幻覚、幻聴、地獄の日々を超えて…芸人・ハウス加賀谷の現在地 | FRIDAYデジタル

幻覚、幻聴、地獄の日々を超えて…芸人・ハウス加賀谷の現在地

統合失調症から「復活」したハウス加賀谷さんが伝える本当のこと【前編】

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ハウス加賀谷さん、16歳のとき統合失調症を発症。闘病のなかで「正の力」で生きると定めた。2月の誕生日で47歳になる
ハウス加賀谷さん、16歳のとき統合失調症を発症。闘病のなかで「正の力」で生きると定めた。2月の誕生日で47歳になる

「ちゃんとしたハウス加賀谷ってなんだ?と思ったんです。ちゃんとしたハウス加賀谷なんて、だれも求めていない。そんなことに悩むのは、無意味ですよね」

統合失調症に苦しみ、精神科に入院。幻聴や、幻のスナイパーに命を狙われる「幻視」の恐怖に震える毎日を送ったこともある、お笑い芸人のハウス加賀谷さん。地獄のような日々から復活した彼の「言葉」が、今、多くの人を元気づけている。

再び「か・が・や・で~っす!!」が言えるまで

2月5日、お笑いコンビ「松本ハウス」は、新宿歌舞伎町の小さなライブハウスの舞台に立っていた。ぶっきらぼうな印象の松本キックと、ピチピチのラメシャツにピチピチのピンクのパンツを身につけた坊主頭のハウス加賀谷。40人ほどの観客に漫才をみせた。

1991年結成、テレビ番組『電波少年』でブレイク、人気絶頂だった1999年に、加賀谷さんは統合失調症で「芸人を廃業」した。その後10年間を経て活動を再開したのだ。

「か・が・や・で〜っす!!」と登場。クールにあしらう松本さんの横で、汗だくになりながら加賀谷さんがボケる。10分ほどの出番。終演後の加賀谷さんは、数人のファンに囲まれていた。

「闘病中も舞台に戻ってくることだけを考えていました。10年かかってしまいましたけど、こうして舞台に立てて本当にうれしい。ずっと僕を待っててくれたキックさんには、本当に感謝です」

コンビ「松本ハウス」は結成30年。この日の10分ほどのライブが2人の現在地のひとつだ。相方の松本キックさんが、黙って加賀谷さんを待っていた時間は長い
コンビ「松本ハウス」は結成30年。この日の10分ほどのライブが2人の現在地のひとつだ。相方の松本キックさんが、黙って加賀谷さんを待っていた時間は長い

きっかけは中学時代の「体が臭いのでは」という恐怖

1999年に統合失調症で舞台を去ったが、病気はこれが最初ではない。加賀谷さんの病歴は長い。最初に症状が現れたのは、中学2年のとき。

「『加賀谷、臭いよ』『カガチン、マジ臭いよ~』という幻聴が聴こえだしたんです。家族からどんなに『臭くない』と言われても、声は消えない。『ごめんなさい、ごめんなさい』と、いつも思ってました」

高校に進んでも幻聴は消えず、後ろから声が聞こえてくるため、壁にぴったりと背中をつけていないと歩けなくなった。神経科に通院を始めた。

「ある日、学校の廊下が、波打って飲み込むように襲ってきたように見えたんです。もうダメだと思いました」

治療のため、16歳で自宅を離れてグループホームに入居。ゆったりと時間が流れる共同生活のなかで、幻聴は少しずつ収まってきた。ラジオを聴いて「漫才師になりたい」と思い立ち、バイトをしてお金を貯めて、大阪に行ってみた。「大阪に行けた」ことから、グループホームを卒業。オーディションを受けて大川興業に入り、松本キックさんと出会った。17歳になっていた。

憧れだった「お笑い芸人」として認められたけれども

松本ハウスは、だんだん人気が出てきて、テレビにも呼ばれるようになった。通院は続けていて、医師から処方された薬を飲みながら、仕事をしていた。けれども、寝る時間もないほどの忙しさの「売れっ子芸人」になったころ、調子がいいときは、自己判断で薬の量を減らしたりしたのがいけなかった。体調を崩してしまったのだ。

だんだん朝起きられなくなり、仕事にも遅刻するようになった。

「あるとき、窓の外を見たらスナイパーがいたんです。命を狙われている! 怖くて怖くて仕方ありませんでした。そのうち、時間の概念がくずれて、大事な仕事でも遅刻を繰りかえすようになりました。もう限界でした」

そして、1999年、コンビを解散し、入院生活に入った。

悪く考えるのはパブリックイメージにひきずられているから

入院から自宅療養を経て10年のブランクの後、復活。しかしこれもスムーズにはいかなかった。松本さんから台本をもらっても、セリフが覚えられない。覚えたら、台本どおり言うことが精いっぱいで棒読みになってしまう。3~4年前には体調を大きく崩して、1年に4回入退院を繰り返した。

「復活したからには、ハウス加賀谷をちゃんとやらなければいけないと、ずっと思っていたのに、できない。悩みました。

でもそのとき、『ちょっと待てよ』と思ったんです。そもそも『ちゃんとしたハウス加賀谷』って、なんだ…って。お客さんは、僕が失敗したり、うまくいかなかったりするから笑ってくれるわけで、ちゃんとしたハウス加賀谷なんて、だれも求めていない。それなのに、ちゃんとしなくちゃと悩んでいるのは無意味だ。そう考えるようになってからは、憑き物が落ちたようにラクになりました」

加賀谷さんが「ちゃんとしたハウス加賀谷」にこだわってしまったように、人は「こうあるべき」というパブリックイメージにとらわれているのではないか、と言う。そんな必要ないのに、と。

丁寧に言葉を選んで話す加賀谷さん。真面目な人柄と、痛みを知る人の心配りが伝わってくる
丁寧に言葉を選んで話す加賀谷さん。真面目な人柄と、痛みを知る人の心配りが伝わってくる

コチコチになった頭をほぐすお手伝い

SNSで公開している「質問箱」には毎日たくさんの質問がくる。寄せられる相談への答えが心に刺さる。「統合失調症になってしまったから、お先真っ暗だ」という人に対しては、

「そう思うのは統合失調症に対してネガティブなイメージがあるからなんです。

陰性症状のときは、体が全然いうことをきかなくて、朝も起きられないんです。だから、『自分はダメなんだ』『お先真っ暗だ』と思ってしまう。だけど、朝寝床から出られないのはけしからんというのは、パブリックイメージなんですよ」

パブリックイメージにとらわれず、今自分がどのような状態かわかるだけでいいんだと言う。「今日は、起きられないんだな」とわかればいい。

「陰性症状が強くて、生きる気力もないという人もいるかもしれない。だけど、別の視点で見てみれば、統合失調症というのは、発症して、陽性症状が出て、それがある程度収まって陰性症状があるんです。そして、そのあと回復期になる。

つまり、陰性症状に悩んでいる人は、回復期を目前にしているともいえるんです。

悩んでいるときは、視野がギューッと狭くなって、ほかのことが考えられなくなりがち。僕が質問箱でやっていることは、不安でコチコチになっている頭を、ちょっとほぐすお手伝い。マッサージ機みたいなものなんです(笑)」

たしかに、知らず知らず世間の物差しで測ってしまうことある。コロナ禍で悩むことも多い今「その悩みは、こうでなければいけないというパブリックイメージにとらわれていないか」と考えると、解決することもありそうだ。

生まれ変わっても統合失調症でいい

統合失調症という病気は、完治は難しいのだという。加賀谷さんも、いつまた症状が現れるかわからない。

「でも、それはみんな同じですよね。明日交通事故に遭うかもしれないし、なにか病気になるかもしれない。僕は統合失調症になって、かなりいい経験を積んでいるので、次に生まれ変わったとき、また統合失調症になってもいいと思っているんです」

今の加賀谷さんは「すっかり元気になった」とはいえない。薬も飲んでいるし、しんどいときもあるという。それでも、こう言い切る。「ちゃんとした自分」なんて、ない。今の自分が自分なんだという「解決」を見つけたから。

松本ハウスとして舞台に立ち、SNS で困っている人の質問に答える。それが、加賀谷さんが見つけた「自分の現在地」だ。

*2月24日公開の「後編」に続く*

<ハウス加賀谷:1974年、東京生まれ。相方の松本キックさんとのコンビ「松本ハウス」は、長い休止期間を挟んで結成30年になる。お笑い芸人として舞台に立つほか、松本ハウスTwitter(matsumotohausu)や、質問箱での誠実さが注目を集めている。発症から復活までは著書『統合失調症がやってきた』(松本ハウス/幻冬舎文庫)に詳しい>

「新宿おじさん事件」で、フォロワーが増えた。質問箱の回答に泣けるというファンも多い
 新宿で行われたライブ。キック松本さんの乾いた間合い、加賀谷さんの熱と衣装は変わらない。ふたりは「松本ハウス」であり続ける
「新宿おじさん事件」で、フォロワーが増えた。質問箱の回答に泣けるというファンも多い

新宿で行われたライブ。キック松本さんの乾いた間合い、加賀谷さんの熱と衣装は変わらない。ふたりは「松本ハウス」であり続ける

経験をつづった著書も出版
相方・松本キックの書いた本も
  • 取材・文中川いづみ

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