ノンフィクション作家。１９７１年生まれ。近著『沢村忠に真空を飛ばせた男／昭和のプロモーター・野口修評伝』（新潮社）が第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。昨年末には『力道山未亡人』が第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

細田 昌志

１９８６年４月５日 とんねるず相手に見せた野坂昭如の“蛮勇”

清水圭　突然の引退と「西のとんねるず」になれなかったあの夏

芸能時空探偵

<h2>「猪木の奥さんが！」</h2>
<p>2022年10月1日、天才プロレスラー、アントニオ猪木が亡くなった。</p>
<p>午前9時13分に「猪木死去」の一報が流れると、日本中を悲しみが駆けめぐり、SNSは瞬く間に哀悼のメッセージで覆い尽くされた。</p>
<figure id="attachment_270968" aria-describedby="caption-attachment-270968" style="width: 634px" class="wp-caption aligncenter"><a href="#" data-ident_hash="9d302ab3"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2022/10/inoki.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-270968" class="wp-caption-text">1971年3月29日、UNヘビー級のベルトを獲り、羽田空港で倍賞美津子と婚約会見を行った猪木（写真：共同通信）</figcaption></figure>
<p>程なくして、かつての弟子たちのコメントもタイムラインに流れた。</p>
<p>「プロレスの全てが猪木さん。人生そのものでした」(藤波辰爾/「日刊スポーツ」2022年10月1日20時44分配信)</p>
<p>「猪木さんと新日本プロレスに出会って、その一員になれたことがすごく幸運だった」(前田日明/「デイリースポーツ」2022年10月2日22時53分)</p>
<p>“猪木信者”だった筆者にとっても思い出は尽きない。最も古い記憶は、ターザンの格好をして「ジャンボー」と叫ぶ「ジャンボフランクフルト」(日本ハム)のCMだろうか。幼稚園児の頃である。テレビのプロレス中継も見るようになり、小3の頃には完全に夢中になっていた。一緒に見ていた両親は「猪木は大げさ」「カッコつけしぃ」と囃し立てたが、不思議と耳に入らなかった。何より試合が面白かったからだ。つまり、初めて親の影響から脱して自我が芽生えるきっかけとなったのが、アントニオ猪木ということになるのかもしれない。</p>
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<p>これは異論もあろうが「派手」「華がある」と言われる猪木のことを、筆者はそう感じたことがなかった。底抜けに明るい印象など持ちようがなく「暗い」「内向的」なイメージをむしろ抱いた。子供心に「この人は日頃の不満を対戦相手にぶつけている」と感じたことさえある。だからこそ惹かれたのもあった。</p>
<p>猪木を知ることで倍賞美津子の存在も、おのずと視界に入ることになる。</p>
<p>猪木信者にとって彼女は「猪木の妻」だったろうが、実際はそんな肩書など必要のないくらいの人気女優だった。映画やドラマに頻繁に出演していたし、何と言ってもCMである。大げさではなく、ある時期においては、見ない日はなかったと言っていい。今で言えば米倉涼子が近い気もするし、長澤まさみのようでもあるが、全然違うかもしれない。ともかく、それくらい露出していた。</p>
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<p>露出と言えば、筆者が小6のとき映画『楢山節考』(監督・今村昌平)が公開された。海外の映画賞を獲得したことは、新聞やニュースが盛んに報じていたので、子供でも知っていた。この『楢山節考』を筆者は、よせばいいのに同級生たちと観に行ったのである。</p>
<p>何故、小6の子供が“今村昌平のこの手の作品”を観に行ったのか、記憶力のいい筆者ですら、詳しい経緯を思い出せないのは、作品があまりに衝撃的だったからだ。</p>
<p>脳裏に刻まれたのは、豊満な肉体を惜しげもなく開き、汚らしい男たちに組み敷かれる倍賞美津子の姿だった。</p>
<p>「猪木の奥さんが！」</p>
<p>衝撃は大きく、その日の夕飯は喉を通らず、テレビも頭に入らず、夜も眠れなかった。ああまで汚らわしい映画が、何で由緒ある映画賞を受賞したのかわからなかったし、「こんなことなら、観に行くんじゃなかった」と誘った友人を恨みさえした。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="なぜあんな大胆なシーンが…"></div>
<h2>「倍賞美津子」が先だった</h2>
<p>数日後のことである。留守番をしているのをいいことに『火曜サスペンス劇場』の再放送をこっそり見ていたら“愛妻家”として知られる俳優が、濃厚なベッドシーンを演じていた。その刹那、倍賞美津子の豊満な肉体がおもむろに脳裏に甦ると、田舎の小学生にこう囁いたような気がした。</p>
<p><span class="strongInContent">「役者っていうのは、旦那がいようと家族がいようと何だろうと、引き受けた以上はやり通すもんよ」</span></p>
<p>悩める小6が大いに得心したのは言うまでもない。つまり、アントニオ猪木・倍賞美津子夫妻というのは、少年だった筆者を大人の世界にいざなう、案内人のような存在だったのである。</p>
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<p>アントニオ猪木と倍賞美津子。奇跡のような夫婦の交際が、初めて明るみになったのは、国会図書館で調べる限り『女性自身』(1970年1月31日号)と思われる。そこには「スクープ! 倍賞美津子(23才)とプロレスの王者・アントニオ猪木(26才)が結婚へ!」とある。よく語られることだが、当時は「倍賞美津子・アントニオ猪木」の順だったのだ。</p>
<p>記事によると、出会いは1966年、当時、倍賞美津子が在籍していたSKD(松竹歌劇団)の公演を、先輩レスラーの豊登に誘われて一緒に観に行ったことに始まる。豊登はすでに顔見知りで、終演後、SKDの女優たちと渋谷で中華料理を食べたのだという。</p>
<p>筆者が取材を通して交流を持っていた元TBS運動部長の故・森忠大氏(2019年逝去)は、国際プロレスの中継番組『TWWAプロレス中継』のプロデューサーをつとめていた関係で、豊登と親交を持っていた人物である。豊登について次のように回想していた。</p>
<p><span class="strongInContent">「トヨさんっていうのは、芸能界に知り合いの多い人で、映画俳優とか文学座とかの新劇の役者に大勢知り合いがいた。和泉雅子なんか妹みたいにしていたんじゃなかったかな」</span></p>
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<p>つまり、倍賞美津子、と言うよりSKDの座員も、豊登の芸能人脈の一つだったと見ていい。このことだけでも、往年のアントニオ猪木にとって、豊登が欠くことの出来ない存在だったことがわかる。</p>
<p>現役を引退した直後の1998年に上梓した『猪木寛至自伝』(文藝春秋)には「その後、何回か食事に行ったことはあったが、いつも彼女の友人や豊登と一緒だった。それ以上の進展もなかった」と書いているが、当時の報道は異なる。知り合って半年後の1966年秋、横浜までドライブをしている。それが初デート。</p>
<p>それからすぐ「俺と結婚してくれよ」と猪木はプロポーズしたという。交際すらしていないのにである。しかし、美津子は返事をしなかった。当然だろう。このとき猪木には妻子がいたからだ。</p>
<p>後味の悪さもあってか「しばらく連絡を取り合わなかった」とあるが、初デート～プロポーズ失敗を1966年秋の出来事とすると、猪木は新団体・東京プロレスのエースとして悪戦苦闘していた時期と重なる。恋愛どころではなかったのかもしれない。</p>
<p>二人が再会したのは、それから3年経った1969年の秋、猪木の友人に姉の倍賞千恵子のファンがいて、「千恵子さんのサインがほしい」という口実で、練馬の倍賞家を訪ねたのがきっかけだった。このとき猪木は日本プロレスに復帰しており、離婚して独身に戻っていた。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="猪木の猛アタックが始まった！"></div>
<h2>猪木の猛アタック！</h2>
<p>ここから、猪木の猛アタックが始まる。プロレスファンだった母親を早々と味方に引き入れ、交際に反対していた父親に狙いを定めた。父親が無類の酒好きなのに目を付け「珍しい酒が手に入りまして」などと言っては頻繁に練馬の倍賞家を訪れるなど“ジジイ殺し”ぶりをいかんなく発揮している。</p>
<p>それどころか、意中の美津子が不在のときも倍賞家を訪ねては、入り浸るようになっていた。「将を射んとする者はまず馬を射よ」を地で行く策士ぶりはむしろ微笑ましい。</p>
<p>かくして、二人は1971年11月2日に結婚する。場所は京王プラザホテルのボードルーム、列席者1500人。世に言う「1億円挙式」である。</p>
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<p>ちなみにこのときの結婚報道だが、産経新聞と報知新聞(現・スポーツ報知)、サンケイスポーツの三紙が「倍賞美津子・アントニオ猪木結婚」で、それ以外の朝日、毎日、読売、スポニチ、日刊、デイリー、東スポは「アントニオ猪木・倍賞美津子結婚」である。情報は正確に伝えておくべきだろう。</p>
<p>それ以降の二人については、あえて記すまでもなく、夫唱婦随の理想的な夫婦となる。昨年「前田日明チャンネル」(Youtube)に出演した筆者が、ホスト役の前田日明と「アントニオ猪木と沢村忠」について論じ合った際、彼が洩らした“猪木論”が印象に残った。</p>
<p>「猪木さんにとって、倍賞美津子さんの存在は大きかったと思う。美津子さんによって、猪木さんは才能を開眼させた。“何を見せるのか”“何を見せる必要がないのか”……。それを美津子さんの影響で得たと思うし、実は大きいことだったんじゃないかな」</p>
<p>筆者も概ね同意する。同意するが、倍賞美津子にとっても、夫であるアントニオ猪木に触発された部分は否定できないのではないか。それが1979年公開の映画『復讐するは我にあり』で三國連太郎相手に見せた、露天風呂での壮絶な濡れ場であり、前述の『楢山節考』の衝撃的な演技である。凡百の女優にはない情念を感じるあたり、それらも“猪木イズム”の一端だったと見えなくもない。事実、彼女はこの時期、次のようなコメントを残している。</p>
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<p><span class="strongInContent">「彼が帰ってくると他人が来たみたいな気がするのね、最近。だから食事だって特別に作らない。(中略)食事も含めて、体調のコントロールってことに関しては、ほんとにプロの世界なのよね。そういうところって、女房でも絶対に入っていけない部分だと思ってる」</span>(『週刊平凡・臨時増刊』1980年4月30日号)</p>
<p>そんな理想的に見えた夫婦にも、別れのときが来るのだ。</p>
<p>筆者が中2だった1985年は、かねてから論じられるように、特別な一年である。</p>
<p>「郷ひろみ・松田聖子破局」「田中派分裂」「科学万博つくば85開幕」「松田聖子・神田正輝結婚」「豊田商事・永野会長刺殺」「おニャン子クラブ大ブーム」「日航ジャンボ機墜落」「ロス疑惑・三浦和義逮捕」「夏目雅子死去」「プラザ合意でバブル経済スタート」「『8時だヨ!全員集合』番組終了」「阪神タイガース21年ぶり優勝」「KKドラフト問題」と事件や出来事に暇がない。筆者の脳裏には「ショーケン(萩原健一)・倍賞美津子熱愛」も1985年の“事件史”に含まれる。</p>
<p>すっぱ抜いたのは『FRIDAY』(1985年9月27日号)で、この号が発売になったのは、皮肉なことに、猪木が東京体育館で愛弟子の藤波辰爾と名勝負を繰り広げた翌日の9月20日だった。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="秋に結ばれ、秋に別れ…"></div>
<p>記事によると、9月4日午後4時55分、ショーケンの住む青山のマンションから倍賞美津子が出て来た。直撃された彼女は「お友達のなかの、とってもいいい友人の一人。やましいことはしておりません」(同)と供述するも、近隣の主婦は「倍賞さんの姿を何度もみました」(同)と証言している。</p>
<p>二人の出会いは、連城三紀彦の直木賞作品『恋文』の映画版で、夫婦役として共演したことがきっかけだった。共演者と恋仲になりがちなショーケンらしいが、相手が人妻というのは珍しく、2008年に上梓した回顧録『ショーケン』(講談社)によると、前年のクリスマスに彼女からかかってきた「クリスマスどうしてる?」という一本の電話が発端だったという。</p>
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<p>「倍賞さん、家族がいるんじゃないの?」と問い返すと「今、バラバラだから」と彼女はこぼした。するとショーケンは「じゃ、いいよ。家に来て」と告げたというのだ。</p>
<p>この熱愛報道もあって、映画の注目度が高まったのは間違いなく「出来レースだったのでは?」と見る向きもなくはなかった。それでも、中2の筆者は観に行こうとは思わなかった。忌まわしき作品だと思ったのである。</p>
<p>夫である猪木も翌年の5月上旬、深夜3時に六本木のクラブのホステス宅から出てきた瞬間を直撃されている。その様子は『FOCUS』(1986年5月30日号)にバッチリ掲載された。スキャンダルの責任を取って「男のけじめ」と称し、丸坊主にしたことは話題を呼んだ。おそらく、夫婦関係はこの頃すでに破綻していたのだろう。</p>
<p>翌1987年秋、二人は正式に離婚する。秋に結ばれた二人は、秋に別れたのだ。</p>
<p>猪木の闘病生活が伝えられていた昨秋、筆者は神保町シアターで特集上映された『恋文』を鑑賞している。「猪木が倍賞美津子と離婚するきっかけとなった映画」くらいにしか認識していなかったが、「今なら観てもいいか」と思ったし「観ておくべき」とも思った。</p>
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<p>詳しいストーリーについては、識者のレビューを読んでもらえたらいいが、「倍賞美津子が感情を動かすのも無理はない」と思えるロマンスだったことは記しておく。何度か自然に涙がこぼれた。泣ける大人の恋話がそこにあった。</p>
<p>映画が公開された中2のとき、観に行っておけばよかったと悔やみもした。こういう作品は多感な時期にこそ観ておくべきだろう。</p>
<p>そして見終えた今、改めてこう思うことにしている。</p>
<p>「これも猪木イズムだったのだ」──と。</p>


ノンフィクション作家。1971年岡山市生まれ。鳥取市育ち。サムライＴＶキャスターをへて放送作家に転身。テレビやラジオを担当しながら、雑誌やＷＥＢに寄稿。著書に『坂本龍馬はいなかった』（彩図社）、『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』（イースト新書）。近著『沢村忠に真空を飛ばせた男／昭和のプロモーター・野口修評伝』（新潮社）が「第43回講談社・本田靖春ノンフィクション賞」を受賞。

細田昌志

共同通信

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