扇千景さんが他界 政治家として梨園の妻として“男を巧みにコントロールした”華麗なる人生
元宝塚女優で女性政治家として初めて参議院議長を務めた扇千景(本名・林寛子)さんが「食道胃接合部がん」のため3月9日、都内の大学病院で亡くなっていたことを歌舞伎座が公表した。89歳だった。
兵庫県随一の進学校である兵庫県立神戸高等学校を卒業後、友人が勝手に願書を送付したことがきっかけで宝塚音楽学校に合格し、女優の道へ。1954年10月に宝塚映画で女優デビューを果たし可憐な娘役で人気を博すも、27歳で歌舞伎俳優の二代目中村扇雀(後の人間国宝・坂田藤十郎)と結婚。梨園の妻となったことで女優業から遠ざかった。
「わずか1年で復帰すると多数のドラマや映画に出演し、1973年からはフジテレビの人気ワイドショー『3時のあなた』の司会を務め、主婦層の支持を集めました。そこに目をつけた当時の自民党総裁・福田赳夫と幹事長・大平正芳から要請を受けて参議院議員候補として自民党の推薦を受けて立候補。見事当選しましたが、当時は、タレント議員の一人に過ぎませんでした」(全国紙記者)
その後も国民人気をバックに政治家として発言権を増していく。1994年の3月31日、自民党を離党する際には本誌取材に、
「自民党は分裂しますよ。与党ボケが抜けず、議員たちに意識改革する気がまるでない。予算を人質にとって首相の疑惑を追及する作戦も今まで散々批判してきたやり方でしょ!」
と怒りを滲ませた。その後、小沢一郎が旗揚げした新生党に入党するも’00年にその小沢と袂を分かち、保守党を旗揚げ。初代党首となり’00年の第2次森内閣で建設大臣兼国土庁長官として初入閣を果たす。運輸大臣、初代国土交通大臣なども務め、’04年には女性初の参議院議長に就任。’07年に政界を引退した。
「政治家として活動している間も梨園の妻としての役割をしっかり果たしていたといいますから扇さんはすごくパワフルな方。妻として三歩後ろを歩くなんて発想は全くなかったんじゃないでしょうか(笑)。ご主人の藤十郎さんのこともしっかりコントロールされていましたよ」(梨園関係者)
梨園の妻としての扇さんの対応に世間が驚いたのが’02年、本誌がスクープした夫・藤十郎さん(当時は三代目中村鴈治郎)の浮気についてのコメントだった。藤十郎さんは美人舞妓と京都で連日のように逢瀬を重ねていた。藤十郎さんは本誌直撃に、
「一生青春、70歳なのにこんなふうに報じられてうれしい。世の男性も頑張ってほしいですね」
と答えると、当時、国土交通大臣だった扇さんも本誌直撃に、
「全然、気にしてないわ。(男は)モテたほうがいい」
と応じたのだ。この対応に二人の株は急上昇。’18年2月、扇さんは産経新聞のインタビューでこのように答えていた。
〈以前に『徹子の部屋』(テレビ朝日系トーク番組)で、もう一度結婚するなら、主人を選ぶかどうか聞かれたんです。主人は女性との噂も多かったですし、そのときは『嫌です』って答えました。でも、病気のときにとても親切にしてくれたので、昨年3月、夫婦で出演したときには黒柳徹子さんに『宗旨変えしました』って言いましたよ〉(THE SANKEI NEWS2018.1.2)
最後まで大胆で華麗な人生だった扇さん。いまはただ冥福を祈りたい。
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- PHOTO:堀田喬、神崎龍(4枚目)、鬼怒川毅(5枚目)、野沢たか(6枚目)共同通信(8枚目)