山田邦子が明かす 宮沢りえへの「無茶ぶり指令」に困惑の過去
短期集中連載 いまだから話せるアブナイエピソード満載! やまだかつてない対談 第2回
「彼はアーノルド・シュワルツェネッガーや宮沢りえちゃんの振り付けをした大先生。『ホンモノの天才』なんだけど、『ホンモノのバカ』でもある。もう大変な人なのよ(笑)」
日本経済もテレビも、お笑いも輝いていた’80年代。そのド真ん中を駆け抜けた山田邦子(60)が、バラエティ黄金時代の仲間に逢いに行く本企画。第2回のゲストは振付師のラッキィ池田(60)である。
邦子「ラッキィさんと初めて会ったのは『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)だったと思うんだけど、『大先生なのに、なんて腰が低いんだ』と感心したの。それがそのうち『違った! すごく変な人だ』と気づくんだけど(笑)」
池田「当時はまだ、変な人がテレビに出られる状況だったんです」
邦子「番組もいい気になって、ガンガン振り付けをさせてね。で、なんとも妙な、独特の振り付けをするんですよ」
池田「毎週毎週、たくさん課題が出ましたね。『やまかつ』後半はお客さんを入れてのナマの舞台。オープニングが必ず踊りなんですよ。別に踊りで始まらなくてもいいんじゃないかって……(笑)」
邦子「そのうち弟さんまで出てくれるようになったよね。名前は『サッシィ池田』」
池田「実家がガラス屋ですから」
邦子「そもそも、なんで振付師になろうと思ったの?」
池田「ダンスです。ディスコ世代で」
邦子「あのディスコのワクワク感は、どう説明したらいまの若い人に伝わるだろうね。ちなみにどのあたりの店に行ってた? 私は新宿の『ニューヨークニューヨーク』とかかな」
池田「新宿は怖くて行けなかったんです。だから、地元の墨田区で……」
邦子「墨田区にディスコなんて、なかったでしょう!」
池田「一軒だけあったんですよ。錦糸町に『グリーングラス』っていうのが。そこに踊りの上手い人がけっこう集まっていた。昼間は工場で働いて、夜になったら着替えて……まさにトラボルタの『サタデー・ナイト・フィーバー』ですね」
邦子「へぇ~!」
池田「で、『ダンスで食べていけたらいいな』って思ったんですよ。ただ、ディスコダンサーでプロなんていないから、ジャズダンスとか踊り全般を習わなきゃと思って教室に通うようになったんです」
ダンスを入り口にして振付師となった池田青年。だが、業界はピンク・レディーを担当した土居甫(はじめ)ら3大振付師が牛耳っており、入り込むスキはなかった。そこで一念発起して改名。「ラッキィ池田」の誕生である。
邦子「どうして『ラッキィ』だったの?」
池田「威厳を持たせようと思いまして。一応、占い師にみてもらいました」
邦子「威厳なさすぎでしょ(笑)。じゃあ、どうしてクネクネやりだしたの?」
池田「なんででしょうね……実家はガラス屋ですし……」
邦子「ガラスが硬かったから?(笑)」
池田「寿司ネタで言うと、『俺はトロまではいかないな。でもイカやタコの楽しみ方もあるんじゃないか』みたいな」
邦子「たしかに『やまかつ』なら、高橋英樹さんがトロだもんね」
池田「でも、土居先生は可愛がってくれたんですよ。『お前はデタラメだけど、それでいいよ』って」
邦子「印象的なのはカップヌードルのCM。シュワちゃんにヤカンを持たせちゃってね、力こぶをグイってねじってさ」
池田「あれはハリウッドで撮ったんです。ただ、ぶ厚い契約書に『踊りも体操も一切禁止』って書いてあって……」
邦子「き・び・しい~!」
池田「だから僕はADとして行きました。『これは振り付けじゃなくて日本の儀式のひとつで、とても神々(こうごう)しいものだ』とか言って、どうにかやらせました」
邦子「ラッキィさんに感謝だね(笑)」
池田「実は2本撮りで、次の日は屋外。湖でシュワちゃんがボートを漕(こ)ぐシーンの撮影でした。2本目は僕と無関係だったので、湖畔にテントを張って見学していたんですよ。そしたら、電通の人が『カップヌードル食いましょうか』って言うから『いいね!』ってお湯を沸かして食べた。食べながら『最高だな~』ってふと振り返ると、テントが燃えてんの」
邦子「えー!」
池田「『まあでも、他に燃え移るものもないから、いっか!』って食べ続けました。怒られませんでしたね、なぜか」
邦子「デカいわね、アメリカは(笑)。『やまかつ』にはエディ・マーフィにトム・ハンクス、ブルース・ウィリスと、外国からもビッグなゲストが来てくれたけど、シュワちゃんはすっごく横柄だったの。挨拶に行っても『あぁ、ハイハイ』って感じだし、貴賓室を用意しろとかうるさくてさ。でも、いまの話を聞いたら、なんか気分が良くなったわ(笑)」
池田「宮沢りえちゃんのCM撮影のときは、お母さんが厳しかったですねぇ」
邦子「りえママは有名ですよ」
池田「『ウチのりえはまだ子供なんだから、とにかく早く終わらせなさい!』と怒られました。一方で『面白いものを作ってくれ』とオーダーされているから、どうしても押してしまって……すると夜中1時をまわったころ、お母さんが『2時までに終わったらキャッシュで15万円あげる!』と言い出した。現場監督と『もう終わらそう』と話し合ったんですけど、結局、終わったのは朝4時でした(笑)」
邦子「いかにりえからママを剥がすかが大事でね。ただ、売り込み方は確かでした。『とにかく、(ビート)たけしさんに可愛がってもらいなさい』って熱心なの。いつだったか、たけしさんと内田裕也さんと3人で写真を撮る機会があって、りえママがりえにこう言ったのよ。『上半身裸になって、二人に手でおっぱいを隠してもらう画を撮りましょう』って。さすがのたけしさんも『勘弁してくれ』って」
いまも『AKB48』や『関ジャニ∞』ら人気アイドルやNHKの子供番組の振り付けを担当。大流行したアニメ『妖怪ウォッチ』の『ようかい体操第一』では作詞まで手掛けるなど大活躍のラッキィ池田。それでも「やまかつは特別な時間だった」と振り返る。
池田「中学時代に近いかな。どこにも共通項がない人、好きなものがバラバラな人が集まっていた。気がつくと金メダリスト(森末慎二)がいたり。いまは好きなものが同じ人同士で集まる番組が多くなった。デタラメな番組が少なくなった」
邦子「オンリーワンの人ばっかりだった。その中でもラッキィさんは特級のオンリーワンでナンバーワンな人。そう見えないでしょ? そこが凄いんです(笑)」
『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』’89年~’92年、水曜21時から放送。高橋英樹のお笑い初挑戦、『やまかつWink』のデビュー、KANの『愛は勝つ』のヒットなど話題を連発した
■本対談のフルバージョンはYouTube『山田邦子 クニチャンネル』にて、8月7日以降に順次公開されます!!
『FRIDAY』2020年8月14日号より
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- 取材・文:細田昌志
- 撮影:小松寛之
ノンフィクション作家
ノンフィクション作家。1971年生まれ。近著『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)が第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。昨年末には『力道山未亡人』が第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞。