テレビ視聴者をリモコン、ゲーム機、録画、PC、スマホが変えた! | FRIDAYデジタル

テレビ視聴者をリモコン、ゲーム機、録画、PC、スマホが変えた!

テレビ平成30年史〔13〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)

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平成と令和をまたぐ今回のゴールデンウィーク10連休。

その初日に千葉の幕張では、「ニコニコ超会議2019」が開催された。今年で8回目となるが、昨年の来場者16万人超・ネット総来場者数600万人超に負けない賑わいになったようだ。

07年にサービスが本格化したニコニコ動画は、「歌ってみた」「踊ってみた」「ボーカロイド」「ゲーム」など、異なるジャンルと、その中に幾つものコミュニティが集まり、一般登録5000万人以上・有料のプレミアム会員約190万人という賑わいを作ってきた。

そしてニコニコ超会議は、年に一度リアルな場に多様な人々が集い、ネットも含めてとてつもない熱気を作り上げる場となっている。

実はテレビ放送が始まった頃、受像機の前の人々の熱狂ぶりは、ニコニコ超会議以上だった。

ところが平成が始まると、熱は変質し初め、令和に代わる今は全く異なる方向に向かおうとしている。平成30年間で、テレビの視聴者はどう変わってきたのかを振り返りたい。

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テレビ初期の熱狂

テレビ放送が始まった当初、受像機は数千台程度しか東京になかった。テレビの普及ペースは遅く、代わりに当初数年は“街頭テレビ”が活躍した。

その後も十年ほど、巷では近所のお金持ちの家にテレビを見せてもらいに行く光景が見られた。“ご近所テレビ”の時代だったのである。

遅い普及はテレビが高価だったため。

14型テレビは放送が始まった1953年当時、値段は18万円ほどした。平均的なサラリーマンの月給は約1万5000円だったので、年収を全て投じても届かない高嶺の花だった。

ところが3年後の値段は2分の1、9年後には4分の1まで下がった。

逆に国民1人あたりの所得は、放送開始の53年と比べると、10年で3倍に増えている。テレビになんとか手が届く庶民が急増したのである。

白黒テレビが普及率10%に達したのは1958年。テレビ放送が始まって5年後だった。

その3年後には普及率は50%を超え、テレビ放送開始12年で90%を超えた。

さらに1966年からカラーテレビが普及を始める。

普及率10%に達するには4年を要したが、その3年後(1972年)には50%を超え、1975年には90%に達した。白黒テレビに負けず劣らずの、急速な普及だった。

この時代、テレビが如何に人々を魅了していたのかがわかる。

背景には高度経済成長もあった。

加えて「自宅で見たい」「人並みにテレビが欲しい」という庶民の強い思いが、より大きな要因だった。1台の街頭テレビに2万人が殺到する当初の熱狂は、瞬く間に国民全体の熱望になり、そして“映像の世紀”20世紀のメディアの王様にテレビを押し上げたのである。

テレビ放送スタート当時は、映画関係者には“電気紙芝居”と蔑まれた。

バラエティ番組が爆発的な人気となると、評論家からは「一億総白痴化」と批判された。そしてテレビが下品な笑いも飲み込んで発展すると、教育界からは低俗と指弾された。それでもテレビ番組は強力な吸引力を持ち続け、大衆の“なくてはならない必需品”というポジションを確保して行ったのである。

テレビ視聴の変化

ただし初期のテレビの威力は、やがて変質していく。

NHK放送文化研究所の全国放送意向調査によれば、テレビへの意識が昭和と平成でかなり希薄化していることが見て取れる。

1982年当時、番組を漠然と見る人は21%だった。逆に選択して見る人は77%。意識的にテレビを見ている人が多かったことがわかる。

ところが2015年では、状況は逆転する。

質問の文言は少し異なるが、他のことをしながらテレビを見る、いわゆる“ながら視聴”が、53%と過半を占めるようになっていた。逆に専念視聴は46%に減っていた。

80年代半ばから90年代半ばに、無線リモコンが標準装備となった。

これを受け、テレビ番組はワイド化・バラエティ化が進んだ。ザッピング視聴に対応すべく、刺激が強い演出が目立ち、番組をどこからどこまで見ても構わないような構成に変わって行った。

かつては視聴者が、夢中になってテレビに熱い視線を送っていた。

ところが平成の30年間で、テレビが視聴者を追いかけるようになり、結果として人々の意識はテレビから離れていった。

NHK文研の調査での「(テレビに)興味ある」という質問に対しては、1967年の74%は2012年に36%となった。人々のテレビに対する興味は半減していたのである。

ライバル登場

テレビ文化の内的要因だけでなく、外的要因も視聴者を大きく変え始める。ライバルとなる新たなメディアの登場だ。

その最初の衝撃は1983年に売り出されたファミコンだろう。

それまでテレビ受像機は、テレビ放送のための専用端末だった。ところがTVゲームの登場で、テレビは放送を見るかゲームをするか、相対的な存在に変わった。

次に平成になると、ポケベルが一世を風靡するようになる。

これにより若年層を中心に、テンキ―入力で通信を楽しむ風潮が蔓延した。娯楽の王様としてのテレビにとって、地殻変動が始まった。

90年代後半にパソコンが普及し始めた。

1台の端末の中で、様々なコンテンツが楽しめ、愛好者たちのメディア接触時間がテレビからパソコンへシフトし始める。しかも2000年代のブロードバンド(BB)化で、動画もPCの対象となると、一部愛好家だけでなく普通の人々もネットへ傾斜し始めた。

そしてこの10年は、モバイルの急普及も特徴だ。

99年にiモードが登場して以降、モバイルによるネット利用が一般化し始める。BB化が進み、スマホが登場すると、PCと比べネット利用の頻度は格段に増していった。スマホで動画を視聴する人も、若年層を中心に急増していった。

こうした新端末の登場を俯瞰し、電通総研は「76」「86」「96」などと、世代間の特徴を指摘している。PC利用に精通する「76世代(1976年前後以降生まれ)」。90年代半ば以降、ネット文化の主役を担って行った。

モバイルにより馴染む「86世代」。今世紀に入って。ケータイ文化の主役となっていく。

そして「96世代」。映像の持ち出しや加工を自然に行える世代だ。モバイルでの映像文化を担っている。

さらに「06世代」が中高生となろうとしている。

さらにメディアの使い方が進化して行くだろう。結果として、テレビ番組の“専念視聴”など、伝統的な視聴の仕方は減っている。オンデマンドかつピンポイントにコンテンツを楽しむ方向へと移ろい始めたのである。

多様なメディア消費

世代別の分析に対して、博報堂メディア環境研究所は平成の後半に、各種メディアとの接触の仕方を基に、生活者を9分類して説明した。

この場合、単に年齢や男女できれいに分かれるのではなく、同世代でも異なるタイプが併存するとした点が興味深い。

9層のうち4層はテレビや新聞など伝統的なメディアへの接触がある程度確保されているという。「ラジオジさん」「おいそがシニア」「アナログ奥さん」「おとなミーハー」の4層だ。

ところがテレビなど伝統的な4マスにとっての問題は、メディア接触が従来と変わり始めている残りの5層である。

「つまみ食い漂流女子」は、自分の好みのメディアのみにピンポイントで接触する。テレビをつけながらモバイルに没頭するタイプだ。

「パソコン草食男子」の場合、情報取得は基本的にネット経由。

「低体温30’s」もテレビは見るが、基本は録画再生。

「情報ハンターボーイ」「コンテンツ熱中ガール」に至っては、テレビを落ち着いて見る状況とは程遠いという。

テレビの側から見ると、これら5層に共通するのは、CMがリーチし難いという点だ。

録画再生によるCM飛ばし、ダブルスクリーンにより意識の拡散、そしてネット経由で見たい部分のみ見るという風潮である。

これは2009年での分析だが、それから10年を経て、困った5層は量も増えているが、質的にCMがリーチし難い度合いも高まっている。

テレビにとって厳しい令和

かくして街頭テレビに2万人が殺到し、ようやく自宅にも入ったテレビに狂喜乱舞した時代は、遠い昔となってしまった。

「ニコニコ超会議」で爆発した若年層の熱は、テレビでは感じられなくなってしまった。

中高年を中心に、量的には最も多くの生活者にリーチするメディアであることは今も変わらない。

ところが今や、テレビ視聴者の63%は50歳以上で、34歳歳以下の若年層は2割しかいない。若年層の心を捉えられなくなっているのが現実だ。

生活者の変化にどう対応するのか。

令和のこれからのテレビは、厳しい状況に直面していると言わざるを得ない。

あなたは、どんな世代・タイプでしょうか? あなたとテレビの関係は、これからどうなって行きますか?

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  • 鈴木祐司

    (すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。

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