川崎・中2少年猛毒自殺 遺書に残された“加害者4人の言い分” | FRIDAYデジタル

川崎・中2少年猛毒自殺 遺書に残された“加害者4人の言い分”

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“いじめ自殺”を振り返る ジャーナリストの取材現場から

息子の死を悲しむ両親の宏明さんと真紀さん。居間には真矢君の思い出の写真が多く飾られていた
息子の死を悲しむ両親の宏明さんと真紀さん。居間には真矢君の思い出の写真が多く飾られていた

64万件――。文部科学省によると、’18年度の小中高校のいじめ認知件数は過去最多を記録したという。なぜ、子どものたちのいじめは減らないのか。ジャーナリストの須賀康氏が、過去の事件から問題の深層を追う。取り上げるのは、’10年6月に起きた中学2年生の壮絶な猛毒自殺だ。

********************

〈毒ガス発生。扉を開くな〉

‘10年6月7日午後3時頃、川崎市麻生区の自宅1階トイレのドアに、こう赤いボールペンで大きく書かれた紙が貼りつけられた。そのトイレの中で硫化水素ガスを発生させ、川崎市の公立中学2年の篠原真矢君(当時14)は自らの命を絶った。

トイレの便座の上には、A4版の紙1枚に鉛筆で綴られた遺書が置かれていた。いじめに遭っている友人を救えなかった苦悩と、その友人を庇ううちに、自分もいじめられた辛さを死という最後の手段をもって訴えたのだ。

〈俺は「困っている人を助ける、人の役に立ち優しくする」それだけを目標に生きてきました。でも(中略)E(友だちの名前)のことを護れなかった……〉(原文ママ、以下同)

さらに、いじめた加害者4人の実名を上げてこう続けている。

〈俺はEをいじめたA、B、C、Dを決して許すつもりはありません。奴等は例え死人となっても必ず復讐します〉

加害者を強い言葉で断じるその一方で、家族に対してこう書き置いている。

〈家族のみんなにはお願いがあります。自分たちをどうか責めないで下さい。俺が死ぬのは家族のせいじゃありません。俺とEをいじめた連中が悪いんです〉

真矢君の家は、県外に単身赴任している父親の宏明さん(同48)と母親の真紀さん(同46)、3つ違いの兄と祖母の5人家族。事件のあった6月7日は、関西への修学旅行の翌日で学校は代休日だった。真紀さんが、自殺している真矢君を発見したのは午後5時少し前。真紀さんが、その時の様子を声を震わせ振り返る。

「トイレのドアに鍵がかかり、目張りもしてありました。直矢の姿はなく、一瞬不安が過ぎりドライバーを持ってきてドアをこじ開けたんです」

便座の左側には頭を奥に、体を横に向けて倒れている真矢君の姿があった。すぐに救急車を呼び病院へ搬送するが、ほぼ即死状態。除草剤と除菌剤を混ぜて発生する、猛毒の硫化水素ガスを吸い込んだ自殺だった。宏明さんは、真紀さんの電話で急ぎ赴任先から戻った。

「普段の真矢に変わった様子はなく、なぜこんなことになったのか、いくら考えても(自殺の)原因などまったく思い当たりませんでした」(宏明さん)

その日の午後11時頃、警察から便座の上にあったという遺書を渡された。そこには加害者の実名が入っており、真矢君の自殺は自分と友達へのいじめが原因だったことがわかった。

「ノーコメントです。ノーコメント」

真矢君の遺書。加害者への強い復讐心と家族への気遣いが感じ取れる。最後は〈本当に今までありがとう。だから俺の分まで精一杯生きて下さい〉との言葉で締めくくられていた
真矢君の遺書。加害者への強い復讐心と家族への気遣いが感じ取れる。最後は〈本当に今までありがとう。だから俺の分まで精一杯生きて下さい〉との言葉で締めくくられていた

駆けつけた校長に、両親は遺書にあった4名に何があったのか聞きたい、会わせて欲しいと頼んだ。2日後、両親は校長に伴われて来た加害少年とその家族と、真矢君の遺体の置かれた自宅の居間で対面する。宏明さんが語気を強めて言う。

「何があったのか教えて欲しい、と尋ねても彼らは『さっぱりわからない』というだけでした。謝罪の言葉は彼らの親からも一切なく、『突然のことで子どもたちは動揺している。(話を聞くのは)勘弁して欲しい』と横から口を出し子どもたちが話すのを遮りました」

真矢君は小さい時から野球が好きで少年野球チームに入り、中学2年では生徒会の役員として活躍するなどクラスの人気者だった。将来は警察官になることが夢だと語り、正義感が強く自分がやることを真っ直ぐ貫くタイプだったと同級生は証言する。遺書にあったE君とは小学校から同級で、同じ野球チームに属し、家族ぐるみで付き合う間柄だった。そんな真矢君が友人をかばっているうちに、いじめの矛先が徐々に自分に向かっていった。E君は告別式の納棺の際、直矢君にこうメッセージを残している。

「中学校に行って俺が困っているのに、助けてくれたのは真矢だけだった。言葉では表せない感謝の気持ちでいっぱいです。逆に真矢が困っている時に、俺は助けることが出来なくて本当にごめんなさい」

「いじられキャラ」として、真矢君は遺書に名前の書かれた4人からいじめられていたのだ。事件後に両親が、同級生から聞いた真矢君へのいじめの内容を話す。

「4対1で一方的にやられるプロレスごっこや、4人に羽交い絞めにされて下着まで脱がされることもあった。殴られたり蹴られたりの暴力は、日常的だったようです」

遺書の中でいじめを受けたE君に対してはこう書き残していた。

〈Bとかクラブチームの奴にやられたら、親や友達に相談しな。お前は優しいから、誰にも迷惑かけたくないと思っているのかもしれないけど、それは違うぞ。人は支えあって生きていくもんだからな〉

子どもたちが助けを求める声は小さい。だから周囲の大人たちが、子どもたちの声に耳を澄ませなければならないのだ。しかし、真矢君たちの声を受け止めるはずの学校の対応はあまりにひどいものだった。「遊びだと思った」「把握していない」として、いじめ行為を認識しようとはしなかったのだ。いじめの事実が認定されたのは、真矢君の自殺後に学内に調査委員会が設けられた約3ヵ月後だった。

遺書に実名が挙げられた4名の加害者のうち3名は、’10年8月24日に暴力行為法違反で横浜地検川崎支部に書類送検され横浜家庭裁判所に送致。そして、’11年3月3日の少年審判で保護観察処分が下された。当時13歳だった少年は児童相談所に通告された。しかし、中学を卒業した加害者たちは、順調に高校に進学。当時の校長は、11年3月に定年退職後、横浜市内にある公益法人に天下りした。普段は事務所にはおらず、川崎市内の自宅にいるという校長を訪ねた。

「その件はもう時間も経っていますから」とインターホンを切ろうとする校長に、事実を知りたいとする遺族の思いをなぜ聞かなかったのか重ねて尋ねた。

「ノーコメントです。ノーコメント」

と逃げるように繰り返した。高校に進学した加害者とその家族は、その後事件とどう向き合っているのか、それぞれの自宅も訪ねた。同級生のAの母親とは自宅前で会った。呼びかけると、驚いて足を止め怒ったようにこう口を開いた。

「何ですか突然。何でそんな事を聞くんですか。そんな事ノーコメントです。何度来ていただいても、お話しすることは一切ありません」

野球チームで副キャプテンだったBの自宅を訪ねると、インターホンに母親らしい女性が出た。「篠原君の件で」と言うと、声を詰まらせながら「私は留守番で分かりません。家族は皆病院へ行きいつ帰るか分かりません」と苦しそうな声が聞こえてきた。その後CとDの自宅も訪ねるが電話にも一切応答がなかった。

<必ず復讐します>との憎しみを露わに死んでいった真矢君。遺族は学校と市がいじめを認め、司法が加害者たちに刑事罰を下したことで加害者たちへの怒りの言葉を飲み込み、納得しようと務めている。だが、遺族の悲しみと怒りは決して消えることはない。いじめをなくすには、教育現場が早くいじめに気付き、その悲惨さを伝えていくことしかない。

亡くなる約2ヵ月前の真矢君。学校の校庭で撮られた写真だ
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自殺現場となったトイレ。便座の右側には二つのバケツと除菌剤が置かれていた
自殺現場となったトイレ。便座の右側には二つのバケツと除菌剤が置かれていた
野球が好きだった真矢君の遺品。遺言には左下のバッティンググローブを〈形見にして下さい〉と書かれていた
野球が好きだった真矢君の遺品。遺言には左下のバッティンググローブを〈形見にして下さい〉と書かれていた
  • 取材・文・撮影須賀 康

    '50年、生まれ。国学院大学卒。週刊誌を主体に活躍。政治や経済など「人と組織」をテーマに取材。学校のいじめ自殺や医療事故などにも造詣が深い

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