バラエティ30年バトル フジ絶頂、日テレ勃興、テレ朝台頭そして | FRIDAYデジタル

バラエティ30年バトル フジ絶頂、日テレ勃興、テレ朝台頭そして

テレビ平成30年史〔5〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)

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テレビメディア「平成の30年間」は、12年連続三冠王というフジテレビの黄金期で幕を開けた。

その後、日本テレビの勃興、フジの再逆転、日テレの再々逆転と、両局のし烈な競争がしばらく続いた。そして直近10年では、テレビ朝日が台頭し、フジの凋落が目立った。
これら民放キー局の浮沈には、編成表の中で最も多くの割合を占めるバラエティ番組の栄枯盛衰が大きく影響している。

平成30年のテレビ史を振り返るシリーズ、5回目は、まさによりバラエティに富むようになったバラエティ番組を振り返る。

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昭和最後の10年

平成直前は、フジの絶頂期だった。

82年から12年連続三冠王に輝き続けたが、その黄金期を支えたのがバラエティ番組だ。
しかも“芸人によるお笑い番組”を確立し、他局を圧倒した。

最初は80年代初めのMANZAIブーム。
続いて『オレたちひょうきん族』(ビートたけし・明石家さんま81年~)、『笑っていいとも』(タモリ82年~)がフジの時代を決定付けた。さらに『オールナイトフジ』(秋本奈緒美・鳥越マリなど83年~)、『ライオンのいただきます』(小堺一機84年~)、『夕焼けニャンニャン』(片岡鶴太郎85年~)など、一世を風靡した番組が幾つも登場した。
高度経済成長からバブル経済の追い風を受け、「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチコピーの下、快進撃を始めたのである。

このフジの大きな方針転換は、実はそれまでのフジのフラグシップ番組の廃止によってもたらされた。
フジの開局当時に始まった『スター千一夜』(59年~)を、81年に打ち切った。65年に始まり、主婦に圧倒的な人気を誇った『小川宏ショー』は、翌82年で終了。そして66年からの『ママとあそぼうピンポンパン』も82年で消えた。

これら三番組は、決して視聴率が不調だったわけではない。
むしろ“母と子のフジテレビ”を象徴する、フジらしい番組として長年親しまれてきた番組だった。敢えてそれらを止めたのは、「例え過半の国民に嫌われても、尖がった番組で20~30%の人々に支持されれば良い」という意識改革を断行するためだったという。

昭和・平成の転換点

長く続いたフジの黄金期。
ところが平成元年には、時代の転換を示唆する出来事が起こった。『オレたちひょうきん族』『今夜は最高!』(タモリ81年~)、『ザ・ベストテン』(黒柳徹子・久米宏78年~)が終了し、一時は視聴率100%男の異名を持つ萩本欽一が、レギュラー番組を全て失った。
そして『笑っていいとも』では、ウッチャンナンチャンとダウンタウンがレギュラーに加わった。
番組や出演者の世代交代を示唆する出来事だった。

80年代前半に勃興したフジ・バラエティを支えたのは、たけし・さんま・タモリらだ。
ところが80年代後半には、新たな勢力が勃興し始めていた。フジの盤石な体制は、次第に軋み始めていたのである。その新時代は、まさに平成元年から表舞台に登場し始めた。

『ザ・ベストテン』の終了は、歌手が自分の持ち歌を3番まで歌っていては、視聴率が維持できない時代の到来を意味した。『オレたちひょうきん族』や『今夜は最高!』の終了は、お笑い芸人を核にした“作られた笑い”が金属疲労を起こし始めている状況を示した。
そしてウッチャンナンチャン・ダウンタウンなど次の世代の台頭は、新たな笑いの時代が始まったことを示唆していた。

平成30年間を彩った様々なバラエティ番組
平成30年間を彩った様々なバラエティ番組

熱量と先端技術とバラエティ

“新たな笑い”を強烈に印象づけたのは、ドキュメント・バラエティだった。
その代表作は、92年に始まった日本テレビの『進め!電波少年』。フジが有名芸人によるスタジオバラエティで一時代を築いたとすれば、松村邦洋・松本明子・猿岩石の有吉弘行など、無名の芸人による従来と異なる笑いで、日テレは新時代を切り拓いたからである。

同番組を担当したのは、日テレの土屋敏男氏。
「バラエティは絶えず先行する番組を乗り越える新しい領域を開拓してきた」と発言している。一見“下らない” “意味のない”笑いを提供しているように見えるが、裏側の制作スタッフは、真剣に“バカバカしさ”を追求していた。
フジが視聴率のとれるタレントを囲い込んでいたのに対して、日テレはタレントに依存せず、企画力と創造力で勝負したのである。

その萌芽は85年開始の『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 』にあった。
細い道を歩く主婦を、100人が小走りに追いつき、一人が「危ない」と叫び全員が身を伏せると、その主婦もつられて思わず身を屈めてしまったシーンをご記憶だろうか。お笑い芸人の芸ではなく、市井の人を巻き込み、“現実味のある”お笑いを目指したのである。

こうした演出を可能にしたのは、80年代前半に登場したENG(VTR一体型カメラ)と超小型のピンマイク。
実は技術革新をお笑いに取り入れたら何が出来るのか、考えに考えた末に、スタジオでの作り物の笑いではなく、ロケに出て普通の人々を巻き込んだハプニングを笑うというアイデアが実現した。

『進め!電波少年』でも、スタジオトークではセットなし。司会とゲストの顔だけを映し、CGアートをバックにクロマキーで顔あるいは上半身だけを合成する斬新な手法が用いられた。当時の最先端技術である。
さらに「アポなしロケ」や「ヒッチハイク企画」では、新登場のハンディカメラなどが使われた。
かくして熱量と先端技術により、ドキュメント・バラエティは誕生したのである。

多様化の時代

昭和から平成になると、バラエティは“多様化の時代”に入っていた。
日テレが89年に始めた『知ってるつもり?!』(関口宏)は、バラエティには珍しく教養をネタにした。同年には、過激でシュールなフリートークとユニークな企画を特徴とする『ガキの使いやあらへんで!』(松本人志・浜田雅功)も始まった。
翌90年の『マジカル頭脳パワー!!』(板東英二)はクイズ・ゲーム・バラエティ。毎正時よりも若干、早くスタートするフライング編成をGP帯(ゴールデンプライム:夜7~11時)で初めて実施した番組だ。
同年には、外国から購入した番組を再構成した『世界まる見え! テレビ特捜部』(所ジョージ)も始まった。
そして92年。たまたま開いてしまった編成の穴を埋めるべく、ワンポイントリリーフで始まった『進め!電波少年』が、新しいジャンルを確立して行ったのである。

かくして日テレは、94年にフジを引きずりおろして、代わりに三冠王に輝く。芸人頼みのバラエティを、企画力勝負が凌駕した瞬間だ。
この変化を受け、フジやTBSなどもドキュメント・バラエティ的な多様化路線を開発し始める。フジは93年に料理をテーマにした『料理の鉄人』(鹿賀丈史)、96年に『SMAP×SMAP』。TBSも97年、V6が学校に乗り込む『学校へ行こう』、99年には社会問題に体当たりを試みる『ガチンコ!』(TOKIO)などを始めている。

21世紀での変化

ところが今世紀に入ると、バラエティの世界に再び変化が生まれる。
きっかけとして大きいのは、01年に発生した米国同時多発テロだ。映画以上の迫力ある映像が、現実社会で起こってしまった。結果として、『電波少年』『ガチンコ』などの“なんちゃってリアル”が色褪せて見え始めた。

『電波少年』の後継番組『進ぬ!電波少年』は02年に終了した。芸能人の体当たり勝負を売りにした『ウリナリ!!』(内村光良・南原清隆96年~)も、同じ年に終わっている。『ガチンコ!』は03年、『学校へ行こう』は05年の終了だ。
さらに2011年、東日本大震災が起こり、衝撃的な映像がテレビ画面に幾つも登場した。かくして時代の変化は、決定的に変わって行く。過激なものより、安心安全や人と人との絆が重視されるようになった。

80年代に強烈な光を放った“テレビの毒”は、平成半ばまで“リアリティ”を味方に支持されてきた。ところが平成中盤以降、バラエティにもう一度変化が生まれる。
かつてフジが掲げた「楽しくなければテレビじゃない」や、ドキュメント・バラエティで起こる爆笑ではなく、より身近で親しめる情報や知識を、クスクス笑う姿勢が前面に出るようになったのである。

02年スタートの『トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~』(高橋克実・八島智人)は、“生きていく上では何の役にも立たない”雑学を武器にヒットした。04年開始の『クイズプレゼンバラエティ Qさま!!』(さまぁ~ず)は、クイズ番組だが、クイズの解答よりプレゼンVTRを楽しむなど、真剣勝負ではない世界で勝負してきた。03年に始まった『アメトーーク』(雨上がり決死隊)は、特定の人物・事柄に詳しい芸人によるトーク番組。“ひな壇芸人”という言葉が流行する元となった番組だ。

ただし平成最後の10年は、バラエティにとって厳しい時代になっていた。
『アメトーーク』が切り拓いたひな壇番組は、リーマンショックでテレビ局の広告収入が減り、制作費を抑えられるために各局が真似を始めた。ところが視聴者からは「どの局も似たり寄ったり」と飽きられ始める。

そしてここ数年、バラエティの新番組ではヒットが生まれ難くなっている。
07年に始まったドキュメント・バラエティの進化系『イッテQ!』以降では、目覚ましいものがない。強いて挙げれば去年スタートの『チコちゃんに叱られる』『ポツンと一軒家』ぐらい。ところが両番組は、高齢者を取り込んでいるに過ぎず、若年層を熱狂させたとは言い難い。

「先行する番組を乗り越える新しい領域を開拓」することで、80~90年代の黄金期は作られてきた。
ところが平成の後半では、その熱があまり感じられない。“バカバカしさ”を切り口に視聴者を虜にし、一時代を作り上げるような制作者の登場に期待したい。

あなたの心に残った平成バラエティは何だろう? そしてテレビのバラエティに何を期待しているだろうか?

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  • 鈴木祐司

    (すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。

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