ニュース・情報系がテレビの1日最多時間番組に 競争激化の令和
テレビ平成30年史〔10〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)
平成がスタートした頃、テレビはニュース・ワイドショー戦争の時代に突入していた。
そして平成が終わり、新たに令和が始まった今、その戦いは治まるどころか、ますます熾烈を極めている。
夜のニュースでは、NHK出身の有働由美子キャスターの日テレ『news zero』に対して、テレビ朝日を3月に退社した小川彩佳アナが『ニュース23』のキャスターとなり、激突必至の情勢だ。
夕方のニュース戦争では、フジテレビからフリーになった加藤綾子アナが『Live News it!』のキャスターになり、混戦状況に持ち込もうとしている。
そして朝帯は、テレ朝『グッド!モーニング』『羽鳥慎一モーニングショー』が、日本テレビ『ZIP!』『スッキリ』を追い詰め、今後の行方が不透明になっている。
平成は、ニュース・情報番組も視聴率競争にとって重要と位置付けられ、現場がそこに向かって邁進した時代だった。
その30年を振り返り、令和におけるニュースのあり方を考える。
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平成初期の朝・夕・夜
ニュース戦争は、1985年のテレビ朝日『ニュースステーション』から始まった。
平日プライムタイム(夜7~11時)で、民放で初めて1時間を超える帯でニュース番組を編成したところからである。
翌86年からTBSも、22~23時台に帯ニュースを置き、現在の『NEWS23』につながった。フジも同年から深夜に帯ニュースを置き、現在の『FNN Live News α』につながっている。テレ東『ワールドビジネスサテライト』のスタートも88年だ。
かくして全局が、平成のスタートに合わせるように、夜帯に帯ニュースを置くようになった。
ニュース戦争は夕方にも飛び火していた。
80年代には、まず6時台に各局が次々と1時間ニュースを置いた。そして平成になると、次第に枠を広げ、5~6時台の2時間ニュースが大半となった。
それが今や、4時台を通り越して3時台中に立ち上げる局まで出てきている。夕方ニュースは、3時間超の時代なのである。
かくして昭和から平成に代わり、ニュース・ワイドショーが激増した。
夜帯(19~24時)の6局計で見ると、80年代初めには4時間足らずだったニュースが、平成になると8時間超と倍増した。夕方に至っては、今や12時間を超えている。
民放45分以上のワイドショーという切り口で計算すると、一週間の番組本数は80年に12本だったが、90年には26本まで増える。放送時間も13時間ほどから30時間超と激増だったのである。
最初のTVニュース
そもそも1953年にテレビ放送が始まった当初、TVニュースはまともな存在ではなかった。
最初の編成表では、午後0時50分からの4分間と、夕方7時20分からの5分間の合計9分だけ。それまでの「読む」新聞と「聴く」ラジオの2つだったのが、新たに「見ながら聴く」ニュースとして登場した。
演出はシンプルで、ラジオの原稿をテレビ用に書き直し、それに合わせてスタジオカメラで文字・パターン・地図・写真(共同通信社提供)を映す程度。アナウンサーが画面に出ることもなかったという。
フィルムによるニュースも、当初は日映新社の「映像ニュース」が週1本ある程度。
その後NHKの自主取材による「NHK映画ニュース」が登場するが、現像に3日もかかり、その日のニュースは映像化されなかった。
テレビ局が自前の現像所を持つのは、日本テレビが56年、NHKは翌57年。
その後60年までに各地方局にも現像施設が完成し、マイクロ波回線で地方からのニュース送出体制が整っていったのである。
ニュース戦争 開戦前夜
その後、TVニュースは技術の進歩に伴い、急速に進化していく。
60年登場のNHK『きょうのニュース』は、取材対象が事件・事故・イベントに限定されがちだったが、写真・図表・統計を多用し、取材した記者が出演するなどして、ニュースの領域を広げた。
62年登場のTBS『TBSニュースコープ』。ジャーナリストが画面に出てニュースの背景などを解説し始めた。日本初の本格的キャスターニュースだ。
64年スタートのNET(現テレビ朝日)『木島則夫モーニングショー』は、生ワイドニュースという新しいスタイルを切り開いた。司会者が「人間的な感情を自分の言葉で伝える」ことで大成功をおさめた。
70~80年代、報道番組は質量ともに拡充された。
きっかけは74年のNHK『ニュースセンター9時』。“短大卒の主婦”がわかるニュースを目指したが、映像を多用し、柔らかいニュースにも時間を割き、やさしい表現に努めた。
それまでNHKの報道は、社会を動かすコア層を対象として来たが、普通の生活者を意識し始めた最初のニュース番組だった。
民放も夜帯に報道番組を増やす。
80年にTBS『報道特集』、日テレ『TV・EYE』、テレ朝『ビッグニュースショー いま世界は』が続いた。ENG(Electronic News Gathering)と呼ばれたカメラとVTRの一体型が活躍し始め、ロケの機動性と速報性が格段に高まったことがニュースを大きく変えた。
朝の時間帯も報道系が増えて行く。
79年日テレ『ズームイン!!朝!』、80年NHK『ニュースワイド』、81年TBS『朝のホットライン』、82年フジ『モーニングワイド』などである。
この結果、平日の報道番組は、70年代初めの10時間余りから(6局計)、80年代半ばまでに20時間弱と倍増した。
かくして平成ニュース戦争の幕が開くのである。
ニュースの商品化
ニュース戦争が激化した背景には、報道で視聴率を獲れるようになった点が大きい。
85年に始まった『ニュースステーション』は、“ニュースの商品化の成功例”と言われた。89年から故筑紫哲也氏がキャスターを務めた『NEWS23』は、23時台にもかかわらずP帯並みの広告出稿料だったという。ニュースがそれだけ媒体価値を持つようになった証左である。
ただし視聴率競争は、ニュースのバラエティ化ももたらした。
90年代に2時間枠が当たり前となった夕方ニュースでは、芸能やグルメ情報が増えた。フジ『スーパーニュース』では、2000年に芸能コーナーが常設されたくらいである。
ニュースの商品化は、一般番組へも波及していく。
従来はニュースが扱ってきたネタで、一般番組が視聴率をとりに行くようになったのである。
第一歩は87年からの『朝まで生テレビ!』(テレ朝)だろう。「激論!中曽根政治の功罪」「角栄政治は終わったか?」など、政治を真正面から扱い、長時間に渡り討論した。過激さが売りで、大いに注目された。
同じ年にTBSは『サンデーモーニング』を始めている。
報道ネタを扱いながら、複数のコメンテーターが解説・論評することで人気を博した。番組は今も続いており、同一の出演者によるワイドショー道番として最長寿となっている。
他にも平成元年(89年)にテレ朝は、『サンデープロジェクト』『TVタックル』を始めた。
読売テレビが平成3年に『ウェークアップ!』、フジが平成4年に『報道2001』と続いた。政治家も出演する情報番組で、硬派なネタをソフトに伝えることで視聴率を稼ぐ路線が平成で定着したと言えよう。
平成から令和に代わった現時点でも、こうした番組が多数放送されている。
日テレは『ウェークアップ!』『シューイチ』『真相報道バンキシャ』。
テレ朝は『週刊ニュースリーダー』『サンデーLIVE!!』『TVタックル』『サンデーステーション』『サタデーステーション』。
TBSは『サタデージャーナル』『サンデーモーニング』『報道特集』『ニュースキャスター』。
テレ東は『ガイアの夜明け』『未来世紀ジパング』『カンブリア宮殿』。
フジは『日曜報道 THE PRIME』『Mr.サンデー』。
ニュース・情報番組の威力
ニュース・情報番組が視聴率競争において、重要な番組になってきたことを示す象徴的な出来事が18年度に起こった。
18年度の平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、日テレは5年連続の三冠を達成した。ところが同局の独走態勢は、安閑としていられない状況になっている。

その要因の一つが、ニュース・情報番組なのである。
視聴率で日テレに迫り始めているのは2位のテレ朝。
17年度までの両局には大差がつき、日テレの独走態勢は盤石だった。ところが全日(6~24時)・G帯(19~22時)・P帯(19~23時)の3時間帯の両局の差は、それぞれかなり小さくなってしまった。特に全日で、17年度0.7%が18年度0.1%とほぼ肩を並べられてしまったのが痛い。
その原因の一つが、ニュースと情報番組が編成されている朝帯(6~10時)。17年度は日テレが0.8%リードしていたが、18年度はテレ朝に0.3%上回れてしまったのである。
この結果、同じ4時間のP帯で1.0%の貯金があるものの、全日の差が圧縮されてしまったのである。
令和最初となる19年度の視聴率競争では、逆転された朝帯の他、『news zero』の23時台、そしてお昼のワイドショーや夕方3時間の『news every.』の出来如何では、日テレはテレ朝に全日で逆転され、三冠を逃す可能性が濃厚だ。
テレビ放送が始まった当初は、申し訳程度しか放送できなかったニュース・情報番組。
テレビ放送の技術の進化に伴い、今や1日の中で見ると最も多くの時間を占めるジャンルとなっている。しかもテレビ局間の視聴率競争で、大きな意味合いを持つようになった。
平成で激しくなったニュース戦争は、今まさにスタートした令和でも熾烈さ増す一方となりそうだ。
→平成テレビ30年史〔9〕スポーツ番組 人気競技の変遷と放映権の高騰がテレビを変える を読む
文:鈴木祐司
(すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。