絶大なる求心力 タッキーが創る「新ジャニーズ帝国」を赤西も祝福

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活動休止中だった「タッキー&翼」の解散とともに、アーティストからの引退を発表したタッキーこと滝沢秀明(36)。来年からは、ジャニー喜多川氏(86)の後継者としてプロデュース業とJr.の育成に専念することがわかった。この一連のニュースを、ある意味“朗報”と受け取るジャニーズファンの心理と、外から見ただけでは計り知れない滝沢の存在感を、ジャニヲタ歴25年のライター喜久坂 京がひもとく。

上・滝沢秀明 下・今井翼  2014年、揃って知人の誕生日パーティーに出席したタキツバの二人

タッキーがタキツバ解散と芸能界引退を発表した9月13日、赤西はツイッターで「タッキーーーーーーー!!」と呟いていた。

滝沢秀明、通称“タッキー”。ジャニヲタである筆者が、彼について語ろうとするとき、彼自身のことよりも先に、滝沢秀明その人が影響を与えたジャニーズタレント(“元ジャニーズ”も含めて)のことが脳裏をよぎる。

突然の休業宣言から半年。 2007年4月に撮られた、ロスに留学中の赤西仁

たとえば冒頭でお伝えした赤西仁。デビュー直後の大事な時期に単身で語学留学した挙げ句、グループを脱退しソロに。全米デビュー後、黒木メイサと“でき婚”し、2014年にジャニーズ事務所を円満退所した。そんなジャニーズきっての暴れん坊(自由人ともいう)の彼が、一番信頼していたジャニーズの先輩がタッキーだった。2010年に始まったタッキーのネット配信番組“滝channel”のゲストで登場したときは、KAT-TUN時代にはまず見られなかったピュアな笑顔が弾け、赤西がどれだけ“タッキー大好き!”かがよくわかった。赤西がコンピュータを使って作曲できるようになったのは、配線やら何やら、初期設定をタッキーがしてくれたからだというし、ああ見えて義理堅い赤西は、Jr.時代よく面倒を見てくれたタッキーに並々ならぬ恩義を感じているのかもしれない。2年前の7月に「有吉・櫻井の夜会」にタッキーがゲスト出演したとき、赤西がツイッターで「タッキー時代を動かしちゃいなよ!」と意味深な呟きをしていたのも、今となっては感慨深い。

休業宣言した頃、友人たちと暮らすマンションから連れ立って出かける赤西仁

今年4月にジャニーズ退所を発表した渋谷すばるも、タッキーに多大な影響を受けた一人だ。1998~1999年頃、“Jr.黄金期”と呼ばれた時期に、二人は、「東のタッキー、西のすばる」と称されるほど、関東と関西でトップの人気を誇っていた。大阪と東京を行き来していた渋谷が、交通費節約も兼ねて滝沢の家に入り浸り、半同棲生活(?)を送っていたこともある。でも、あるときから渋谷は東京での活動を控え、活動拠点を大阪に戻してしまった。“関ジャニ∞”としてデビューたあと、国分太一が司会する「少年倶楽部プレミアム」で、当時のことを振り返りながら渋谷は、「タッキーの存在がデカすぎた」と語っている。

そして山下智久の場合、本名以上に浸透した“山P”の名付け親が、誰あろうタッキーである(なぜ山Pになったかは、当時山Pがピンクの衣裳を着ることが多かったから、など諸説ある)。山Pといえば、NEWSを脱退しソロになり、一匹狼的なイメージが強いかもしれないが、毎年夏に後輩を誘ってバーベキューに行ったり、後輩のコンサートに顔を出したりと後輩思いな一面もあって、その辺りはタッキーから受け継がれたDNAなのかもしれない。

赤西、渋谷、山Pのみならず、それが大先輩の近藤真彦であっても、東山紀之であっても、タッキーのことを嫌いなジャニーズタレントは、たぶん存在しないと思う。それくらいタッキーは人格者だ。“滝channel”も、自分ではなく後輩を紹介するための番組で、Kis-My-Ft2やA.B.C-Zなどは、この番組を通して、現在のようなバラエティスキルを身につけたと言っても過言ではないだろう。筆者は、タキツバのコンサートはもちろん、タッキーのソロコンや舞台にも何度も足を運んだことがあるが、彼が演出を担当するショーやコンサートでは、必ずと言っていいほど、タッキー自身よりも共演者やJr.のほうが印象に残った。タッキーは、歌も踊りも上手いし、バラエティ能力も高い。でも、不思議とタッキーがステージに没頭している感じはしなかった。“楽しくてしょうがない”=無我の境地といった表情は一切見られず、常に“みんな楽しんでくれてるかな?”というような慈愛の表情をたたえていた。自分が目立つことより、後輩や仲間が目立つ方が嬉しい。そんな裏方的気質が、表情に出てしまっていた。

そんなタッキーが平成限りで芸能活動を引退し、裏方に回ることになった。相方の今井翼は、メニエール病の治療に専念するために、ジャニーズ事務所を退所する。この一連のニュース、タキツバファンには申し訳ないが、“ジャニーズイズム”を愛する者にとっては、間違いなく“朗報”である。なぜなら、藤島ジュリー副社長は、ジャニー社長の引退後はもう、事務所からデビュー組は作らないつもりだったからだ。SMAP解散後、“終わりの始まり”等と言われて久しいジャニーズ事務所だが、実は、ジャニーズの経営は拡大の一途を辿っている。なにせ、ドームを軽々と埋められるグループが嵐や関ジャニ∞を筆頭に6~7グループもあって、複数の自社レーベルを持っていて、映画やドラマや舞台の主役を張れるタレントが10代から50代まで揃っていて、スポーツ番組や情報番組の司会、バラエティで身体を張れるアイドルもいる。こんな巨大な芸能事務所、今の勢いを維持するだけでどれだけ大変なことか。まして、プロデューサーは常識など通じない“天才”。その、理想のアイドルを追い求めようとする意欲は、枯れることがない。

ジャニー社長は、86歳の今もオーディションで次のスターを発掘し続けているが、「もうジャニーズからはデビューできない」とわかったら、オーディションに人は集まらなくなってしまうだろう。企業は守りに入ったらそこで終わる。コンサートや舞台など“興行”でタレントを鍛えることが第一と考えるジャニー社長に対し、ジュリー副社長は(母であるメリー副社長の意志を汲んでいる部分もあるだろうが)テレビやCMや映画など、広く顔を売っていけるメディアを第一に考える。新しいグループのデビューを拒絶していたのは、「これ以上タレントが増えても、もう面倒見切れない!」と、ジュリー副社長が思ってしまったのかもしれない。でも、今年5月にデビューしたKing & Princeは、ジャニー社長が“興行”で育て上げた金の卵6人を、ジュリー副社長が開拓した“テレビのキラーコンテンツ”に乗せたことで、デビュー曲「シンデレラガール」は、75万枚の大ヒットとなった。結局は、“興行”と“映像”がしっかりと手を繋ぐことが一番の“ジャニーズイズム”なのである。

タッキーが“興行”を中心にジャニー社長のプロデュースをサポートし、新たなスターの発掘にも携わることが発表され、「ジャニーさんが引退したらジャニーズ事務所はどうなるの?」と事務所の未来を案じていたジャニヲタは、胸を撫で下ろしたことだろう。そして、タッキーのあのジェントルでエレガントな人格を持ってすれば、「直接会話することがない」と言われているジャニー社長とジュリー副社長(とその母であるメリー副社長)の間に入って、うまくタレントの売り出し方の調整役になることは間違いない。

それでも、意地悪なアンチは言うだろう。「ジャニー社長は天才、器用貧乏な感じのするタッキーでは、今までのような突拍子もないグループやステージは生まれない」と。そんな人は、タッキーのソロデビュー曲、「愛・革命」を聴いてほしい。“男と女のLOVE”と書いて“革命”と読ませたタッキー。自ら作詞作曲を手がけ(作曲は馬飼野康二との共作)、誰も思いつかない言葉遊びで、見る側にショックを与えた。感心や感動や共感より、興奮やショックやサプライズを与えるステージこそが、ジャニーズの真骨頂。タッキーの人望の厚さ、面倒見のよさ、自分より周囲を立てる謙虚さ、そしてオリジナルの発想力。現時点で、ジャニー社長とちょうど50歳差のタッキー。彼がプロデュース業に回れば、向こう50年、ジャニーズは安泰と言えるかもしれない。

これだから、ジャニヲタはやめられない。

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  • 喜久坂京

    ジャニヲタ歴25年のライター。有名人のインタビュー記事を中心に執筆活動を行う。ジャニーズのライブが好きすぎて、最高で舞台やソロコンなども含め、年150公演に足を運んだことも。広くジャニーズの素晴らしさを知ってほしいと思い、FRIDAY デジタルにジャニーズのコラムを寄稿することに。

Photo Gallary4

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