「こども家庭庁をこども庁に」に高知東生が強い違和感を訴える理由 | FRIDAYデジタル

「こども家庭庁をこども庁に」に高知東生が強い違和感を訴える理由

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「『こども家庭庁』から『家庭』という言葉を抜いても、問題のない幸せな家庭が減ったりしないし、これまでの家族制度が崩壊したりしない。そこを心配する必要なんかない。すでに家庭が崩壊していたり、機能する見込みもなく、安全性が確保できない家庭の『こども』を『家庭』という檻から助けて欲しいだけ」(2021年12月16日)

現在フリーで活動中の俳優・高知東生さんがつぶやいた上記のツイートは、16000件もの「いいね」がつき、大きな反響があった。

しかし、政府は2月8日、自民党の「こども・若者」輝く未来実現会議に「こども家庭庁」設置法案の概要を提出。来年4月設置を目指して動いている。

「こども庁でも、こども家庭庁でも大差ないだろう」「名前の違いなんてどうでも良い」と思う人も多数いるかもしれない。しかし、「こども家庭庁」という名称に、強烈な拒否感を覚える人たちもいる。

「子どもの頃から、我慢するのが当たり前の生活をしてきたから、『こども家庭庁』という名称には恐怖心があります。『家庭』とつくだけで恐怖や不安を感じたり、SOSが届かなくなったりするんじゃないかという気持ちになるんです」と高知さん(撮影:安部まゆみ)

自分では普通だと思っていたことが、本当は全然普通じゃなかった

そんな一人・高知東生さんに、件のツイートをきっかけや、その思いを改めて聞いた。

「Twitterで『こども家庭庁』のことを呟いたとき、家庭に悩みを抱いていて、どこにSOSを投げていいか分からないという共感の叫びのメッセージをすごくたくさんいただいたんです。ずっと苦しんできて、たまたま僕のツイートを発見し、我慢できなくて、勇気を振り絞ってコメントをくれたようです」

そう話す高知東生さん。自身は、2016年6月に覚せい剤と大麻所持容疑で逮捕された後、「本気で死のうと思った」こともあった。そんな地獄から回復に向かえた自身の経験を踏まえ、Twitterで発信していると語る。

「2019年2月に、Twitterで依存症の当事者が体験を語り合う自助グループに出会い、そこから自分の背景を振り返るプログラムをやったんです。 

それは決して楽な作業ではなかったですが、自分が子どもの頃に『ネグレクト』されていたんだなーとか、『機能不全家族』だったんだ、『AC(アダルトチルドレン)』だったんだといったことが、言葉を得ることでわかってきました。 

自分では普通だと思っていたことが、本当は全然普通じゃないという気づきを、僕は自助グループやTwitterから得たんです」

その自助グループの仲間の中に、「こども庁」への名称変更を訴える保護司で文筆家・写真家の風間暁さんがいた。

「風間さんは自身が虐待されてきた経験から、『家庭じゃなく、子ども個人に目を向けてほしい』という思いで、『こども家庭庁』ではなく、『こども庁』にすることを訴えてきました。 

議員さんに講師として呼ばれ、27回ぐらい勉強会も行いました。それで、ようやく子供がSOSを出しやすい、生きやすい、相談しやすいイメージとして『こども庁』という名称になったはずなんです。 

にもかかわらず、それが突然、ひっくり返された。僕自身、子どもの頃から、自分を出せず、我慢するのが当たり前の生活をしてきたから、『こども家庭庁』という名称には恐怖心があります。 

『家庭』とつくだけで恐怖や不安を感じたり、本当の意味でSOSが届かなくなったりするんじゃないかという気持ちになるんですよ 

おじには躾として「捨てるぞ」「出て行くか」とすぐに言われ、常に大人の顔色を見ながら育ったと言う。数少ないという子供の頃の写真の中からの貴重な一枚

ついに仲間に認められた、居場所ができたと思っちゃったんです…

物心ついたときから両親がおらず、おじと祖母に育てられた高知さん。祖母には「箱に入れられ、川を流れてきた」と説明され、おじには躾として「捨てるぞ」「出て行くか」とすぐに言われ、常に大人の顔色を見ながら育ったと言う。

「しかも、たまにやってくるおばさんが、本当は母親だと小4のときに教えられました。 

最初は自分にも親がいたのかと嬉しかったんですが、母と二人で暮らすようになると、机の上にお金だけ置いて何日もいなくなったり、酔っぱらって帰って来ては、たばこ買って来いと言われたりする日々で。 

しかも、母親から親父だと紹介された人は、任侠の最高幹部でした。母はその愛人で、親父は自分とは血のつながりがなかったんです。 

そういったことは地元では有名でしたが、僕は誰にも言えない、家族にも相談できない、親は親で一生懸命生きていたから、むしろ相談しちゃだめだと思っていました。しかも、おふくろが自殺し、当たり前の愛や温かさの中で、人としてのモラルや考え方を一番教えてほしい時期に、親がいなかったんです」

さらに、高校では野球部に入部するが、精神論、根性論を掲げる監督の言う通りにやったところ、甲子園に出場できた。その成功体験により、ますます「大事なのは勝ち負け」「力さえあれば良い」という歪んだ認知になったのだと語る。

「東京に出てからは、ホストクラブで働いたり、AVプロダクションを立ち上げました。ホスト仲間にディスコに誘われて知ったVIPという存在に、『都会では、力や金を持っていれば、こういう特別な部屋がある』『これが成り上がりか』と思ったんですよ。 

僕と年齢がかわらないやつが大金をつかみ、いい車に乗り、いい服着て、いい飯食って、理想の女性を手に入れて豪快に夜遊んでいる。そういう人達に自分も近づきたい、何か得たいと思って、足を運んでいるときに、その人たちがオシャレな感じで薬物を使っていた。 

薬物はもちろんいけないものだと分かっていたけれど、東京というところはそういう恐ろしさも含めて、全てがオシャレに思えたんですね。それで案の定、僕にも薬が回ってきて、ついに仲間に認められた、東京の居場所ができたと思っちゃったんです」

 

複雑な家庭環境で育ったことから、「幸せとか、愛すること、愛されることが何なのかが全く分からなかった」ために、結婚・離婚も繰り返した。

「僕と年齢がかわらないやつが大金をつかみ、いい車に乗り、いい服着て、いい飯食って、理想の女性を手に入れて豪快に夜遊んでいる。そういう人達に自分も近づきたい、何か得たいと思って…」と上京当時を振り返る

ふとしたときに、また“旧型”の根性論、精神論が出てくる

逮捕後には、マスコミは事実無根のことも尾ひれはひれをつけて報じたが、反論する術はなく、絶望の底で「もう死んじゃったほうがいいな」と思ったと言う。そんなときに出会ったのが、自助グループだった。

「最初は半信半疑でみんなの話を聞きながら、(俺を)一緒にすんなよ! と思っていたんですが、みんな恥を捨て、全てをさらけ出して、小さなことでも分かち合うのを見聞きするうち、回を重ねるごとに『あれ? これって、俺だけじゃないんだ』と、心にヒットして。 

俺も自分の中のモヤモヤを、勇気を出してさらけ出してみたら、安心から心が楽になるのを感じて、もう話すごとに泣きまくりましたね」 

そこから「ASK依存症予防教育アドバイザー」の資格を取得し、現在は依存症の啓発や予防教育のイベントなどで講演活動も行っている。それでも今はまだ「旧型と新型がまだ五分五分」。旧型、新型とは?

「回復に完治はないですから。狭い価値観の精神論、根性論の歪んだ認知で生きてきたところから、共感できる仲間ができ、分かち合うことで、自分の中の大きなしこりがようやく今、溶けているんですよ。 

それでもふとしたときに、また旧型の根性論、精神論が出る。ただ、今はそこにもう1人の自分が気いて、『待て待て、旧型出てきたぞ?』と自分で笑っちゃうんですよ(笑)。こういう旧型の思考で、僕はかつて薬物に手を出してしまったわけで、『2次3次が起きてしまうパターンだ。危ねぇ危ねぇ』となる。そんなことを自助グループで話すと『俺もあるよ』『旧型に気づけた自分は、すごい成長だよね』と言ってもらえるんです。 

実際、今の僕にとってすごく楽しいのは、自分の取扱説明書を日々発見していること。以前は、自分のことが大嫌いだった。でも、今は自分を許せるし、ありのままの自分が弱くてもいいじゃないか、人は人、自分は自分だと思えます。何よりも自分が自分の親衛隊長でないと、何も始まらないと思うんですよ」 

 

「誰かに話しても、共感してもらえずに、根性論、精神論で片付けられてきたこともあったと思います。でも、今はSNSがあるので、自分の辛さや苦しみ、痛みをそのまま言葉にして、検索してみること。絶対に何かにつながりますから」と高知さん

最後に、「家庭」に対して辛い、苦しい思いをしている子どもや若者たちへのメッセージを聞いた。

「一人で我慢して苦しまないで、SOSを出して、人とつながることが大切です。とはいえ、今までのつながりではきっと救われなかったから、今、苦しんでいるわけですよね。 

誰かに話しても、共感してもらえずに、根性論、精神論で片付けられてきたこともあったと思います。SOSを出しても、それが同じ思い、同じ苦しみを経て、明日を信じて頑張っている人達につながらないと、レールがない。 

でも、今はSNSがあるので、自分の辛さや苦しみ、痛みをそのまま言葉にして、検索してみること。絶対に何かにつながりますから。SNSを利用して、少しでも自分の気持ちを分かってくれる人や、共感してくれる団体につながることで気持ちが楽になることはたくさんあると思います」

半年の時間をかけ、自分の半生の苦悩と、薬物依存症からの回復について綴った著書『生き直す 私は一人ではない』(青志社)
  • 取材・文田幸和歌子

    1973年生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌等で俳優などのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)、『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)など。

  • 撮影安部まゆみ

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