テレビの媒体価値を高める「視聴率測定」の究極進化形とは? | FRIDAYデジタル

テレビの媒体価値を高める「視聴率測定」の究極進化形とは?

テレビ平成30年史〔11〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)

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平成のテレビ30年史は、ビジネスモデルの前提となる媒体価値の測定も変えてきた時代だった。

そもそも平成のスタートは、新たな方式を巡る議論の中で始まった。従来の世帯視聴率だけでなく、個人視聴率を測定するためのピープルメーター(PM)導入の是非だ。

そして平成の最後には、次世代の測定方式に向けた議論が活発になった。

PM導入の議論は、10年以上もめた末に平成9年(1997年)に決着し、関東地区600世帯を対象に始まった。

そして今、視聴率は世帯から個人へと新測定システムが導入され始めている。さらに今後は、テレビの視聴データをマーケティングにどう活用するか、方式を巡って議論百出となっている。

平成30年のテレビ史を振り返り、令和の新たな指針を探るシリーズ、今回はテレビの媒体価値測定の議論を概観する。

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世帯か?個人か?

テレビ放送は1953年にスタートした。

そして20年ほどでメディアのトップに躍り出た。それまで長く王座を占めて来た新聞を、広告費で抜いた瞬間が1975年だった。

躍進の要因の1つは、媒体価値の測定システム。

新聞では部数は判っていても、紙面や記事単位でどれくらい読まれているかを測定することは叶わなかった。一方テレビでは、個別の番組がどのくらいの人に見られたのかを示す視聴率という指標があった。

昭和という時代では、媒体価値の説明責任を最も果たしていたのが、テレビだったのである。

ところがテレビがメディアの主役になると、今度はスポンサーや広告代理店から、迅速なデータの提出が求められるようになった。これが1977年のオンライン化につながり、視聴率データは放送の翌朝に各局に届けられるようになった。

さらに視聴率は、拡張を始める。

70年代前半までは、テレビは一家に一台の家電だった。ところが70年代後半以降、テレビは一人に一台の個電へと更なる普及を始める。やがて平均一家に2.4台のテレビを所有する時代となったのである。

かくして視聴率測定も、複数台のテレビに対応するようになる。

同じ家でも、異なる番組を異なるテレビが映し出した場合、視聴率は加算され大きくなるような計算方式が使われ始めた。

極論すると、全世帯に3台のテレビがあり、全てのテレビが異なる番組を映し出すと、HUT(総世帯視聴率)は300%となるようなシステムだった。

テレビは一段と媒体価値を高めて行ったのである。

次の変化は、平成初期の個人視聴率の登場。

平成9年(1997年)にPMが実用化され、F1(女20~34歳)・M2(男35~49歳)・F3(女50歳以上)など、男女年層別にどの年齢層がどのくらい見ているかが分かるようになった。

世帯視聴率だけでなく、視聴者層が見えることで、より媒体価値は高まることになる。

かくしてテレビ広告費は、2000年に2兆793億円に達した。日本の広告費6兆1102億円の34%を占める。平成と共に始まったバブル崩壊で、他のメディアは広告費を落としていたが、テレビだけは逆風の中でも、しばらくは数字をさらに伸ばし続けたのである。

番組への影響

視聴率の進化で、番組も次第に変わって行く。

まずはテレビの媒体価値が高まったことで、テレビ局の制作現場に変化が生じた。オンライン化されたことで、毎分の視聴率が放送翌日にわかるようになり、制作現場が数字をより意識するようなる。

編成と制作との関係も、編成優位に変わり始めた。

家庭の中の二台目以降のテレビが視聴率に加算されるようになり、番組のターゲット層に変化が生まれた。個電としてのテレビの主な視聴者は若年層。ここを主なターゲットとする局が登場した。「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにしたフジテレビだ。

82年からの12年連続三冠王は、若年層重視の“軽チャー”路線によるところが大きい。重厚長大から軽薄短小の時代風潮を、フジの番組が象徴したのである。

日本テレビも、毎分視聴率が放送翌日に見られるようになり、視聴率向上を狙い、番組マーケティングに力を入れ始めた。

79年に始まった『ズームイン!!朝!』は、当初2%ほどしか視聴率がなかった。そこで裏番組や自局番組の毎分視聴率分析などを詳細に行い、各コーナーのあり方や、アナウンサーとリポーターのトーク、さらにインタビュー内容も細かく改善して行った。

結果として10年ほどで、横並び1位を獲るまでに躍進した。さらに番組マーケティングの手法は、昼・夕方・夜の番組にも波及し、94年の三冠王奪取の一翼を担うまでに定着していった。

当時の日テレの編成局長は、自他ともに認める“ミスター視聴率”だった。

ところが03年に同局のプロデューサーが、自分の制作した番組の数字が上がるよう視聴率測定対象家庭を割り出し、番組を見るよう買収する事件が発生した。視聴率不正操作事件だ。

視聴率が進化し、制作や編成の現場が対応を始めた結果、視聴率至上主義への批判も顕在化するようになったのである。

テレビ広告の後退

平成も後半に入ると、HUT(総世帯視聴率)の減少が目立つようになった。

90年代には70%を超えていたが、今や60%ほどと、平成の後半で媒体価値は15%ほど収縮した格好だ。デジタル録画機の普及と、インターネットのブロードバンド化およびスマートデバイスの普及が要因だった。

生活者の映像消費は、“オンデマンド”かつ“ピンポイント”へと変わって行った。結果として、テレビのライブ視聴が減り、かつCMが届きにくい環境が生まれたのである。

広告主の意識の変化も見逃せない。

70年代には4マス(新聞・雑誌・ラジオ・テレビ)の中で、唯一視聴率という数字のあるテレビを、広告主は高く評価していた。ところが平成の初期に登場したインターネットと、平成中期のブロードバンド化で、広告主の見方が変わって行った。

ネット広告の方が、広告効果が見えやすいからだ。

ネットの場合だと、利用者のデモグラフィック(人口統計学的な属性)やユーザーの行動履歴などが把握できる。多様な商品を扱う多様な広告主にとって、商品に最適なターゲティングがネットなら可能だったのである。

また“ターゲティング”“リターゲティング”という言葉が出来るが、ユーザーの反応を基に広告を差し替えるなど、機動力も高い。そして広告が表示された回数、ユーザーが広告を見て特定のアクションを起こした回数や割合など、広告効果が瞬時にリポートされるようになった。

かくして広告主の意識は、テレビからインターネットへとウェイトを移して行った。

テレビは広告が露出される総量が減ると共に、広告主の出稿意欲の減少に直面した。結果としてテレビ広告費は、横ばいもしくは微減傾向となった。一方ネット広告は、年率で二桁増の勢いが続き、平成から令和に代わった今年、両者の関係は逆転必至となったのである。

新たな指標に向けて

こうした状況に対応すべく、テレビの媒体力強化の議論が高まっている。

テレビは今や3割ほどがインターネットに接続されている。このため視聴実態の詳細が、全数として把握できるようになって来た。

視聴ログを分析・活用すると、これまで以上の価値を見出せる可能性が出てきたのである。

例えば同じグローバルIP経由で得たネット接続テレビの視聴ログと、スマートフォンやPCの視聴ログは、同一人物・同一世帯の利用と推測し、紐付けられるようになった。こうした人起点で、テレビ広告やネット広告の視聴実態を把握し、同一人物の実際の来店や商品の購入を結び付けられれば、広告効果が精緻に割り出せるようになる。

どのメディアが実際の商品購入にどう寄与したかを浮かび上がらせることで、テレビの価値を再評価しようというのである。

HUT(総世帯視聴率)が減少したとは言え、まだまだテレビの接触時間は全メディアの中で一番大きい。

ネットが年率二桁の成長をしていると言っても、それは全体としての威力だ。個別に見ると、サイトが無数にあるネットの中では、個々は埋没しがちで、媒体価値の高いものはごく一部に限られる。

全体が横ばいあるいはじり貧と言っても、テレビは6つのチャンネルでパイを分け合っている。1chあたりの媒体価値は、けた違いに大きく、広告のリーチ力も群を抜いている。

そのテレビの媒体力を、新たなシステムで測定し、再評価しようという動きが始まっているのである。

平成の前半で右肩上りを続けたテレビ。

後半では相対的に後退を余儀なくされてしまった。しかし令和の時代には、媒体価値の測定方法が進化することで、再び勢いを取り戻す可能性がある。

多くの人に注目される番組制作も重要だが、今後はマネタイズの知恵が局の実績を左右する時代になりそうだ。

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  • 鈴木祐司

    (すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。

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