「不倫相手の妻に刺され…」恋に生きた弘田三枝子さんの“素顔”
芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”⑫
<芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”⑫>
“ミコちゃん”の愛称で知られ、「子供じゃないの」「バケーション」「人形の家」などのヒット曲を持つ弘田三枝子さんが心不全のために7月21日に亡くなっていたことが、27日に分かった。
享年73。所属事務所によるとすでに26日に親族だけで、密葬が行われたという。
弘田さんは倒れる前日まで変わりなく過ごしていて、大きな持病もなかったという。
そんな弘田さんがマスコミを騒がせたのが、‘77年1月25日午前5時過ぎのこと。自宅マンションのエントランスで背中を三か所刺される事件が起きた。
凶器は果物ナイフ。刺した女性は約1時間後、東京・麻布警察署に、
「今、人を刺してきました」
と自首。警察の捜査が入ることになる。その女性のご主人が弘田さんと不倫していて、思い余った妻が犯行に及んだのだ。
二人は‘75年1月に仕事で出会い、あっという間に恋仲に発展。夏ごろには、頻繁に家を空けるようになった夫に不信感を持った妻は、調査会社を使って調べるようになる。
当時、この夫婦の間には5歳の子供がいて、さらに妻のお腹には生まれる寸前の子供が宿っていた。
「妻のお腹に子供がいる中で不倫」。この言葉、最近の芸能界でも二組の夫婦に持ち上がった問題だが、よく耳にする話だ。
妻は、弘田さんの自宅に電話をかけ、
「事実を話し、別れて」
と、相談を持ち掛ける。その時、弘田さんも
「私にも責任があります。きちんと別れます」
と、答えたそうだ。しかし、反対する者がいれば盛り上がるのが恋。これをきっかけに、二人の仲が、より親しくなってゆく。
ギタリストが自宅に帰ることがほとんど無くなる生活になっていったという。ギタリストは妻との離婚を考えて、弘田さんにプロポーズもしていたようだ。
ギタリストはジャズバンドを組み、弘田さんのバックバンドを担当することになる。二人の距離は、当然もっと近くなる。
そんな中で起きた事件。お子さんも生まれ二人のママになった奥さん。「必ず離婚して、ミコと結婚する」と言い続けたギタリスト……。
妻の事件は、略式裁判で罰金刑だけという軽い処分で済んだ。だが、夫婦は別れることになり、弘田さんは一時、芸能界を休止して渡米することにする。
ここまでなら、誰にでもあること。一度の失敗はしょうがない。
しかし、彼女はまたまた米国で恋に落ちる。その男性は、超有名航空会社の日本人の営業部長。当然、妻子がいる人だった。
彼は、過去には4度の結婚。3人の子供がいるパパだ。弘田さんはまたも
「妻と別れるから結婚しよう」
と、プロポーズされ、相手の離婚が正式に成立しないまま、‘78年9月に挙式してしまう。その時は、弘田さんのお腹には、二人の愛の結晶も宿っていた。
‘79年2月、娘さんを出産する弘田さんだが、いつまでも妻と離婚できない夫に業を煮やして別れて帰国する。お子さんとの生活のために再び歌謡界の再デビュー。ことしは、歌手生活60周年の記念イヤーだったが、コロナウイルスの感染拡大で延期になっていた。
芸能界を騒がせてくれた弘田さんだが、芸能人初となるダイエット本を出版して150万部のベストセラーに。いつまでも“美”を追及し、かわいい女性であったことは間違いないな……。ご冥福をお祈りいたします。
次の記事はこちら #4 「稀代のワル」羽賀研二と戦い続けた“パパ”梅宮辰夫さんの素顔
- 文:石川敏男(芸能レポーター)
- 写真:時事
芸能レポーター
‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、レインボータウンFMにレギュラー出演中