変わりゆくテレビ局経営 ビジネスモデル見直しの最前線 | FRIDAYデジタル

変わりゆくテレビ局経営 ビジネスモデル見直しの最前線

テレビ平成30年史〔15〕鈴木祐司(メディア・アナリスト)

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テレビ局の中枢は編成だ。

より多くの人に見てもらうため、季節・曜日・時間帯を勘案しながら、視聴者の生活パターンを考慮して番組表を決めるセクション。つまり個別の番組の力を前提に、それらをどう編成したら、局の見られる総量が最大化するかを考えるセクションだからだ。

ところがテレビ局の収入は、広告収入だけではなくなってきた。録画再生での広告収入や二次利用からの売上で、利益最大化を図る時代に移り始めている。

テレビの平成30年間を振り返ってきたシリーズ、最終回は事業体としてのテレビ局のあり方を考える。

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平成前史

1953年にテレビ放送が始まった頃、テレビ放送は1日4時間ほどしかなかった。

テレビ受像機も東京では2000台に満たず、量的には極めて小さな船出だった。

ところが放送時間については、9年後の1962年に全日化し、1日17時間以上となった。

同時に白黒テレビの普及率は限りなく“あまねく普及”に近づき、64年に東京でのチャンネル数は7に増えた。NHK総合・教育と、民放5局が出そろったのである。

60年代半ばからはカラーTVの普及が始まった。

そして約10年で“あまねく普及”となった。この間、テレビは娯楽やドラマを定着させた。さらに報道番組、アニメ番組、従来にないバラエティ番組などを開発し、業容は拡大の一途となった。

80年代にはさらなる飛躍があった。

ENGと呼ばれるVTR一体型ビデオカメラの登場を受け、報道・情報番組の充実が図られた。それまではスタジオ中心だったバラエティも、ロケという手法を取り込み、素人・視聴者を巻き込んだ新境地を切り拓いていったのである。

テレビ局間競争の激化

昭和の時代に、以上のような要素を備えたテレビは、平成でテレビ局間競争を激化させていった。

82年から12年連続三冠王だったフジを、94年に日テレが逆転した。

97年には個人視聴率の測定が始まり、視聴率はより詳細に検証できるようにもなった。各局の編成は、新たな工夫を加えて勝負に出た。

例えば週末のタテ編成。TBSは『王様のブランチ』を4時間超の編成とし、存在感を出した。

G帯では日テレが、『マジカル頭脳パワー』のように“またぎ編成”を始めたり、ミニ枠を廃したシームレス編成を繰り出すようになった。

テレ朝は平日午後の3時間、ドラマの再放送枠とした。

他局が朝から夕方まで、生放送化させていくのと逆行し、制作費を圧縮させ視聴率を確保する道を確立したのである。

しかも大量のドラマ再放送枠を活用し、ドラマのシリーズ化を図り、中高年を中心とした夜帯での世帯視聴率確保に成功するようになっていった。

広告外収入へ

平成の時代に新たに加わったテレビ局の戦略は、広告以外の収入を獲りに行き始めた点だ。

先鞭をつけたのはフジテレビ。平成の初期には、どの局も連結売上に占める地上波テレビの広告収入比率は7割を超えていた。ところがフジは、90年代に映画事業に本格的に乗り出したり、スカパーに出資するなどして、広告以外の収入増を図り始めた。

そして平成の半ばまでに、フジの広告外は5割ほどとなった。

グループ内に、新聞・ラジオ・音楽・映像出版・通販など各種企業をM&Aなどで抱え込んだ結果だった。経営の多角化を本格化させていたのである。

他の4局も、広告収入の伸び悩みを見込んで、広告外収入増に挑み始めた。

筆頭はTBS。08年春に旧社屋跡地を再開発し、一挙に不動産売上で170億円強、営業利益で80億円弱を稼ぐようになった。さらに小売事業も買収し、売上増を果たしていた。

残り3局もじわじわ広告収入の比率を圧縮し始めた。07年度実績と比べ、17年度はテレ東が19㌽、テレ朝13㌽、そして日テレも11㌽ほど少なくなっている。

各局の広告外収入

これまでに広告比率を最も下げた局はフジ。

07年度すでに50.2%と、広告外を多く得ていたフジだが、11年度までに8.4㌽も圧縮していた。さらに12年度以降に動きを加速させ、17年度には本業以外の比率が70.5%と圧倒的な存在になっていた。

平成の半ば以降で目立つM&Aの一つが、09年度のセシールの買収。

通販など生活情報事業で売上を一挙に700億円伸ばした。また12年度は、子会社のサンケイビルが「ダイバーシティ東京」を開業し、402億円の売上と54億円の営業利益をもたらした。さらに共同テレビジョンが、他の民放やNHKの番組制作を請け負うようになり、連結の業績を支えるようになった。

同局の広告収入は14年度に2位、17年度に3位後退と減少が続いているが、これを補う格好で広告外が伸びてきたのである。

同様の路線を走るのがTBS。

連結ベースで07年度の売上高3151億円が17年度は3620億円と、約470億円増やしている。一方テレビの広告収入は、07年度2332億円が17年度1701億円と、約630億円減少している。その穴を補ったのが小売りと不動産事業など、広告外収入だったのである。

視聴率で独走する日テレは、07年度から17年度までに広告収入を120億円強増やした。キー5局内での順位も、14年度にフジを抜き1位となっている。

ただし広告外も、過去10年で700億円ほど伸ばしている。本業が好調とはいえ、経営の多角化にも本腰を入れていた。映画・イベント事業の他、海外へのドラマ販売やインターネット事業を加速させた成果である。

テレ朝の広告収入は、10年でほとんど変化がない。

08~09年にリーマンショックなどで265億円ほど減らした後、じわじわ挽回して基に戻した格好だ。ところが広告外は、500億円ほど増やしてほぼ倍増させた。地上波・BS・CS・インターネット・メディアシティの5メディア戦略の成果が大きかった。

キー5局の中では、テレ東の広告外戦略がユニークだ。

広告収入は10年で100億円ほど減らしている。ほぼ1割の減収だ。これを約350億円増やした広告外収入が補って余りある成果を出していた。

最大の特徴は、フジやTBSのように、不動産や小売業など放送事業と全く関係ない部門で増収を図ったわけではない点。アニメや実写番組の二次利用など、ライツビジネスで経営を支える路線が他局とは異なる。

10年ほど前、同局単体に占めるライツビジネスの売上比率は10%ほどだった。

これが17年度には24%まで伸びている。同局幹部によれば、広告収入だけでは事業全体は赤字となるが、ライツビジネスのお陰で黒字を保っているという。

本業の応用で健闘している姿は、健全な展開と言えよう。

いずれにしても、5局合計での広告外の伸びは、10年で4365億円。

広告収入のマイナス15%に対する広告外178%の伸びは、民放のあり方を象徴していると言えよう。

テレビ局経営の今後

キー5局の広告外は、08年度に約18%伸ばした後、平均で5~6%の伸びで来ていた。

ところが16~17年度は4%前後に留まっている。いっぽう本業の広告収入はマイナスに転じている。ここで再び広告収入増の試みと、テレ東のようなライツビジネスの再評価が始まっている。

収入の大きな部分を占めることと、本業に近い事業展開の効率の良さによる。

広告事業では、世帯から個人へ視聴率測定を見直す動きがある。

さらに若年層重視にシフトし、広告収入増に挑戦する動きもある。中には日テレのASS(Advance Spot Sales)のように、スポット広告で新たな売り方を取り入れ、広告収入増を試みる局もある。

ライツビジネスにも各局注力し始めている。

中国へのドラマの販売で、制作費の何割もの金額を回収する例も出始めている。トルコでリメイクし、それが世界何十か国と再販売され、収入を得る局も出ている。

経済成長著しい国が増えているため、海外でのライツビジネスに可能性が出てきたのである。

かつては地上波だけを考えていた局の中枢たる編成。

今は地上波に加え、BS・CS・ネット配信などを総合的に考えるようになった。つまり本業の番組で、広告収入最大化を図ると共に、同時に二次展開での利益最大化も考える必要が出てきている。

これまでテレビ局は、番組の制作能力編成力が鍵を握ってきた。

ところが今は、権利処理を含めた利益のコントロール能力も問われるようになっている。令和の時代には、これら両方に優れた局が経営力でトップを行くことになりそうだ。

  • 鈴木祐司

    (すずきゆうじ)メディア・アナリスト。1958年愛知県出身。NHKを経て、2014年より次世代メディア研究所代表。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。

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