松本伊代 デビュー曲大ヒットの理由は「ヘン声」だったから…?

J-POPの神様・筒美京平の世界。 Vol.3

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当時の担当ディレクターが語る松本伊代&筒美京平の魅力

J-POPの礎を築いたといわれる偉大なヒットメーカー、筒美京平。わたくしサリー久保田が毎回ひとりの’80年代アイドルを取り上げ、そんな京平サウンドの魅力について筆をとらせていただいております。

今回登場するのは松本伊代です。デビュー当初から制作に携わり、’82年から’84年までディレクターをされていた川原伸司さんにもたっぷりとお話を伺いましたので、併せてお楽しみください! 

「センチメンタル・ジャーニー」。髪型は当時のアイドルの定番、聖子ちゃんカット。小泉今日子、堀ちえみ、早見優など〝花の82年組〟はみんな同じ髪型でしたね。B面の「マイ・ブラザー」は松本伊代で唯一、筒美京平が編曲までしている作品

’80年代、筒美京平がいちばん最初に手がけた女性アイドルが「松本伊代」

松本伊代は、いわゆるアイドル豊作年〝花の82年組〟のひとり(正確には’81年デビューですが)。デビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」(1981年)が自身最大のヒット曲で、なおかつ日本レコード大賞新人賞を受賞。パブリックイメージ的にもこの曲の歌詞〝伊代はまだ~〟が有名ですね。筒美京平にとって松本伊代は、’80年代に入り、いちばん最初に手がけた女性アイドルでした。

デビューから4曲立て続けに京平作品と、恵まれたスタートを切った松本伊代。なぜ筒美京平だったのかを川原さんにうかがったところ、興味深い裏話を教えてくれました。

「パッとあの声を聴いたときに、〝京平さんだよね〟となった。松本伊代は普通の女の子より声が1音低いんですよ。一般的な音域はG(低音)〜C(高音)だけど、彼女はFB♭。京平さん、ヘンな声が好きなんですよ」(川原伸司さん 以下同)

’70年代に筒美京平が好んで手がけた平山三紀(のちに平山みきに改名)、南沙織、郷ひろみ、そして今回の松本伊代。みなさん歌声のキャラが立っていて、一聴してすぐ誰かわかる歌手の方々です。特に松本伊代の低めで鼻にかかった声は、平山三紀を彷彿とさせました。さぞかし制作にも力が入ったことでしょう。

「ハイトーン、アルト系、なんでもいいんですよ。〝一度聴いたら忘れられない声〟が好きなんだよね。郷ひろみの声を初めて聴いたときは、僕も〝ナニ考えてるんだろう。ジャニーズすごいな〟と感心したもの(笑)。

欧米のポップスって、今でこそ形が決まってしまったけど、ヘンな声の人がいっぱいいたから。ザ・モンキーズのデイビー・ジョーンズなんてネズミが歌ってるような声だもんね」

ちなみに筒美京平の実弟で音楽プロデューサーである渡辺忠孝さんによると、’80年代、京平さんがもっとも好きだったヴォーカリストはC-C-Bの笠浩二とのことでした。次回はC-C-Bの特集にしましょうか。みなさん、いかがでしょうか(笑)。

ノスタルジックなポップスの流行を受け、往年の名曲からタイトルをつけたファースト&セカンドシングル

松本伊代がデビューした’80年代初頭、洋楽では’60年代を感じさせるノスタルジックなポップスが流行っていました。

有名なところでは、クイーンのエルヴィス・プレスリーへのオマージュ曲「愛という名の欲望」、ダイアナ・ロスでリバイバルヒットした’50年代の名曲「恋はくせもの」、キャンディ・ポップといわれたノーランズの「恋のハッピー・デート」やザ・ドゥーリーズの「ストーン・ウォール」、シーナ・イーストンの「9 to 5 モーニング・トレイン」などなど。どれもアイドル性のある洋楽ナンバーばかりです。

そんなバックボーンの中、登場したのが松本伊代の「センチメンタル・ジャーニー」です。

作詞は女性洋楽ロック評論家のパイオニアでポール・マッカートニーとお友達(うらやましい)の湯川れい子。アレンジは後に『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』の音楽を手がける鷺巣詩郎。そして最初のプロデューサー兼ディレクターはなんと、ピンク・レディーを大成功に導いた飯田久彦と洋楽人脈に強いロビー和田という強力タッグでした。

飯田久彦は’60年代、ロカビリー歌手として「ルイジアナ・ママ」を大ヒットさせた方です。「センチメンタル・ジャーニー」の仮歌も、飯田自らが〝♪読み捨てられるーん〟〝♪16だ~から~ん〟と歌って歌唱指導し、それを松本が真似したのだとか。これって「ルイジアナ・ママ」の歌唱では(笑)。

この曲は詞先で、筒美京平は後から曲をつけたそうですが、最初に詞を見て彼が驚いたのは、サビの前と最後に〝センチメンタル・ジャーニー〟という歌詞が2回出てきたところ。この難問を筒美京平は実に見事に解決。同じメロディーなのですが、それを感じさせないBメロ→サビのメロディー展開で〝♪伊代はまだ〜〟を最高に引き立てています。

セカンドシングルの「ラブ・ミー・テンダー」(1982年)も、作詞は湯川れい子です。

タイトルからしてエルヴィス・プレスリー大好きな湯川れい子をイメージしてしまいますが、川原さんによると、2曲ともタイトルは飯田久彦がつけたとのこと。良い意味で周囲の大人たちが楽しく遊んで作った感がひしひしと伝わってきます。

プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」はバラードですが、こちらは実にカラフルで軽快なポップスに仕上がっています。多分僕はこの曲が一番好きです。なぜなら10年ぐらい前、一度だけ松本伊代と仕事をしたことがあって、その時にこの曲のレコードにサインをもらいましたから(笑)。

それはさておき、「ラブ・ミー・テンダー」もシーナ・イーストンやノーランズを彷彿させるオールディーズ風メロディ。僕の大好きなロネッツやシフォンズといった’60年代ガールズ・ポップスが煌びやかに息づいている名曲です。

バックダンサー兼コーラスのふたり組、〝キャプテン〟の存在も大きいですね。彼女たちのコーラス・ワークが初期楽曲の肝になっています。後に彼女たちは〝麻生真美子&キャプテン〟を結成。シングル6枚、アルバム1枚をリリースしました。

「ラブ・ミー・テンダー」。サイン入りですみません(笑)。背景のボケ方が、「ビートルズ・フォー・セール」を連想させます(笑)

実はB面だった「TVの国からキラキラ」。筒美京平のひと言で、速攻A面に!

シングル3枚目はTVの国からキラキラ」(1982年)。川原さんはこの曲から単独ディレクターとなります。作詞も湯川れい子に代わって、当時大人気の職種だったコピーライターの糸井重里が担当。僕はどう見てもピンク・レディーを意識した歌詞だと思っていたのですが、実際はそうではなかったようです。

「アイドルがたくさん出た年だったし、あまり競合することはやりたくないという思いが強かった。あの頃の糸井さんはパルコのキャッチコピー〝おいしい生活〟などで時代の表現者として最先端をいっていたので、頼みに行った。当時のメディアの中心はテレビだったから、タイトルからして面白いなぁと」

TVという広告メディア風な歌詞には当時、人気コピーライターのコマーシャル魂を感じましたね。

この曲の〝ビックリ仰天有頂天〟なハチャメチャぶりはビクター歌謡の伝統でしょうか(笑)。次のシングル「オトナじゃないの」(1982年)も同じ路線。けれど、そんな中でも筒美京平のメロディーは洗練されています。これがピンク・レディーの作曲家、都倉俊一だったら、良い意味でのドメスティック感があるのですが、筒美京平はやはりソフィスティケーテッドされた洋楽を感じさせてくれます。

「TVの国からキラキラ」。松本伊代は最近のインタビューで〝キラキラキラキラ〟ばかりの歌詞がなかなか覚えられなかったと言っていましたよ(笑)
「オトナじゃないの」。歌詞カードがターンテーブル・マットになっていましたが、穴は自分で切らないといけない。難しそう(笑)。そして、なぜダイアナ・ロス?

そして驚くことに、「TVの国からキラキラ」は当初、B面になるはずだったそうです。

「本当は〝魔女っ子セブンティーン〟という曲がA面候補だったんですよ。〝TVの国からキラキラ〟は鷺巣詩郎君が手堅くアレンジしていて、イントロなんかも鷺巣君のアイデアだった。京平さんがスタジオに来てそれを聴いて〝すンごいおもしろい〟って。

それで急きょ〝京平さんがいいと言うから、こっちをA面として仕上げましょう〟ということになった。〝魔女っ子セブンティーン〟はいかにも夏場のマイナーなディスコでかかりそうな、正統派の歌謡ポップスっていう感じの曲でした」

ちなみにこの曲は、全曲を筒美京平が書き下ろしたアルバム『オンリー・セブンティーン』(1982年)のA面1曲目に収録されています。

『オンリー・セブンティーン』では、伊代ちゃん、鼻声でロカビリーのしゃくりあげる唱法「伊代ちゃん風ヒーカップ」を連発。急成長した彼女の歌声と京平作品が見事にマッチした名盤

専門的なことは意識させず、素直に歌わせるのが京平流レコーディング

レコーディング現場での筒美京平の仕事ぶりを聞いてみました。

「レコーディングの時って、つい〝16小節目から転調するから気をつけてね〟とか言っちゃうことがよくあるんだけど、京平さんは〝転調とかいちいち言わないほうがいいんだよ、意識しちゃうから〟と。 

それでメロディーをただ丸暗記させるんですよ。余計なことを言うと力を入れちゃったりして表現が過多になるから。そういうノウハウは京平さんから教わって、松本伊代でもよく使いましたよ。 

京平さんはいつも、リズム録りでは比較的早くスタジオに来るけど、歌録りは1〜2時間経った、いい頃合いの時に来て、パッと聴いて〝いいんじゃない?〟と言って終わる、みたいな感じでしたね」

実は伊代ちゃん、音楽にはあまり感心がなかった!?

ちょっと話がそれますが、ライブ・アルバム『伊代 IN 武道館』(1983年)のB面のロックンロール・メドレーがとても素敵です。特にこの中のビートルズ・メドレーは訳詞家の第一人者である漣健児(さざなみけんじ)の詞が元になっていて、彼が’60年代に〝東京ビートルズ〟というグループに書いた詞を、川原さんが女性用に書き直したそうです。ちょっとマニアックなモードになってきましたね(笑)。

川原さんは日本でも有数のビートルズ・マニアで、ビートルズライクなサウンドで人気だった、ヨッちゃんこと野村義男の〝ザ・グッバイ〟の担当ディレクターでもありました。ちょっとニンマリしてしまいますが、松本伊代本人はビートルズ・メドレーを歌うことをどう思っていたのでしょうか。

「あの子はあんまり音楽には感心がないんですよ。彼女から〝この曲は嫌だ〟とか言われたことないし。大人になるにつれていろんなイメージが自分の中に生まれていったとは思うけど、僕が担当していた頃はまだ全然そんなことはなかった。

松本伊代のスタッフは、どこか真剣じゃないというか…(笑)。本当にヒットを狙っていたら、リズムがはっきり見えるマイナーな曲調の楽曲とかをもっと入れていただろうけど、何か常に楽しむことを最優先に考えていた気がする。 

会社員として、ディレクターとして、ヒットを連発していこうというより、こういうコード進行は歌謡曲ではまだ使ってないからやってみようとか、そんな馬鹿なことばかり考えて、弾けたことをやっていた。 

彼女はそれにちゃんとつき合ってくれるから、非常に仕事しやすかったです。素直だし、本当にいい子なんですよ。京平さんも、松本伊代はすごくいい人だと言っている。京平さんは本質を見抜く力がすごいからね」

ちなみに、アルバムには収録されていませんが、この武道館コンサートの司会はとんねるずが務めたそうです。伊代ちゃんは1984年より、とんねるず初のレギュラー番組である「オールナイトフジ」に毎週出演。女子大生ブームの火付け役となった話題の番組を機に、タレントとしても活躍の場を広げていきます。

「女子大生が出演するこの番組に出始めた頃、彼女は堀越学園に通う高校生で、ある時スタッフから〝このまま高校卒業したらどうするんですか? 毎週出てるのに大学生じゃないとまずいじゃない?〟っていう話が出て、〝そうだな。じゃあ大学入ろう。伊代、女子大生になれ〟とか言って。それで戸板女子短大に入学したんだ。あの子も独特なんだよなぁ(笑)」

『伊代 IN 武道館』。アルバム1曲目からファンのすごい歓声で、伊代ちゃんの感極まった涙声が感動的。A面の5曲はすべて京平作品

大学生となった松本伊代は、尾崎亜美の「時に愛は」がきっかけで新境地へ

その後、松本伊代は筒美の手を離れ、いろいろな方が楽曲を提供しますが、中でも尾崎亜美作詞・作曲の「時に愛は」(1983年)が「センチメンタル・ジャーニー」に次ぐ2番目のヒット作となりました。

そして13枚目のシングル「ビリーヴ」(1984年)で久しぶりに筒美京平が曲を担当し、「あなたに帰りたい(Dancin’ In The Heart)」(1985年)、「ポニーテイルは結ばない」(1985年)と続き、ちょっぴりオトナになった松本伊代は新境地を展開していきます。特に「ポニーテイル〜」は少女(アイドル)時代とお別れするかのような内容の〝ロカバラード〟で、感動的です。

「コロナでロックダウンする少し前に尾崎亜美ちゃんが久々にコンサートをするというので、松本伊代とふたりで観に行って。そうしたらステージで〝時に愛は〟を歌ってくれて、〝自分は松本伊代という女の子が大好きで、松本伊代のためにこの曲を書いた。その時に初めて、人のために書くという曲の作り方がわかった〟と言ってくれてね。松本伊代が来ているのは、亜美ちゃんは知らなかったはずなんだけど」

良い話ですよね。この頃の尾崎亜美も大活躍でしたね。

「時に愛は」はTVドラマ『私は負けない!ガンと闘う少女』、「ビリーヴ」は『転校少女Y』の主題歌になりました

アーティストのファンになるということ、その醍醐味は成長や変貌を見届けるところにあり!

「早見優さんもそうだけど、〝花の82年組〟はみんな、ナチュラルでいい歳のとり方をしてるよね。アーティストを担当するときは、ヒットも大事だけど成長の過程を見てもらいたいと、いつも思ってた。変貌を見届けるのがアーティストを追っかける楽しみなんですよ。自分も一緒に成長していき、アーティストを見て、成長するって楽しいことばっかじゃないんだなと思ったり。

松本伊代プロジェクトも然りで、16歳の、右も左もわからない女の子が素敵な女性になっていく過程を全員が見守る。それがある種エンターテインメントのひとつになっているということは、ファンの人たちもわかっているはずなんです」

「ポニーテイルは結ばない」から早35年以上の月日が流れた現在でも、伊代ちゃんの誰からも愛される天然キャラは健在。それは彼女のタレント性を際立たせた初期筒美京平作品の貢献度が大きいのは言わずもがなです。

筒美京平は、芸能界のど真ん中にいるのに、権威的なものには一切興味がない人

最後に、筒美京平とはどのような人物なのか、川原さんに語っていただきました。

「曲を作ることを生業にしている人だったら、直接京平さんを知らなくても、その素晴らしさというのはみんなわかってるんですよ。井上陽水さん、大滝詠一さん、細野晴臣さんにしても、〝この人は流行歌の作曲家ではあるけれど、自分たちの作品の作り方に極めて近い〟ということはみんな認めている。 

僕も、日本の音楽で着目するべきものがあまりなかった時代に、唯一才能があるなぁと認めていたのが京平さんで、〝ああ、この曲は許せる〟と、生意気にも思ってた。 

洋楽の単なるパクリみたいな、耐えられないような曲が平気でヒットする中で、でも京平メロディーだけは許せると。それはみんな言うよね。細野さんや大滝さんも〝歌謡曲でいいと思ったのは京平さんだけだ〟と言っていたし。 

人柄としては、京平さんは〝ザ・芸能界〟に生きている感じがまったくない人。あれだけ台風の目のど真ん中にいるのに、まったく芸能界に感心がない。レコード大賞のパーティーなんかがあっても絶対に出てこないから、顔を見たことがある人も少ない。京平さんと、それからジャニー喜多川さんも、そんな人でしたね。

ショービズの世界には自分の存在をなるべく大きく見せようとする人も多いけど、京平さんはそういうことが一切ない。極めて冷静で虚飾がない。貸し借りがない分、遠慮もなくて、ズバッと本当のことを言う。 

松本(隆)さんと3人でご飯なんか食べながら〝もういろいろと実績も挙げてきたんだし大家なんだから、そろそろ映画音楽やるとか、ミュージカルを手掛けるとか〟って言っても、〝そんなの面白くないじゃない〟と言う。何を置いてもヒット曲作りが一義で、他のことに一切興味がないんだな。 

京平さんのいちばん好きなところって、実績主義で権威的じゃないところかな。そんな意味で、広い音楽業界の中でもいちばん尊敬している人物です。人として大好きです」

いや〜、貴重な川原さんのお話がてんこ盛りとなってしまいましたが、改めて思ったのが、やはりビクター歌謡の面白さ。川原さんも筒美京平もみなさんそうですが、根はバリバリに洋楽指向な人たちがドメスティックな歌謡曲にどこか真剣でなく、どれだけ楽しいことができるかを常に考えている。

それは時には突飛でぶっ飛んでいて、結果それがヒットすれば、既成概念を壊すパワーになって新しい日本のポップスを形作ることになる。

筒美京平が楽曲を提供したビクターのアイドルを見ても、麻丘めぐみ、桜田淳子、岩崎宏美、松本伊代、そして連載第一回の小泉今日子と革新的な人たちばかりですよね。

その後、川原さんはソニーに行き、さらに大活躍されますが、話が長くなるので今回はここでおしまいとさせていただきます。

松本伊代7枚目のシングル「太陽がいっぱい」(1983年)の作曲者、羽佐間健二は川原さんのペンネーム。ビートルズの「エリナー・リグビー」に出てくる〝Father McKenzie〟をもじったそうです

川原伸司 1950東京生まれ。 ビクター音楽産業を経てソニー・ミュージックエンタテインメントへ。チーフプロデューサーとして大滝詠一、TOKIO、ダウンタウン、井上陽水、中森明菜、中山美穂、 稲垣潤一、ヘイリー等、数多くのアーティストを担当。また、平井夏美のペンネームでも1982年に大瀧詠一主幹「ナイアガラ」のスタッフライターとして作曲家デビュー。代表作は松田聖子『瑠璃色の地球』、井上陽水との共作で『少年時代』、三谷幸喜の舞台用音楽『You Are The Top 』など。最新プロデュース作に鈴木雅之『Discover Japan Ⅲ』、きたやまおさむ活動50周年記念アルバム『振り向けば、風』などがある。

参考資料/『筒美京平ヒットストーリー1967-1998』榊ひろと著 (白夜書房)

  • サリー久保田

    アートディレクター、グラフィックデザイナー、映像ディレクター、ミュージシャン。ミュージシャンとしてはザ・ファントムギフト(1987年・ミディ)、les 5-4-3-2-1(1992年・コロムビア)、SOLEIL(2018年・ビクター)でデビュー。音楽監督を務めた映画『GSワンダーランド』(2008年・本田隆一監督)では、憧れの筒美京平作品(劇中歌「海岸線のホテル」)のアレンジを手がけた。今年、自身の還暦を記念して7インチ・シングルを2ヶ月連続でリリース!参加アーティストは平山みき、RYUTist、野宮真貴、MANON。11月、12月にVIVID SOUNDより発売。

  • 構成井出千昌

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