激変! テレビの映画枠とテレビ局製作映画 盛衰30年のワケ

テレビ平成30年史〔7〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)

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平成の30年間、テレビと映画の関係は大きく変化してきた。

平成元年、民放キー5局はすべて、GP帯(夜7~11時)に2時間前後の映画番組枠を持っていた。映画がテレビの編成に、重要な位置づけとなっていたのである。

ところが次第に映画枠は廃止され、今や映画以外も扱う『金曜ロードSHOW!』が日本テレビに1枠あるだけだ。

一方、テレビの映画に対する影響力は、平成の前半で強まった。

そして平成の半ばには、テレビ局が出資した映画が、日本の興行成績ベスト10の過半を占めるまでに至った。

テレビと映画の関係が大きく変わった過去30年を振り返る。

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昭和のテレビと映画

1953年にテレビ放送が始まった頃、映像メディアの王様は映画だった。

同年の映画観客数は8億人弱、ピークの58年には11億人を超えた。平均すると日本人は、年間10回ほど映画館に足を運んでいたのである。

ところがテレビ放送の開始に対し、映画界は警戒感を露わにした。

東宝・松竹・大映・東映・新東宝は56年、「各映画会社専属俳優の出演も許可制」とするなどの5社協定を締結した。結果として大手映画会社の作品は、テレビでほとんど放送できなくなったのである。

これに対して、視聴者を惹きつける番組で放送時間を埋める必要があったテレビ界は、協定に縛られない大部屋俳優のほか、新劇や歌舞伎役者を起用して番組を制作するようになった。さらにアメリカから映画を買い付け、編成を埋めて行った。

輸入第1号は『カウボーイGメン』(56年)。『スーパーマン』(56~59年)、『名犬ラッシー』(57~64年)、『ローハイド』(59~65年)などが続き、続々とヒットを飛ばした。

次にテレビ界がやったのが、洋画に特化した定時番組の編成だ。

第1号は、テレビ朝日の全身NETが66年に始めた『土曜洋画劇場』。後発だった同局は、番組制作力や営業力で、先発の日テレやTBSに水を開けられていた。その差を埋めるべく、G帯に映画枠を置いた。同枠は翌67年から日曜日に移設され、『日曜洋画劇場』として定着するほどの成功をおさめた。

最後発の東京12チャンネルも、すぐに追随した。

67年に『名画劇場』(翌年に『木曜洋画劇場』)、71年には『月曜映画劇場』などを始めた。

先発組も黙っていなかった。

TBSは69年に『金曜ロードショー』(後の『月曜ロードショー』)、日テレも72年から『水曜ロードショー』(後の『金曜ロードショー』)を始めた。かくして平成が始まった頃には、月曜から日曜まで毎日GP帯に映画が流れるまでになっていた。 

テレビ映画の退潮

一方テレビの隆盛と洋画のヒットで、日本映画は打撃を蒙った。

60年代初めから観客数が激減し、65年にはピークの1/3の4億人弱、75年には1/7の2億人弱にまで落ち込んだ。5社協定が完全に裏目に出たと言えよう。

ところが邦画を追い詰めた洋画も、やがて後退して行く。

まず米国製テレビ映画が、77年テレ朝放送の『ルーツ』を最後に、民放のGP帯から姿を消した。より深い時間帯では『チャーリーズ・エンジェル』などが残ったが、流れは“ドラマの国産化”だった。

平成に入った頃には、レンタルビデオが流行り始めた。

さらに90年代にCSやCATVが普及し、映画の専門チャンネルが次々に登場した。さらに2000年以降はBSデジタルが普及し始め、無料で見られる放送に映画枠が増えて行った。

かくして地上波のGP帯に毎日あった劇場映画枠が減少し始め、平成の終盤には『金曜ロードSHOW!』だけとなった。しかもこの枠も、ドラマやエンタメ番組が放送されることもある。つまり映画の露出は、全盛期と比べ激減したのである。

この傾向はNHK放送文化研究所の「日本人とテレビ調査」にも如実に表れている。「よく見るテレビ番組」として85年には劇場映画を挙げた人は25%に達していた。ところが2010年には15%まで落ち込んでいる。まず邦画がテレビに追われ洋画の時代が来た。さらにテレビの中では、その洋画も次第に枠が減って行ったのである。 

邦画を支えたテレビ

 日本の映画界では、長く洋画が興業収入で邦画を圧倒していた。

製作費の違い、技術力の差など、ハリウッドの壁は厚かったからだ。平成14年(02年)実績では、3倍近い開きが出来るほどだった。

ところが4年後には、20年ほど続いた洋画時代を邦画が逆転する。

翌年に一旦再逆転されるが、平成20年(08年)以降は邦画時代が続き、平成24年(12年)には邦画がシェアで65.7%に達した。平成の初期と比べると、邦画の興行成績は平成の中盤以降でほぼ3倍に増えている。

では、その原動力は何か。実はテレビ局の出資にあった。

きっかけは平成10年(98年)封切の『踊る大捜査線 THE MOVIE』。フジテレビ制作という圧倒的な知名度を追い風に、観客動員700万人、興行成績101億円を達成した。平成15年(03年)の『踊る大捜査線 THE MOVIE レインボーブリッジを封鎖せよ』では、観客動員は1250万人・興行成績173.5億円にまで増えている。

以後、『海猿』『HERO』『花より男子』『相棒』など、各局が同様の取り組みに走る。

例えば平成24年(2012年)、日本での興行収入ベスト3は、『海猿』『テルマエ・ロマエ』『踊る大捜査線』。洋画などをおさえ、フジテレビ制作が1~3位を独占した。そして、これらの映画を指揮した亀山千広氏が、フジテレビの社長に就任した。テレビと映画の密接度は、この時がピークと言えよう。

いまやテレビドラマの制作では、最初から映画化を視野に入れる場合もある。

かくして邦画も、興行成績を伸ばして行った。またテレビ局にとっても、映画への出資は放送外収入増の重要な柱になったのである。

代表例としてのジブリ映画

テレビと映画の関係で、忘れてはいけないのがジブリのアニメ映画だ。

平成の30年間で、23作品が175回も放送され、単純に足し上げると3000%ほどの視聴率をとったからだ。テレビがジブリのアニメ映画を育て、そのジブリ映画がテレビに大きなメリットをもたらしたのである。

宮崎駿初監督作品は、1979年公開の『ルパン三世 カリオストロの城』

そして第2作が84年公開の『風の谷のナウシカ』、第3作が86年公開『天空の城ラピュタ』。これらの作品は、昭和の終盤に8回放送され、まずまずの視聴率をとっていた。

これが平成に入ると大躍進を始める。

平成元年(89年)には、『となりのトトロ』『火垂るの墓』が加わり、『ナウシカ』との3本が放送された。平均視聴率は初めて20%の大台を超えた。

平成序盤の10年では、毎年ジブリ映画が3~5回放送され、平均視聴率は20.7%となった。既に映画で一定程度リクープした作品群ゆえ、著作権者にとってもテレビ局にとっても、メリットの大きい放送が繰り返されたことになる。

次の平成中盤の10年では、年平均5.7回と放送頻度が高まった。

それでも平均は19.2%と高い水準を維持した。しかも初回放送で、平成11年『もののけ姫』が35.1%、平成15年『千と千尋の神隠し』が46.9%、平成18年『ハウルの動く城』が32.9%。とんでもない数字をとる作品が続出するようになった。

作品別にトータルの放送をみても、成功例が少なくない。

『千と千尋の神隠し』は、映画の興行成績308億円が歴代1位。そして放送でも、初回が46.9%と1位、翌年の2回目放送でも26.1%もとった。これまで8回放送したが、平均の23.4%も全作品中トップである。

『もののけ姫』と『ハウルの動く城』を含めた3本は、映画の興行成績、放送初回の視聴率、全放送の平均視聴率ともにずば抜けていた。

他に『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』などは、平成の30年に2年に1回程度放送され、平均視聴率で18%前後もおさめている。ここまで来ると、紙幣の印刷機のようなありがたい存在だ。

蜜月に陰り

ところが平成の終盤では、テレビと映画の蜜月に陰りが見え始める。

ジブリ映画で言えば、視聴率一桁という放送が増えてきたのである。初の一桁は、平成19年放送『おもいでぽろぽろ』の8.5%。同作は以後、3回とも一桁に留まった。

次に『火垂るの墓』が平成21年に9.4%に下がり、以後3回とも一桁だった。

平成25年には、3作品が一桁。年間の全ジブリ平均も13.3%に留まった。平成26年こそ、放送本数を半減させ、年間平均を18.1%にまで上げたが、その後はずるずる下がり、平成最後の4ヵ月では、4本が放送され、9.5%と平均が遂に一桁になってしまったのである。

映画に対するテレビ局の影響力も弱まってきた。

平成28年(16年)の興行成績ベスト3の内、1位『君の名は。』と3位『シン・ゴジラ』はテレビ局出資でない邦画。久々に映画界が快挙を成し遂げた1年だった。

また平成27年(15年)以降、テレビ局出資の映画は、ベスト10の中に2~3本しか入っていない。洋画が勢いを取り戻していることもあるが、テレビドラマの視聴率が低迷し、2時間の映画番組枠が消えて行ったこともありそうだ。

さらにタイムシフト視聴が増えてきたことも大きい。

今や8割強の家庭にデジタル録画機が普及し、映画・ドラマ・アニメなどは録画再生で視聴する人が増えた。結果として、リアルタイムの視聴率は大きく痛み、テレビと映画の好循環が弱まっている。

SVOD(定額制動画配信)事業の躍進もある。

Netflix・Amazonプライムビデオ・日本のhuluなどの視聴会員が増え、映画をネット経由で見る人が増えた。“見たいものを見たい時に見る”という習慣が、映画の放送を侵食してきているのは違いないだろう。

平成の晩年となる今年は、3月で2時間ドラマ枠も消滅した。1年間続くNHKの大河ドラマも平成で大きく数字を落としている。

今や視聴者に長期間あるいは長時間、集中力を求める大きな物語は、テレビでは難しくなってきているようだ。インターネットなどの躍進で、ピンポイントかつオンデマンドに情報を消費する習慣も定着してきた。

平成の30年で大輪の花を咲かせた“テレビと映画の関係”は、令和の時代には大きく変わって行きそうだ。新たな好循環が作られるか否か、各テレビ局の奮闘に期待したい。

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  • 鈴木祐司

    (すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。

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