「辞書の神様」がコロナ禍に編んだフレンドリーでガチな辞書の中身 | FRIDAYデジタル

「辞書の神様」がコロナ禍に編んだフレンドリーでガチな辞書の中身

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国語辞典は「現代語の地図」

8年ぶりの全面改訂版となる『三省堂国語辞典』第八版が、昨年12月下旬に発売された。「MD」「スッチー」「コギャル」など、現在はあまり使われなくなった言葉が削除されたこと、コロナ禍を反映し、「ソーシャルディスタンス」や「人流」「黙食」などの言葉が加わったことなど話題になったが、実際に見てみると、豆知識や語源、言葉の歴史などの豊富さに驚かされる。

「読み物」として面白く、ユーザーフレンドリーになっている印象があり、例えるなら、事実を簡潔に述べる真面目な優等生から、ちょっとおしゃべり好きで物知りで “コミュ力”の高い優等生に変わった感じだろうか。

『三省堂国語辞典』の編集委員で日本語学者の飯間浩明氏は言う。

「三省堂国語辞典が心掛けているのは、『現代語の地図を作ろう』ということです。伝統的な日本語はもちろん載せる。一方、例えば『やばい』という言葉は、今は若い人ばかりでなく、年配の人も使います。あるいは、『今日はガチで寒いね』といった『ガチ』という言葉や、サブスクリプションの略語『サブスク』なども載っていないと、もう“現代語の辞書”とは言えないですよね。 

三省堂国語辞典のような小型辞典は、『大辞林』『広辞苑』などの大型辞典から言葉を抜粋して作っているのでは、と誤解されることがよくあります。でも、実際は独自に言葉を収集・説明しています。百科事典的な20~30万語規模の大型辞典に対し、日常語辞典として、約8万語の範囲で言葉を掘り下げているんです」 

8年ぶりの全面改訂版となる『三省堂国語辞典』第八版では、コロナ禍を反映し、「ソーシャルディスタンス」や「人流」「黙食」などの言葉が加わったことが話題に(写真:アフロ)
8年ぶりの全面改訂版となる『三省堂国語辞典』第八版では、コロナ禍を反映し、「ソーシャルディスタンス」や「人流」「黙食」などの言葉が加わったことが話題に(写真:アフロ)

「つらみ」「眠み」用法が収録された「わかりみが深い」理由

掘り下げ方として、非常に細かいニュアンスに驚かされるのが、例えば「み」という言葉だ。

「『み』は接尾語で、『赤み』『黄色み』『おかしみ』『ありがたみ』などと使いますね。漢字では『味』とも書きます。これと似て非なるものが『憐れみ』『痛み』『悲しみ』などの『み』。これらは『憐れむ』『痛む』『悲しむ』などの動詞の連用形の語尾から来たもので、接尾語ではありませんが、意味は似ています。 

さらに、2010年代から別の『み』が現れました。若い世代で、俗に『つらい』を『つらみ』、『眠い』を『眠み』などと言います。『つらい』などは、従来は『~さ』の形しかありませんでしたが、そこに『み』が使われるようになった。 

加えて、『すごく行きたい』を『行きたみがすごい』、『とてもよくわかる』を『わかりみが深い』というなど、用法が広がっています。これらのことを、今回はすべて説明しました。さらにダメ押しで、『この(俗用の)場合、『味』とは書かない』と書いておきました」 

ツイッター等でも“言葉”に関するメッセージを配信している飯間浩明さん(右)。写真は、2019年3月、山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」の名称をめぐり、国交省で記者会見する飯間さんら(写真:共同通信)
ツイッター等でも“言葉”に関するメッセージを配信している飯間浩明さん(右)。写真は、2019年3月、山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」の名称をめぐり、国交省で記者会見する飯間さんら(写真:共同通信)

『全然』=「否定を伴う使い方が正しい」は誤解

もう一つ、実に現代的だと思うのは、「全然」という言葉。教科書的には「全然~ない」と否定を伴う使い方が正しいと習ってきた人が多いだろう。しかし、使い方には変遷があると言う。

「否定を伴う用法の他に、『全然言いがかりというものだ』『鼻が全然詰まっちゃっている』というような、否定が来ない『全然』もあります。このような『完全に、すっかり』の意味の『全然』は、戦前から否定を伴わずに使われたんです。 

ところが、戦後に『全然~否定』の形が一般化した。それで、戦後の教科書に『全然の後は否定形』と書かれるようになり、それだけが正しいという誤解が生まれたんですよ。 

現在では、『全然』の意味はさらに分化しています。『いつもの授業と違って全然楽しかった』のように『他と比べて断然』という意味もある。 

あるいは、『心配する必要がない』という意味で、『この服、変じゃないかな』『ううん、全然可愛いよ』などという用法もあります。これらもすべて説明してあります。ダメ押しで、『全然』の下には本来否定が来るというのは『戦後に広まった誤解』と注をつけています」 

一般公募をし、辞書を編む専門家が選んでいる「今年の新語」。2020年には、コロナ関連の言葉がランクインしている(三省堂プレスリリースより)
一般公募をし、辞書を編む専門家が選んでいる「今年の新語」。2020年には、コロナ関連の言葉がランクインしている(三省堂プレスリリースより)

森友問題でお馴染みの『忖度』は、本来良い意味

また、「忖度」のように、昔の言葉がリバイバルし、意味が変わっている言葉もある。

「『忖度』は、もともとは相手の心を察するという意味で使われました。『母の心中を忖度する』『住民の意見を十分忖度する』など、べつに悪い意味でなく使うことができます。言葉としては硬く、日常語ではありませんでした。 

ところが、今の『忖度』は、単に察するだけではなくて、有力者などの気持ちを推測し、気に入られるように行動するという意味で使われます。しかも日常語になりましたね。 

『忖度』の意味の変化を見てみると、実は20世紀末から、『会長に忖度した報告書』『忖度が働く』など、新しい用法が新聞などで目立つようになりました。これが安倍晋三さんの森友問題などを機会に一気に広まった。それで今回、この新しい意味も追加したわけです」

今は何でもインターネットで調べれば良いと思われがちだが、複数の漢字の使い分けなど、時と場合がわからないとき、ネットで検索すると、諸説あり、モヤモヤしてしまう……ということは多いだろう。そこで、「誰にでも分かるように、言葉の色んなモヤモヤを解決する説明を書いている」のが、第8版の大きな特徴だ。

注意したのは、「豆知識に関する記述を増やし、編纂者の主観は控え、一般的に確認されることや調べた範囲で言えることを、根拠に基づいて書くこと」「『二行主義』(2~3行で核心を突いた説明をすること)」「判断材料は出し惜しみせず、記述すること」。

「みんなこういうことがわからないんじゃないか、こういうところで悩んでいるんじゃないか、という部分をすくい取る辞書にしたいという思いがありました。 

今の使い方と、今に至る歴史を示すことによって、『こういう歴史があるんだったら使おう』とか、逆に『べつにみんなが使うのはいいけど、自分はやめとこうかな』とか、読者がそれぞれに考えられるよう、判断材料を示すようにしています」 

20世紀末から新しい用法が新聞などで目立つようになったという『忖度』。本来は、「悪い意味でなく使うことができます。言葉としては硬く、日常語ではありませんでした」と飯間さん(写真:アフロ)
20世紀末から新しい用法が新聞などで目立つようになったという『忖度』。本来は、「悪い意味でなく使うことができます。言葉としては硬く、日常語ではありませんでした」と飯間さん(写真:アフロ)

“丁寧すぎる”と言われながらも使われ続けられてきた『させていただく』

また、「敬語をなるべく丁寧に使いたい」という思いは、昔から変わらない。だからこそ起こるのが、例えば、近年度々話題になる「させていただく」問題だ。

「『させていただく』を収録した辞書は少ないかもしれませんが、実は『丁寧すぎる』と言われながらも、戦後一貫使用されてきた言葉なんですよ。 

もともと丁寧に言いたい気持ちから『させていただきます』という表現が戦後に広まったんですが、一方で、その丁寧さが批判されています。人を怒らせないように丁寧に言おうと思っているのに批判される。どうすればいいんだ?と思いますよね。 

そこで今回、『させていただく』が使われる理由を説明しました。詳しくは直接見てほしいのですが、動詞の中には『ご~いたします』と言えないものがあります。『させていただく』は、それに代わる表現として便利に使われる、ということを書きました。 

歴史的にも、『戦後、関西から東京にはいって広まり、二十世紀末に使用が増えた〔ただし、昭和初期の東京の例もある〕』などと、大筋がわかるように書いています」

実は第八版では「この言葉は誤り」などといった表現を極力しないようにしているそうだ。

「言葉の歴史をたどってみると、『ずいぶん昔から使われていて、誤用というのは厳しすぎるんじゃないか』ということも多いんですよ。 

昔から両方の使い方があったことは辞書で示す。ただ、積極的に使ってくださいと勧めることもしなければ、使っちゃいけないと禁止することしもしない。判断材料は全部出して、そのうえで仲間同士の会話や、軽い文章や、読者に身近に感じてほしい場合など、時と場合に応じて、使う人に判断してもらおうというスタンスです。 

この言葉は誤用で、いかなる場面でも使ってはいけません、などと決めつける権限は、辞書の作り手にはないですから」

特に第7版が出た2014年からの7~8年で、人々の言語生活はインターネットに大きく軸足を移した。そのために、言葉の使い方にびくびくする人は増え、それをますます加速させるように、「この言葉は誤り」と指摘する、ネットの”日本語警察“も登場している。

「今はネットで突然、『この敬語は、皆さんは失礼と思っていないでしょうが、実は失礼なんです!』などという主張が拡散されたりします。今まで自分も相手も失礼だと思っていなかった、みんな普通に使っていた言葉が、ある日突然、ネットで叩かれることがあります。 

あまりにも根拠のない主張だと思うときは、私もツイッターなどで指摘することもあります。自分が納得し、相手も納得していて、内容が十分伝わる言葉であれば、道具としてちゃんと機能しているわけです。ただ、その一方で、『自分は違和感があるから使いたくない』と考える自由も当然あると思います。 

マイ基準があっても構わない。ただ、相手には相手の基準、考え方があるかもしれませんね。安易に『その言葉は間違い』と指摘するのは控えたほうがいい。この点は強調したいですね」 

飯間 浩明 国語辞典編纂者。1967年、香川県高松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。著書『辞書を編む』(光文社新書)、『日本語をもっとつかまえろ!』(絵・金井真紀、毎日新聞出版)、『日本語はこわくない』(PHP)など。

  • 取材・文田幸和歌子

    1973年生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌等で俳優などのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)、『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)など。

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