コンサバ系アイドルだった中山美穂がバブルを席巻した名曲の数々 | FRIDAYデジタル

コンサバ系アイドルだった中山美穂がバブルを席巻した名曲の数々

J-POPの神様・筒美京平の世界。 Vol.2

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松本=筒美=船山のゴールデントリオが中山美穂で結実した、ダンス・ビート歌謡最高峰の三部作

J-POPの礎を築いたといわれる偉大なヒットメーカー、筒美京平。わたくしサリー久保田が毎回ひとりの’80年代アイドルを取り上げ、そんな京平サウンドの魅力について筆をとらせていただております。第2回は中山美穂です。 

筒美京平は中山美穂に、デビュー曲「C」(1985年)から「派手!!!」(1987年)まで、6枚のシングル曲を提供しています。中でも作詞・松本隆、編曲・船山基紀で臨んだ「ツイてるねノッてるね」(1986年/大村雅朗と共同アレンジ)「WAKU WAKUさせて」(1986年)、「派手!!!」(1987年)の三部作は中山美穂アイドル時代の最重要曲であり、同時に京平ダンス・ビート歌謡の集大成といわれています。これらの名曲はどうやって完成したのか!? 今回はそのルーツも辿りながらお話ししますね。

デビュー曲「C」はドラマ『夏・体験物語』の主題歌。中山美穂と少女隊のちょっときわどいシーンが多かったような。’80年代はおおらかな時代でしたね。ジャケットの衣装はわざと清楚に!?
デビュー曲「C」はドラマ『夏・体験物語』の主題歌。中山美穂と少女隊のちょっときわどいシーンが多かったような。’80年代はおおらかな時代でしたね。ジャケットの衣装はわざと清楚に!?
セカンドシングル「生意気」(1985年)は松本=筒美=船山のゴールデントリオ、初のミポリン曲。哀愁のあるモータウン・ビート
セカンドシングル「生意気」(1985年)は松本=筒美=船山のゴールデントリオ、初のミポリン曲。哀愁のあるモータウン・ビート
「BE-BOP-HIGHSCHOOL」(1985年)。小麦色の肌、当時流行の太い眉、そして八重歯、すべてがいとおしく思える胸キュン・ソング。編曲は萩田光雄なのでギターフレーズがかっこいい!
「BE-BOP-HIGHSCHOOL」(1985年)。小麦色の肌、当時流行の太い眉、そして八重歯、すべてがいとおしく思える胸キュン・ソング。編曲は萩田光雄なのでギターフレーズがかっこいい!

すべては作詞家・松本隆の“ミポリン推し”から始まった

中山美穂は1985年、ドラマ『毎度おさわがせします』で女優としてデビュー。ドラマではツッパリ少女役、同年の映画『ビー・バップ・ハイスクール』でもヤンキーたちのマドンナを好演するなど、女優と歌手を兼業しながら、それまでのぶりっ子アイドルとは違う魅力を発揮していきます。同期はおニャン子クラブ、南野陽子、本田美奈子、斉藤由貴など。

タヌキ顔が多い女性アイドルの中で、中山美穂はキリッとした目元が印象的なキツネ系美人。また、ファッション雑誌『ViVi』のカバーガールの常連だったこともあって、コンサバ系のお姉さんたちにも一目置かれる存在となります。

そんな彼女の魅力にいち早く注目したのが、作詞家の松本隆でした。TVを観て中山美穂を気に入った松本隆は自ら作詞を志願。一説によると本田美奈子のレコーディングでスタジオ入りしていた筒美京平を訪ね、曲を書いてほしいと直談判したらしいです。

デビュー曲「C」の〝ツッパリ、ちょいワルで早熟だけど、実は繊細な女の子〟という詞の世界観と中山の拙い歌声がみごとにマッチし、歌手としても好スタートを切りました。京平ダンス・ビート歌謡の最高峰が生まれたきっかけは、実は松本隆のミポリン推しにあったんですね。

ワンレンボディコンお立ち台。バブル絶頂期の「ツイてるねノッてるね」で初のトップ3入り

ダンス・ビート三部作が生まれた頃の日本は、まさにバブル絶頂期。元祖お立ち台のマハラジャを筆頭にディスコ人気(第二次ディスコブーム)が高まり、女の子たちはみんな平野ノラみたいな(ちょっと古いか?)ワンレンボディコン。歌謡界でも荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」(1985年)、森川由加里の「SHOW ME」(1987年)といった洋楽カバー曲が大ヒットしました。そんな時代に登場したのが中山美穂7枚目のシングル「ツイてるねノッてるね」(1986年)です。

正確には、編曲は大村・船山の共同アレンジですが、ここから至極の三部作が始まります。小泉今日子やC-C-Bなどで培った成功と実績が、中山美穂で大爆発します。

筒美京平は受注が来て曲を書く職業作家なので、とにかく売れることがマストの使命。自分の書いた曲がオリコンのベスト10内に入らなかったら意味がないという意識を常に持ち続けていました。当時の洋楽シーンはカイリー・ミノーグやバナナラマといったユーロビートが全盛。そんな洋楽のエッセンスを取り入れつつ、どこか懐かしいメロディーに最先端の音を組み合わせるのは、筒美京平が得意とするところでした。

サビのコードはBm→Em→A7→Dとスムーズに流れる5度進行で、〝♪ツイてるね、ノッてるね〟はメロも歌詞もシンプルなのにとってもキャッチー。グッと来ますもんね。時代の後押しもあり、この曲は中山美穂初のチャート3位となります。

「ツイてるねノッてるね」(1986年)。裏面には応募券が付いていて、4枚集めると、なんと中山美穂といっしょに東京ディズニーランドに行けたのだ。抽選で100名って、けっこう多いよね
「ツイてるねノッてるね」(1986年)。裏面には応募券が付いていて、4枚集めると、なんと中山美穂といっしょに東京ディズニーランドに行けたのだ。抽選で100名って、けっこう多いよね

ヒットのベースにあったのは’60年代からソウル・ディスコに向き合ってきた筒美京平のパッション

筒美京平がこの曲を発表するまでには、’60年代、’70年代と、常に最先端のサウンドでダンサブルな路線を追求してきた経緯がありました。筒美京平以前の歌謡曲というのは、演奏は後ろに引っ込んでいて、ボーカルを引き立てるだけのものでした。

けれど筒美京平はドラムやベースといったボトムの低い楽器隊のリズムが印象に残る楽曲を次々と発表。それが如実に現れているのは、例を挙げるなら’60年代の実力派シンガー、弘田美枝子の「渚の天使」(1968年)であり、’70年代では平山三紀の「真夏の出来事」(1971年)です。DJをするときに、「渚の天使」から「WAKU WAKUさせて」につなげても、何の違和感もないといえばわかっていただけるでしょうか。

「真夏の出来事」はモータウン風のリズムが効いたイントロに、歌とコーラスやストリングスが同じ比重で成り立つアレンジがすばらしく、日本の歌謡曲と洋楽のポップスが最高の形で紡ぎ合った奇跡の1曲。当時、小学生だったわたくしは、〝なんてシャレてるんだ! これ歌謡曲? それとも外国の曲?〟とビックリしたもんです(笑)。

同年にヒットした歌謡曲が「わたしの城下町」(小栁ルミ子)や「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)だった時代に、この〝舶来っぽい〟サウンドは衝撃でした。歌謡曲がリズムを持ち、ダンスを意識し始めたのは筒美京平がいたから。ここからJ-POPがスタートしたといっても過言ではありません。

’70年代半ば以降は、岩崎宏美の「センチメンタル」(1975年)、浅野ゆう子の「セクシー・バス・ストップ」(1976年/Jack Diamond名義)、「ギンギラギンにさりげなく」(近藤真彦/1981年)などなど、アイドルに特化したディスコ歌謡がこれまた秀逸。そこにあるのは一緒に歌って踊れるということだけです。そういえば、筒美京平は曲のテンポを決めるときに、これで良いなと思ったテンポよりもほんの少しだけ早くするそうですよ。とにかくソウル・ディスコに真剣に向き合ってきた筒美京平のパッションがスゴすぎます。 

浅野ゆう子といえば女優さんのイメージだけど、はじまりはアイドル歌手。キャッチフレーズは「ジャンプするカモシカ」でした。「セクシー・バス・ストップ」は筒美京平のインストルメンタル・グループが出した同名曲のカバー。この頃はアフロヘアに挑戦していました!
浅野ゆう子といえば女優さんのイメージだけど、はじまりはアイドル歌手。キャッチフレーズは「ジャンプするカモシカ」でした。「セクシー・バス・ストップ」は筒美京平のインストルメンタル・グループが出した同名曲のカバー。この頃はアフロヘアに挑戦していました!

煌びやかなアレンジがたまらない! 最高峰の「WAKU WAKUさせて」満を持して誕生

三部作第二弾であり、京平ダンス・ビート歌謡の最高峰「WAKU WAKUさせて」は、そんな背景があって生まれました。曲のヒントは十中八九、「ピストル・イン・マイ・ポケット」(ラナ・ペレー/1986年)ですが、作曲家になる前はポリドールで洋楽のディレクターをしていたこともあり、洋楽のトレンドから〝これは日本人に絶対ウケる!〟という部分を嗅ぎ取って自分の曲にうまくアレンジするのは、筒美京平の得意とするところでした。

それは、例えば桑田佳祐にも言えることで、曲調は洋楽でも、サビは絶対に日本人の好きな旋律になっています。そういう先天的な〝嗅ぎ取り〟の才能があるからこそ、ふたりとも大ヒット曲を出せるのだと思います。

WAKUWAKUさせて」では、歌謡曲は幕の内弁当だと言わんばかりに、シーンごとに打ち込みの音色を変えた煌びやかなアレンジやコーラスが、これでもかと展開していきます。イントロからして音がでかくて低いボトムのビート、もう踊りたくなるところに〝♪WAKU WAKUさせてよ〜〟と、前作よりさらに覚醒した中山美穂の歌がビンビンに伝わってきます。

筒美京平が’60年代からひたすら洋楽のアレンジやサウンドを研究し、既存の歌謡曲に革命をもたらし続けた答えはビートの強調であり、リズムの革新性であり、いかに派手にかっこよく、ハイセンスでいられるか、というところにあったのではないでしょうか。この曲はまさにユーロビート歌謡の傑作ですが、ヒットチャートでは残念ながら3位に留まり、次作「派手!!!」の2位につないでいきます。

京平ダンス・ビート歌謡の最高峰「WAKUWAKUさせて」。裏面には「ニューアルバム●12月18日発売」の記載。これは松本=筒美=船山トリオで作りあげたコンセプトアルバムの名盤『エキゾティック』のこと
京平ダンス・ビート歌謡の最高峰「WAKUWAKUさせて」。裏面には「ニューアルバム●12月18日発売」の記載。これは松本=筒美=船山トリオで作りあげたコンセプトアルバムの名盤『エキゾティック』のこと

「派手!!!」の元歌は小泉今日子の「なんてったってアイドル」!?

松本=筒美=船山トリオの三部作、最終章の「派手!!!」。中山美穂はこの曲が主題歌となったドラマ『ママはアイドル』に主演し、ドラマでの愛称“ミポリン”がお茶の間に定着しました。ストーリーは岡崎友紀と純アリスの『ママはライバル』(1972年)をベースにしていますが意外とハマってしまい、当時よく観てました(笑)。後藤久美子も可愛かったですね。曲の方もタイトルと同じく“派手”なブラスのフレーズが印象的で、ファンキーなノリになっています。

新人歌手やアイドルの曲は歌いやすさを考慮して、メロディーは大体1オクターブ以内、地声で歌える範囲で作るというのが一般的です。でも「派手!!!」は音域が1オクターブ以上あり、さらに〝♪派手 だね〟と音の飛び幅が広いので、3曲の中ではいちばん難しい気がします。でも、ミポリンはもともとアイドル然とした美しい歌声なので、素敵に歌いこなしてましたね。

また、この曲は同じく筒美京平作品の「なんてったってアイドル」(1985年)によく似ています。連載第一回の小泉今日子編でも触れましたが、この曲は当時のアイドル界に衝撃をもたらしました。これはわたくしの勝手な憶測ですが、中山美穂のスタッフが、同じようなインパクトが欲しくて筒美京平にお願いした気がして仕方がありません。松本隆の歌詞も秋元康の詞を参考にして〝オープン・カー 飛び乗るとき〟とか入れてますし。2曲を聴き比べてみるのも楽しいと思います。

三部作の最終章「派手!!!」。松本隆は近年、中山美穂には「松本らしくない歌詞を書いていた」と述懐していますが、それでもミポリンに対する情熱は伝わってきます。このシングルには卓上カレンダーも付いていました
三部作の最終章「派手!!!」。松本隆は近年、中山美穂には「松本らしくない歌詞を書いていた」と述懐していますが、それでもミポリンに対する情熱は伝わってきます。このシングルには卓上カレンダーも付いていました

中山美穂はこの後、シティ・ポップやブラコンを基調とした角松敏生(「CATCH ME」や「You’re My Only Shinin’ Star」など)に作曲をバトンパスし、1位を連発していきます。三部作では1位こそ逃したものの、やはりこの3曲があったからこそ、それが土台となり、何を出してもヒットするトップアイドルになっていったのではないでしょうか。

角松敏生に加え、よりコンテンポラリーな作風のCINDY(「人魚姫 mermaid」など)といった作家陣も迎え、女優としてのトレンディなイメージと共にアイドル期から脱却した彼女は、さらに’90年代も女優兼歌手として成功し続けていくのですが、シングルが頻繁に主演ドラマや化粧品のCMソングに使われた中山美穂は、なんといっても楽曲に恵まれました。

筒美京平のリズムものに関するわたくしなりの究極の結論は、とにかくベースラインがかっこいい。そして音がでかい。自分がベーシストだから言うわけではありませんが、昔の歌謡曲のアレンジというのは、うわもののストリングスやブラスは凝っていても、ベースは頭打ちぐらいの普通な感じが多く、多分そこまでは気にしていなかったと思います。でも、筒美京平は違いました。’60年代から京平サウンドのボトムを支えてきたのは江藤勲、寺川正興、武部秀明などの凄腕ベーシストたち。強調されたリズムやビートは永遠です。

 

最後に、わたくしが’70年代、’80年代で好きな京平ダンス・ビート歌謡トップ3を参考までに(発売年度順)。機会があれば聴いてみてくださいね。

■’70年代

  • ◎「恋のチャンス」B-B-S(1972年)
  • 黒人ハーフ3人組グループによるファンキー・ソウル歌謡の隠れた名曲。’70年代デトロイト・ソウルの匂いがする楽曲は、和モノDJにも大人気。
  • ◎「君は特別」郷ひろみ(1974年)
  • 16ビートのクラヴィネットを大フューチャーし、ユニセックスな男性アイドルとソウル・ミュージックが可憐にミックスしあった麗しのナンバー。
  • ◎「パピヨン」岩崎宏美(1976年)
  • シングル「ファンタジー」のB面。アルバム・バージョンは糸井吾郎のナレーション入りで〝宏美 IN ディスコ〟というかけ声で始まるよ。今で言えば、DJ OSSHYか(笑)。

■’80年代

  • ◎「情熱☆熱風せれなーで」近藤真彦(1982年)
  • ヴァン・マッコイでオリエンタル風味のディスコ歌謡。わたくしも昔、DJでバンバンかけてましたっけ。
  • ◎「ABC」少年隊(1987年)
  • 船山基紀アレンジの生演奏とデジタルのコラボがよりゴージャス感を生みだし、京平メロディーを華やかにした、日本ポップス史に燦然と輝く名盤。
  • ◎「ロコモーション・ドリーム」田村英里子(1989年)
  • 最後はみんなで楽しくリニア・エクスプレスに乗ってロコモーション・ダンスだよ。やっぱし京平メロディーはキラキラしてるね。

参考資料/『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(リットーミュージック)、高護『歌謡曲―時代を彩った歌たち』(岩波新書)

【Vol.1】「新人レース落選の小泉今日子をトップアイドルにした筒美京平の神業」はコチラ

  • 文・ロゴデザイン・イラストサリー久保田

    アートディレクター、グラフィックデザイナー、映像ディレクター、ミュージシャン。ミュージシャンとしてはザ・ファントムギフト(1987年・ミディ)、les 5-4-3-2-1(1992年・コロムビア)、SOLEIL(2018年・ビクター)でデビュー。音楽監督を務めた映画『GSワンダーランド』(2008年・本田隆一監督)では、憧れの筒美京平作品(劇中歌「海岸線のホテル」)のアレンジを手がけた。現在、SOLEILのラストコンサートを収録したDVD『LIVE AT VEATS』(ビクター)が絶賛発売中。

  • 構成井出千昌

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