「『ブリッ子』の生みの親」「突然丸坊主に」…山田邦子が「M-1審査員」に選ばれた”納得の理由” | FRIDAYデジタル

「『ブリッ子』の生みの親」「突然丸坊主に」…山田邦子が「M-1審査員」に選ばれた”納得の理由”

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審査員を務めることになった山田邦子
審査員を務めることになった山田邦子

山田邦子(62)が『M-1グランプリ2022』の審査員に選ばれたことが話題になっている。2001年に始まった同グランプリは途中2010年で一端終了したが、2015年に復活、今年が18回目となる。長い歴史の中で審査員を務めた女性は上沼恵美子(67)ただ一人。山田は史上二人目の女性審査員となった。

山田の芸歴は古く、高校1年生の時に伝説の素人参加型バラエティー番組『TVジョッキー』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たすと、その後は素人参加型番組の常連となった。お茶の間の人気者となった山田はプロデビュー前からよく知られた存在で、山田といえば、

「右手をご覧ください。いちばん高いのが中指でございます」

というギャグで知られる“バスガイド”のネタだ。なんでも、このネタは中学以来の持ちネタだそうで、このネタをぶら下げて『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)の人気コーナーだった『お笑い君こそスターだ!』に出場し、見事チャンピオンとなっている。81年の流行語『ぶりっ子』は山田がバスガイドネタの中で口にするギャグ「ぶり、ぶり、ぶりっ子」が元になっているという。

大手芸能事務所に所属してプロデビューすると、その勢いはさらに加速、女優デビューも果たしている。そして彼女を一気にスターダムに押し上げたのが、お化けお笑い番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)だった。今でこそ女性ピン(1人)芸人が多数活躍しているが、80年代初めは女性お笑い芸人といえば大抵は漫才コンビで、コンビを解消してピンとなる芸人はいたが、最初からピンで活躍したのは山田が初めてではないだろうか。

同番組で人気芸人の仲間入りを果たした山田は、85年に突如丸刈りの坊主頭になり世間を驚かせたことがある。当時は、ストレスで円形脱毛症になったからと報じられていたが、後になって、

「出演していた時代劇の撮影でカツラがかぶりやすいから」

と、本当の理由を述べていた。

世間をアッと言わせた山田の快進撃は留まることがなく、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ系88年~94年)『MOGITATE!バナナ大使』(TBS系89年~95年)のMCに就任。司会業に進出すると、ついに『邦ちゃんのやまだかつてないてテレビ』(フジテレビ系89年~92年)という冠番組を持つことに。それまでゴールデンタイムで冠番組を持った女性ピン芸人はおらず、山田が『天下を取った女性芸人』と評価されるのは誰もが納得するところ。

それだけではない。NHKの『好きなタレント調査』(1975年から2003年まで毎年実施)において、88年から8年連続で好感度タレント1位を記録。これは、明石家さんま(67)の6年連続を上回っている。90年には『あっかんベーゼ』(太田出版・現在は角川文庫)で小説家デビューすると、翌年に出版した『結婚式』(太田出版・現在は幻冬舎文庫)が発行部数40万部を超えるベストセラーに。その後も小説を何冊か出版するなど、山田の多才ぶりには驚かされるばかりだが、ここでは書ききれない『山田伝説』はまだまだある。

「私は〝職業:お笑い″だから」のプライド

しかし頂点を極めても、そこに留まり続けるのは容易なことではない。露出が多ければ多いほど飽きられるのも早いもの。

「冠番組の視聴率もどんどん低下していきました。と同時に好感度No.1の反動なのかバッシングが起きて、彼女の人気は急落していきました」(元バラエティー番組制作スタッフ)

間が悪いというか、そんなときに限って恋愛スキャンダルが発覚。写真誌や芸能レポーターの標的となって追い回されることになる。そして、芸能レポーターの直撃取材に対し、

「お前モテないだろう」

「バカじゃないの」

と罵倒するシーンがワイドショーで放送されると、好感度ランキングは一気に下落してしまった。その結果テレビから遠ざかってしまった山田だが、所属していた『太田プロダクション』のお笑いライブには不定期でゲスト出演し新ネタを披露していたし、19年3月まで放送されていた『日曜バラエティー』(NHKラジオ第1)の冠コーナー『邦子のなんなんでSHOW』でもネタを披露している。19年からは『落語芸術協会』の寄席で漫談を披露し、デビュー40周年を迎えた20年には浅草演芸ホールで初高座、昨年は桂宮治の真打昇進襲名披露興行にゲスト出演し口上を述べるなど、形は変われど“お笑い”の活動は続けている。かつて、

「私は〝職業:お笑い″だから。まあ、色んな仕事してるけどね。もう、本職だからさ。これはやめたくないね」

と語っていたように、お笑いに対する情熱は失っていない。そんな山田が『M-1』の審査員を務めることに、「誰?」とSNSで批判的な書き込みも見られたが、山田はそれにも自身のYouTubeチャンネルでしっかり反応。

「あのね、おばちゃんですけど、42年やってんすよ。芸能界」

と、反論しつつ、

「私の審査の基準は、その日、一番おもしろかった組」

と、審査の基準も明らかにした。お笑い芸人を多く抱える芸能事務所の幹部はこう語る。

「『M-1』は挑戦者だけでなく審査員も笑いのセンスが問われます。その点、上沼さんは秀逸でした。審査自体が“笑い”になっていて、挑戦者を食ってましたからね。山田さんは、上沼さんとは異質ですが笑いのセンスは抜群です。審査員としては最適じゃないでしょうか」

果たして、山田は上沼の後継者としてふさわしいのか、『M-1』を見る楽しみが倍増した。

1985年、人気絶頂期に突如、坊主頭にして世間を驚かせた山田邦子。この時、インタビューでは「たけし軍団を越える女性のコント集団を作りたい!」と、声を上げていた
1985年、人気絶頂期に突如、坊主頭にして世間を驚かせた山田邦子。この時、インタビューでは「たけし軍団を越える女性のコント集団を作りたい!」と、声を上げていた
1989年、『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』(ニッポン放送)のMCに抜擢され、1億円以上の寄付金を集め、リスナーから花束を受け取り、感無量の表情の山田
1989年、『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』(ニッポン放送)のMCに抜擢され、1億円以上の寄付金を集め、リスナーから花束を受け取り、感無量の表情の山田
  • 佐々木博之(芸能ジャーナリスト)

    宮城県仙台市出身。31歳の時にFRIDAYの取材記者になる。FRIDAY時代には数々のスクープを報じ、その後も週刊誌を中心に活躍。最近は、コメンテーターとしてもテレビやラジオに出演中

  • 写真小松寛之、池田賢二(2,3枚目)

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