「動くか~」滝沢秀明氏が再始動か ジャニー喜多川さんの“霊きゅう車助手席”姿にあらためて思うこと
’22年の芸能界で大きく注目を浴びた出来事の一つは、ジャニーズ事務所の「独立問題」でした。
10月いっぱいで元タレントで副社長だった“タッキー”こと滝沢秀明氏が退社。11月には人気グループ『King&Prince』の平野紫耀、岸優太、神宮寺勇太の3人が’23年中での独立を発表しました。ファンはもちろんのこと、世間にもこの発表は大きな驚きをもって受け止められました。
そんな中、滝沢氏は1月9日に自身のツイッターを更新。
《無限の可能性を信じて動くか~》
と、再始動を示唆するようなコメントに、ネットはザワつきました。副社長だった滝沢氏の退社は、ファンだけでなく所属タレントにとっても一大事でした。
「’19年に亡くなったジャニーズ事務所社長だったジャニー喜多川氏の死後、デビュー前の“Jr.”の育成やプロデュースなどは、滝沢氏が一手に引き受けていました。
実際に’20年に同日デビューした『Snow Man』『SixTONES』や、’22年の『Travis Japan』世界デビューなどは、まさに滝沢氏の功績と言われています」(スポーツ紙記者)
確かな結果を残してきた滝沢氏がジャニーズを離れたことは、大きな驚きでした。滝沢氏が芸能活動を引退して裏方に回ったのは、まだジャニー氏が存命中の’18年のことでした。
滝沢氏の決断に対して当時ジャニー氏は
《滝沢秀明がタレントとしての経験と知識を生かし、『ジャニーズJr.たちの育成で、ジャニーさんを手伝いたい。』と言ってくれた時、私は驚きと共に嬉しくて涙がこぼれそうでした。このような決断をしてくれた滝沢には心より感謝しています》
と思いを述べていました。対する滝沢氏も、
《ジャニーさんの存在は大きすぎて、決して超えられるものではない。だからこそ今この仕事は、私の一生をかけたテーマになりました》
と後継者への並々ならぬ決意を示していたのが印象的でした。
そんな彼が“主役”として私たちの前に現れたのは、’19年7月のこと。ジャニー喜多川氏の葬儀でした。
ジャニー氏が愛したJr.たちの養成所のある都内のビルで、報道陣もシャットアウトされ行われた内輪だけの葬儀。そこで、霊きゅう車の助手席に乗っていた滝沢氏の姿をとらえたのが、冒頭の写真でした。
タレントだけでなく、事務所関係者などを集めた葬儀で、“喪主”が座る場所にいたのは、実姉のメリー喜多川さんでも姪のジュリー藤島さん(現社長)でもなく、滝沢氏だったのです。
その写真が現場から送られてきたとき、編集部が騒然としたことを鮮明に覚えています。それくらい、インパクトのある写真でした。
親族でもなく、近藤真彦さんや東山紀之さんなどの事務所の先輩たちをも差し置いて座った“後継者”の座。それを内外に正式に示した瞬間と言っていいでしょう。
ですが、その日からたった3年で、滝沢氏はジャニーズ事務所を去りました。
「ジャニーズ事務所は、スカウトとプロデュースに天才的な才能を持ったジャニー氏と、マネジメントと対外的な交渉を行う実姉のメリー氏の“姉弟”の強力なタッグの元、大きくなった事務所です。
ジャニー氏亡きあと、その役割を滝沢氏が担ったわけですが、やはり血縁ではない赤の他人である彼では、荷が重すぎたのでしょう。なかなか滝沢氏の思い通りにならないことも多く、かなりストレスが溜まっているようでしたね…」(芸能プロ関係者)
ジャニー氏に託され、“私の一生をかけたテーマ”と誓った滝沢氏。ですが、その思いはわずか3年で砕かれてしまいました。
しかし、彼の“思い”が潰えたとは思えません。ツイッターなどのSNSで再始動を匂わせるような発信をしている滝沢氏ですが、今後、どんな活動をしていくのかは明らかにしていません。
この3年間で、彼はジャニーさん譲りのプロデュース能力を見せつけてくれました。独立したとはいえ、“ジャニーさんへの思い”をこれまでとは違った形で実現してくれることを期待しつつ、今後の動きに注目です――。
- 文:荒木田範文(FRIDAYデジタル芸能デスク)
- PHOTO:結束 武郎