江戸時代は「リスキリング」の時代だった!? 岸田首相に学んでほしい徳川家が行った異次元の教育改革
德川宗家19代・德川家広さんに聞く
NHK大河ドラマ「どうする家康」で徳川家康に注目が集まっている。戦いもなく平和だった時代、徳川家が力を入れたのは“教育”だった。なぜ教育に力を入れたのか?
「平和な世の中にしたかったからです」
こう言うのは、今年19代德川宗家を継承した德川家広さん。

「戦国時代に入る前、日本は天皇につながる血筋の人間が国を動かしていました。源氏も平家も、皇室から枝分かれした人々です。それが戦国時代になると、身分の低い者が上位の者に実力で打ち勝ち、地位をとってかわっていくようになりました。そう、“下剋上”です。
その最たるものが豊臣秀吉。彼が太政大臣になったことで、『自分もひょっとしたら』と思う日本人が激増しました」
朝鮮出兵…15万人の成功体験がもたらしたもの
それに拍車をかけたのが秀吉が行った朝鮮出兵。この戦いのために15~16万人が朝鮮に送り込まれた。当時の日本の人口は約1500万人だったから、人口の1%を超える大軍で朝鮮に攻めこんで戦ったことになる。6年間戦って、朝鮮の援軍・中国の軍隊にも打ち勝った。
「これで自信がつきました。日本は強いから外国と戦争するべきだ、そして 戦いで活躍すれば偉くなれると思う人がぞろぞろ出てきた。
なにしろ15万人が成功体験をしているのですから。戦いで手柄を立て、出世したいという下からの圧力をいかにかわすか。これが江戸時代のテーマでした。
そこで力を入れたのが教育。暴力ではなく、知力によって出世する……価値観の大転換を目指したのです」

「人への投資」に尽力した江戸幕府
家康は息子の秀忠に将軍職を譲り、大御所として君臨している時期に活字印刷に力を入れ、本の出版も行った。
「ところがこれは続きませんでした。なぜなら、漢文が読める人が少なかったから」
家康の思いを継いで、その後も教育に力が入れられた。とくに5代綱吉は公文書に使われる書体を統一。幕府直轄の学問所として昌平坂学問所を建設。各地の藩校から秀才を受け入れる最高学府とした。ここは今も湯島聖堂として残っている。
18世紀後半になると各藩直営の藩校が続々と誕生し、武家の子弟はここに通うことが義務付けられた。寺子屋も街中にたくさんできた。
岸田首相は“未来創造会議”を開き、人への投資を進めると言っているが、すでに江戸時代に人への投資は行われていた。それも260年も続けて。
「武士には漢文を学ばせましたが、これは今でいう英語を社内公用語にするようなもの。当時、東アジア、ひょっとして世界でいちばんの先進国が中国でしたから」
8代吉宗の時代になると、洋書が実用書に限って輸入されるようになり、それらも翻訳されるようになった。
“鎖国”していたとはいえ、今よりずっと国際的ではないか。
「実は今、 徳川幕府は“鎖国”などしていなかったという見方が学界では主流となりつつあります。なぜなら江戸時代の日本も海外に開かれていたからです」
開かれていたのは、長崎の出島だけだったのでは?
「当時は貿易も人の出入りも出島だけで充分だったんです。だいたい、開かれていればよいというものではなく、現代のどこの国でも、人の出入りも貿易も、それなりの制限は設けています。
鎖国していたように見えるのは、日本人が海外に出ることを禁じていたからです。
なぜそうしたかというと、全東アジア的に倭寇と朝鮮出兵の悪印象が強すぎたからだと思います。日本人が海外に出て暴れると貿易の関係が悪化する。だから、外に出さないほうがいいと判断したのでしょう」

参勤交代の目的は「教育」と「地方創生」!?
「家康公の戦略でいちばん重要だったのは、国土の中心を江戸にすること。江戸という新しい都市、そして当時まだ開発の余地のあった東日本で、平和共存と経済主義という新しい価値観を江戸っ子に植え付けたかった。
だから利根川を付け替える大工事を行って、関東平野の人口を増やしていった。そして参勤交代を通じて日本中の武士を『江戸っ子』にしていったんです」
参勤交代というのは、大名たちが反旗を翻さないために財力を削ることを目的に行われたものではなかったか?
「私は、むしろ『みんな仲良くしましょう』という意味で行われたと思っています。
当時は今のように交通手段が発達していませんから、それぞれの藩はすごく離れていて、一つの国と感じるのはむずかしい。藩が分裂していって、内戦状態になると困る。どうしたら統一を維持できるかを考えて、参勤交代に落ち着いたのではないでしょうか」
江戸に来れば、全国の大名が顔を合わせることができる。学力をつけることが出世の道という江戸の価値観を知ることもでき、それを国元に持ち帰ることもできる。各地で藩校ができたのは、参勤交代のおかげかもしれない。日本全体の活力を上げようとした、まさに“地方創生”ではないか。
「経済的に疲弊させることが目的だったら、260年も続かないでしょう」
そうかもしれない。それにしても、平和な世の中を作るという大きな目的のために、学問を推奨し、そのためにあらゆる手段をとってきたことに驚く。
今の政治家は日本をどんな国にしたいと思っているのだろう。岸田首相は“新しい資本主義”のために人への投資を進めたいと言っているが、“新しい資本主義”って? 丁寧に説明してほしいものだ。

德川家広 2023年1月より、德川宗家19代当主。1月29日に記念式典「継宗の儀」を増上寺で行った。慶應義塾大学を卒業後、ミシガン大学大学院で経済学修士号を取得。財団法人国際開発高等教育機構(FASID)、国際連合食糧農業機関(FAO)のローマ本部、ベトナム支部(ハノイ)に勤務し、その後コロンビア大学大学院政治学研究科を修了し、政治学修士号を取得(国際関係論)。映画『グリーン・ゾーン』の字幕翻訳を手掛けるなど、現在は政治評論家、翻訳家、作家として活動。公益財団法人德川記念財団理事長、長崎大学国際連携研究戦略本部客員教授。久能山東照宮博物館、日光山輪王寺宝物殿では徳川家ゆかりの品々を常設展示している。
取材・文:中川いづみPHOTO:田中祐介