テレビの音楽番組がカラオケ、リモコン、ネットで激動した30年史 | FRIDAYデジタル

テレビの音楽番組がカラオケ、リモコン、ネットで激動した30年史

テレビ平成30年史〔6〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)

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昨年の大晦日に放送された“平成最後”のNHK紅白歌合戦。

サザンとユーミンがラストに盛り上げ、米津玄師が中盤で聞かせ、MISHAや星野源が際立ち、ネットでも神回と絶賛される出来だった。

ところが視聴率の方はといえば、関東地区で41.5%。出来の割に盛り上がらなかった。視聴率測定が始まった当初は80%を超え、その後80年代初頭まで70%超だった。ところが90年代に50%前後に落ち、直近15年間は40%前後と、当初と比べると半分程度に低迷している。

『紅白』は音楽番組の代表的存在だが、このジャンルは昭和の末から平成の間、右肩下がりが続いて来た。

平成30年間の音楽番組の苦戦ぶりを振り返ってみよう。

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昭和後半の状況

ラジオ時代から続くテレビの音楽番組といえば、多くの人が『NHK紅白歌合戦』『NHKのど自慢』を思い浮かべるだろう。

『のど自慢』は一般視聴者が歌自慢を披露する番組。視聴者参加で受信料制度の定着を狙って始まった番組だ。そして『紅白』は、1年の締めくくりとして、その年を代表する歌手がヒット曲を披露する。音楽番組の代表として、大半の国民が見たことのある番組だろう。

ただし1963年に視聴率81.4%を樹立し、80年代半ばまで70%超を頻発したが、その後の数字はあまり芳しくない。例えば84年の78.1%から89年は47%と、5年で30%も失っている。音楽番組にとって、最初の転機だったと言えよう。

前提には娯楽の多様化とテレビリモコンの普及がある。

テレビの音楽番組にとって、カラオケボックスの普及という多様化が最も脅威だった。

人々がレコード・CD・放送で音楽を聴くだけでなく、自らも歌う側にまわることで好みが多様化した。結果として、老若男女を幅広く引き付ける国民的な流行歌(=最大公約数的な歌)が、出現しにくくなった。年齢・価値観・好みにより、多様な歌が、好み・傾向の似た多様な層に、分散して消費されるようになったのである。

その多様化については、リモコンを手にした視聴者が、ザッピングを盛んに行うようになった点も大きく影響している。歌手が自分の持ち歌を歌うシーンが3~4分も続くと、飽きてチャンネルを替える人が続出するようになって来たのである。

視聴率を落としたのは、『紅白歌合戦』だけではなかった。

70年代から80年代半ばまで高視聴率を誇った歌謡番組も、この時期に軒並み勢いを失った。日本テレビでは、『NTV紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』と続いて、『歌のトップテン』90年3月で終了した。フジテレビでは、22年続いた『夜のヒットスタジオ』が、9010月で終わっている。そして黒柳徹子と久米宏が盛り上げたTBS『ザ・ベストテン』。常に30%以上を叩き出す“怪物番組”として君臨したが、時代の波には抗えず、89年9月で消えている。

平成の始まりと共に、伝統的な歌謡番組は軒並み姿を消して行ったのである。

『紅白』の視聴率推移と民放音楽番組
『紅白』の視聴率推移と民放音楽番組

平成での新たな展開

3番組の終了後しばらく、GP帯(夜7~11時)では音楽番組が低迷する。

ところが90年代半ばに新たな展開を見せる。従来とは異なる演出が加わり、息を吹き返し始めたのである。

94年にはフジがHEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMPをヒットさせた。ダウンタウンのトークとゲストミュージシャンのワンマンライブを中心に構成された番組だ。

続く95年には、日テレが『THE夜もヒッパレ』(司会:三宅裕司・中山秀征)で当てる。ヒット曲を他のゲストが本人に代わって歌う形式で、「見たい、聴きたい、歌いタイ!」を合言葉に高視聴率を誇った。

これら二つの番組は、カラオケブームを意識した演出をしていた。80年代までの番組のように、人気歌手のヒット曲だけでは数字が獲れないため、歌以外の付加価値を付けることで、数字につなげる手法が模索されていたのである。

96年にはTBSが『うたばん』(MC:石橋貴明・中居正広)を始めた。トークを重視し、特にアーティストへの“いじり”が特徴だった。

さらに日テレは同年、『速報!歌の大辞テン』(司会:徳光和夫)をスタートさせる。過去の同時期と今週のヒット曲トップ10を、ワンコーラス程度だけ映像を使って交互に紹介する形式だった。1曲はごく短い紹介であること、カラオケを意識していること、幅広い年齢層を視野に入れた点、トークが重要、という4要素が特徴だった。

ただし、これら進化系の音楽番組も、平成の中盤までには勢いをなくし、後半で次第に姿を消していった。

『THE夜もヒッパレ』は02年で打ち切られた。その頃から数字が振るわなくなった『速報!歌の大辞テン』も、05年に終了した。『うたばん』は10年、『HEY!HEY!HEY!』は12年で終わっている。

視聴率が50%前後だった『紅白歌合戦』が、40%前後に数字を落としたのとタイミングは一致している。

例外は86年に始まったテレビ朝日の『ミュージックステーション』(司会:タモリ)だけ。

90年代半ばに番組方針を、J-POPとアイドルに絞ることで延命を図り、これが一定程度の成功をおさめた。演出過多を狙わず、「楽曲を聞かせる」を基本コンセプトにする数少ない音楽番組だ。

結果として、視聴率が必ずしも華々しかったわけではない。それでもGP帯(夜7~11時)に放送される唯一の音楽番組として生き残った。

音楽はネットへシフト

流行歌のランキング番組から、新たな付加価値を付けた音楽番組も、平成の半ばから後半にかけて消えて行った。

最大の要因はインターネットだった。今世紀初頭に急伸したiPodiTunes05年の登場後に爆発的に利用者を増やしたYouTubeの存在が大きく影響した。

ネット上に大量の音楽が流通するようになり、人々の音楽の好みは各段に多様化した。そして好みの曲にネットでアクセスするのが容易になるのと反比例して、テレビでは多くの視聴者を集める音楽番組が存在し難くなったのである。

結果としてテレビでの扱いは、深夜化と特番化の二極化が進んだ。

93年に始まったCOUNT DOWN TVは、昭和の流行歌のランキング番組の後継的番組だ。ただし司会者なしで、CGによる構成。当初は深夜に30分で始まったが、やがて徐々に尺を伸ばし、2年前からは70分になっている。

当初はランキングも40位から発表していたが、尺が伸びた結果50位からの発表と内容が充実した。一定の地位を確保したと言えよう。

もう一つの極は、期末期首での長時間特番だ。

例えば夏季では、2011年にスタートしたTBS『音楽の日』が第一歩。同年3月11日に発生した東日本大震災に際し、「一つになって歌の力でニッポンを元気づける」をコンセプトに始まった。「テレビ史上・音楽史上過去に例がない約7時間45分という長時間での放送」という触れ込みだった。

各局は次々に続く。

フジは翌12年に『FNSうたの夏まつり』をスタート。日テレは13年にTHE MUSIC DAY14年には『テレ東音楽祭』15年にはテレ朝がMUSIC STATIONウルトラFESを始めている。

いずれの番組も長時間。大勢の有名アーティストを登場させ、大掛かりな演出を凝らすことで、何とか数字を確保しようという狙いだ。

いわば『紅白』化した歌謡番組だが、年末の『紅白』に対して、民放による夏の『紅白』類似番組群と言えそうだ。

以上が平成30年間の音楽番組の流れだ。

音楽自体は今も若者を中心に人気は絶えない。しかしテレビの定時番組としては、隆盛の時期もあったが、嗜好の多様化や生活スタイルの変化で、今や厳しい状況が続いている。

冒頭で触れた『紅白』も、演出的にはこの15年間たいへんな努力をし続けているが、40%前後から浮上する兆しは見えない。

紅白に分かれて多くのアーティストが順番に歌う形式の範囲でどれだけ努力しようとも、もはやこうした番組がこれまで以上に、多くの視聴者の耳目を集めることは難しいと示唆しているようだ。

いよいよ令和の時代。

従来とは全く異なる新たな演出や切り口が発明され、音楽番組にイノベーションが起こるのを期待したい。

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  • 鈴木祐司

    (すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。

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