村上宗隆 “村神様伝説”の原点は「書道とトイレ掃除と熊本地震」 | FRIDAYデジタル

村上宗隆 “村神様伝説”の原点は「書道とトイレ掃除と熊本地震」

日本球史に残る新たな記録を打ち立てた男 東京ヤクルトスワローズ29年ぶりの連覇に貢献 関係者が明かす

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9月25日のDeNA戦で優勝を決めた直後、ベンチを飛び出す村上。感涙にむせぶ年上の山田哲人を抱きかかえる場面も
9月25日のDeNA戦で優勝を決めた直後、ベンチを飛び出す村上。感涙にむせぶ年上の山田哲人を抱きかかえる場面も

「ヨッシャー!」

優勝が決まった瞬間、ヤクルトの主砲・村上宗隆(22)は叫びながら真っ先にベンチを飛び出した。三冠王も視野に入れ日本球史に残る大打者に成長した村上は、9月25日にスワローズが達成した29年ぶり連覇の最大の功労者だろう。

ヤクルトの元4番・広澤克実氏には、忘れられないシーンがある。昨年7月に行われた阪神戦で、村上が2塁走者・近本光司の行動を不審に思い、サイン盗みではないかと審判にアピール。阪神ベンチは激怒し、矢野耀大(あきひろ)監督が「やるわけないやろ、ボケ!」と怒鳴った時だ。

「村上は、まだ20歳を超えたばかりの若者ですよ。しかし物おじせず、矢野監督をにらみつけ阪神ベンチへ威嚇(いかく)するように歩み寄ったんです。審判らが間に入りことなきをえましたが、肝の据(す)わった選手だなと感心しました」(広澤氏)

村上は、重圧をものともせず本塁打を量産している。巨人の王貞治が’64年に樹立した、55本塁打の日本人記録に到達。歴史を塗り替え続けている。

「明確な弱点がない。相手投手は、攻め方が思いつかないでしょう」(広澤氏)

〝村神様伝説〟の原点は、故郷の熊本にある。転機となったのは、’16年4月に起きた最大震度7の熊本地震だ。村上が、高校2年生になったばかりの頃に起きた大震災。母校・九州学院の恩師で、当時の監督だった坂井宏安氏が振り返る。

「校舎から練習グラウンドへは、熊本城の近くを通ります。見慣れたお城が地震でボロボロになっているのを目の当たりにして、村上もショックを受けていました。直後の九州大会は長崎で行われましたが、『余震がない環境は久しぶり。普通にプレーできるのは幸せなことなんだな』と話し合ったのを覚えています。それからですね。村上が野球に対して、よく『感謝』を口にするようになったのは」

村上は3年生になると主将を任される。まず課されたのは、ある「伝統」だ。

「トイレ掃除ですよ。グラウンドには2ヵ所トイレがあるんですが、主将と副主将が練習後に掃除する『伝統』があります。雑用は上級生が率先してやり、下級生は練習に時間を割いて力をつけてもらいたいという考えからです。熊本地震で、野球ができるありがたさを感じたからでしょうか。村上はイヤな顔せず、黙々とトイレ掃除をしていました」(坂井氏)

村上の母親は書道の先生で、本人も高3の時に書展で入賞。プロ入りしてからも、ことあるごとにその時々の心境や抱負を文字に表している。言葉での表現力も秀逸だ。前出の広澤氏が語る。

「投手がピンチになった時は、10歳年上の小川泰弘だろうと20歳年上の石川雅規だろうと、遠慮せずに声をかけています。相手が外国人投手でも同じです。『This is easy.』などと片言の英語で、外国人を和(なご)ませている。野球の技術だけでなく、コミュニケーション能力も高いんです」

まだまだ伸びシロの大きい村上。優勝インタビューでは、本塁打記録更新について「もっとプレッシャーをかけてほしい」と頼もしく語った。

9月13日の巨人戦で54号、55号を放ち本塁打の日本人記録に一気に並ぶ
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高校時代の恩師・坂井氏も「確かに上手かった」と舌をまく村上の直筆文字。母親の文代さんは書道教室の先生
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『FRIDAY』2022年10月14日号より

  • PHOTO共同通信社

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