すのは、’06年8月18日に亡くなった高橋美桜子さん(当時16)の母親、典子(同54)さんだ。愛知県豊田市の私立南山国際高校2年生だった美桜子さんは、過去のいじめの影響で突然パニック症状が現れるPTSD(心的外傷後ストレス障害)などを発症し、治療中に自宅マンションの8階から飛び降り自らの命を絶った。

搬送された病院で美桜子さんの遺体と対面後に自宅に戻った典子さんは、居間のテーブルの上にノートを破いて書かれた遺書を見つけた。

〈まま、大好きだよ。みんな大好きだよ。(中略)でもね、もうつかれたの。みおこの最後のわがまま聞いてね。(中略)本当にみんな愛してるよ。でも、くるしいの〉(原文ママ)

美桜子さんは、カナダのトロント市でカナダ人の父親と典子さんとの間に生まれた。両親の離婚後、4歳半の時にカナダから帰国。祖母のいる愛知県刈谷市に3人で暮らした。’02年、典子さんが英語科教員として勤務する市邨(いちむら)学園短期大学(現・名古屋経済大学短期大学部)の系列の市邨中学に入学する。ところが、1年の夏休み頃からいじめが始まり、同級生ら8人から「うざい」「きもい」「死ね」などの言葉を日常的に投げつけられるようになった。3学期にはスカートを切られる、靴の中に画鋲を貼り付けられるなど、いじめがさらにエスカレートしていった。当時の美桜子さんの様子を、典子さんが苦しそうに振り返る。

「いじめられている美桜子を見かねて、担任に何度も相談しましたが『分かりました』という生返事ばかりで、いじめを放置され続けていました。1年の終業式の朝も嫌がらせを受け、美桜子は下校途中泣きながら『我慢してきたけどもう市邨だけは絶対嫌だ』と、私の携帯に電話をしてきました」

‘03年4月に岩倉市立岩倉中学に転向するが、授業を受けている最中に突然パニック状態に陥り「みんなが死ねって言っている」と叫ぶなどの異変が現れた。市邨中学時代のいじめの光景がフラッシュバックして身体が動かなくなるなどの症状が美桜子さんを襲い始めたのだ。心療内科に通いPTSDと診断されてクスリを常用するようになったが症状は改善せず、2学期からは不登校になった。’04年2月には外国籍や帰国子女だけを受け入れている中高一貫校の南山国際中学校に転向するが、その後も多重人格が現れる解離性同一性障害などを発症させ自殺未遂を繰り返すようになる。そして過去の記憶に耐えかね、’06年8月に16歳の短い生涯を終えてしまったのである。

美桜子さんは、小学校3年から児童劇団に所属し女優を目指していた。’06年8月12日と13日に名古屋の芸術文化センターで行われた、夏季講演「銀河鉄道999」の赤ゲラ役が最後の舞台となった。自殺する5日前のことだった。

調査依頼を何度も拒否した学校

真っ赤なマジックで書かれた美桜子さんの遺書。遺書はもう1枚あり、同じ文言が赤く細いボールペンで書き残されていた

〈市ムラのやつなんかにはまけないゾ!!  〇〇〇〇(生徒名)、〇〇〇〇(生徒名)……最後に××××(教師名)!! おぼえとけ! お前なんかギタ×2にしてやる〉

美桜子さんが中学2年の時、テスト勉強のノートの表紙に書つけた8名のいじめ加害者と担任の実名だ。典子さんは娘の遺品整理をしていて見つけたこのノートから、娘の自殺は市邨中学時代のいじめが原因と確信する。典子さんは娘の死の真相究明を始めるが、学校の対応は呆れるばかりだった。

「学校にいじめの実態調査を何度も求めましたが、拒否され続けました。それどころか、『線香を上げに行けば学校がいじめを認めたことになる』と一切の謝罪を拒否され、話し合いは平行線を辿りました」

自殺の民亊訴訟の時効が迫り切羽詰った典子さんは時効直前の’09年8月11日、市邨学園、理事長、校長、担任、そして加害生徒8名と保護者15名に対し、損害賠償を請求する民事訴訟を名古屋地裁に起こした。

典子さんが訴えた裁判は、いじめが4年も前に遡るため事実認定が困難を極めると思われた。だが裁判では加害者の実名の遺書があり、専門医による美桜子さんの診断書や証言。また、何度も担任を始め学校にいじめの相談をしている事実など、母が集めた数多くの証拠が判決に功を奏した。

’11年5月20日、名古屋地裁はいじめの事実、自殺との因果関係や自殺予見可能性があったとして学校の責任を認めた判決を下した。また、加害生徒と保護者とは裁判の終盤ですでに金銭による和解が成立していた。

ところが、学校側は敗訴判決を不服として即日、名古屋高等裁判所に控訴してきたのである(’12年12月、高裁は学校側に不法行為があり、いじめを放置していたとし、PTSDの因果関係を認めた)。市邨中学校をはじめ、名古屋経済大学など幼稚園から大学院までを経営するグループの責任者・末岡熙章理事長の自宅を尋ねた。理事長は、玄関で辟易したような顔でこう答えた。

「(美桜子さんは)うちの生徒ではなくなっているし、(加害)生徒たちはいじめではないと証言していますから謝罪といわれてもね。いじめというよりいたずらです。(一審)判決が(いじめを)認め敗訴してもわたしたちとしては(いじめは)なかったとしかいえない」

あくまで理事長はいじめがあったことを認めず、頑なに学校に非はないと繰り返すのだ。

南山国際高校1年の時美桜子さんは、中学時代に受けたいじめを振り返り「自分との戦い」と題する作文を書いている。

〈いじめを受けた人は深い心の傷を負い、いじめを思い出しては何年も苦しむのです。(中略)何故昨日まで仲良くしていた友達がそんな事をするのか。裏切られた気持ちと自分のみに何が起こっているのかが分からない気持ちでいっぱいになりました。そして、いじめはどんどんエスカレートしていきました〉

この作文を書いた1年後に、美桜子さんは自らの命を絶ったのだ。生きたいという強い思いが作文の最後にこうした文字で綴られていても、学校はいじめを認めようとはしない。

〈いじめは人の心を殺します。絶対にあってはいけないものです。この世からいじめがなくなる事を私は一生願い続けます。(中略)私達一人一人がいじめの悲惨さについて考え、いじめを絶対に許してはならないと強い気持ちで立ち向かうこと、それがまず第一歩だと思います。もしあなたがいじめに遭遇したら見てみぬふりをしないで下さい〉

文部科学省は8月31日、いじめ対策等総合推進事業を来年度から実施する方針を決めた。臨床心理の資格を持つスクールカウンセラーの増員や外部人材による相談窓口の整備、教員の研修が柱だという。だがそれだけではいじめはなくならない。いじめはいまも全国の学校で広がり続けている。加害者や学校が「ただのいたずら」という安易な意識がぬぐえない限り、いじめの被害者は後を絶たない。

母親の典子さんが送った「いじめ問題を解決してほしい」という嘆願書。理事長により何度も「受取拒否」された
母親の典子さんと美桜子さんの遺影。友人たちが送った手紙や花などが飾られていた
  • 取材・文・撮影須賀 康

    '50年、生まれ。国学院大学卒。週刊誌を主体に活躍。政治や経済など「人と組織」をテーマに取材。学校のいじめ自殺や医療事故などにも造詣が深い

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