沢田研二「キネ旬」表彰式にビデオメッセージ ドタキャン騒動から復活も徹底したメディアとの距離
2月1日、『2022年 第96回キネマ旬報ベスト・テン』の表彰式が行われ、主演男優賞に沢田研二(74)が選ばれた。対象作品『土を喰らう十二ヵ月』で沢田は、長野の山荘で自給自足の生活をしながら、時々山荘に訪れる歳の離れた編集者の恋人とのどかな生活を送る作家を演じている。沢田は式には出席せず、ビデオメッセージを寄せ、
「こういう賞とはもう一生縁がないと思っていました。萩原健一のようなすごい人が取るもんだと感じていたんです」
と語った。さらにグループサウンズ(GS)の頃からライバル関係にあり、その後、昭和を代表する歌手、俳優として活躍した萩原健一の名を挙げ、こう続けた。
「この歳になってこんな賞をいただけるのは驚きであり、喜びでもありました。本当にありがとうございました」
と喜びを語った。
「会場にいた映画関係者、俳優だけでなく、マスコミ関係者も感動していました。沢田さんとショーケンさんはGSの頃は『犬猿の仲』と言われ、ずっとライバル関係にありましたけど、一時ですが、一緒にグループを組んだこともあり、お互いにリスペクトしていました。このタイミングで名前を出すあたりさすが沢田さん、かっこいいと思いました」(スポーツ紙記者)
その一方で、こんな見方もある。
「あの騒動以来、久しぶりに沢田さんが公の場に出てきてくれることをわずかながら期待していましたが、『やっぱり来ないよね』という空気は流れていましたね」(前出の記者)
あの騒動とは、2018年10月、さいたまスーパーアリーナで行われるはずの公演が観客も入れ開始を待つだけという状態から突然中止となり、大騒動に発展したことだ。沢田は翌日、自宅へ詰めかけた大勢のマスコミへ対応するため自宅近くの公園で会見を開き、
「ファンの方にはご迷惑をおかけして申し訳ありません。責任は僕にあります」
と何度も頭を下げて謝罪した。さらに、
「観客がスカスカの状態でやるのは酷なこと。『ライブをやるならいっぱいにしてくれ。無理なら断ってくれ』と(事務所やイベンターに)いつも言ってる。僕にも意地がある」
と自身のポリシーも口にしていたが、この日を最後に、一切、インタビューには応じていない。
「沢田は過去の暴力事件や略奪婚で散々マスコミに追い回されて叩かれた。あれ以来、メディアとはもともと絶縁状態でした」(芸能事務所幹部)
最初の騒動は1975年。博多駅の新幹線に乗るため東京駅にやってきた沢田をひと目見ようと詰めかけた多くのファンに向かって、駅員が「キャーキャー騒ぐだけのミーハーはくだらないな」とぼやき、その言葉を耳にした沢田が激怒。その駅員に頭突きを喰らわしたのだ。駅員の顔面は血に染まり、その場で沢田に謝罪するも沢田は聞き入れず暴れたため、鉄道公安室に連行される騒ぎになった。
さらに翌年、また事件は新幹線車内で起きた。沢田に向かって乗客が「いもジュリー」と叫び、沢田はその乗客を殴りつけたのだ。沢田は後日、丸の内署に呼び出され事情聴取を受けている。
83年には田中裕子(67)との不倫が発覚。連日連夜、マスコミが沢田を追い回すほどの大騒動になった。不倫発覚から4年後、沢田は慰謝料代わりに全ての財産を夫人に譲渡し、89年に田中と再婚。以来、二人は今も横浜の自宅で暮らしている。本誌もこれまで何度か自宅を訪れ取材を試みたが、沢田が口を開くことは一度もなかった。
「3年前、ファンに謝罪するためとはいえ、会見に応じたことは本当に驚くべきことで、ずいぶん丸くなったと感じたものです。主演男優賞の表彰式ですから、取材陣が直接聞きたいことはたくさんありました。もしかして…とは思ったのですが、やはり、まだ過去のトラウマを引きずっているようですね」(スポーツ紙記者)
ライブ活動は積極的に続けている沢田だが、次にメディアでお目にかかれるのは一体、いつになるのだろう。
次の記事はこちら #2 個人事務所も閉鎖して…沢田研二「ひっそり引退の真相」
- 写真:竹本テツ子(1枚目)、山田宏次郎(2枚目)、結束武郎(3枚目)宮嶋茂樹(5枚目)