『アイリッシュマン』レジェンドたちが撮った配信映画が生む波紋
〔映画ジャーナリスト・大高宏雄に聞く「日本映画界・19年総決算&20年展望」第2回〕
映画として観ると様々なものが”ねじれ”てくる異色作『アイリッシュマン』。「とにかく、スリリングな作品」と指摘する大高宏雄氏(映画ジャーナリスト)に、本作が映画界に与えるインパクトを聞いた
『アイリッシュマン』は、3時間29分の犯罪ヒューマンドラマで、ネット配信サービスを展開するNetflix が製作した作品。日本では11月15日に映画館で小規模に公開され、11日27日からNetflixで独占配信がスタートした。未解決となっている全米トラック運転手組合の委員長だったジミー・ホッファの失踪事件(のちに死亡宣告)を取り上げた映画だ(※本記事では『アイリッシュマン』は「映画」という表現で統一する)。
▼〔映画ジャーナリスト・大高宏雄に聞く「日本映画界・19年総決算&20年展望」〕▼
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映画を観るスタイルを問いかけた『アイリッシュマン』
――大高さんは日本映画と外国映画を含めた2019年のベストスリーは『アイリッシュマン』『ジョーカー』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の順だと仰っています。ナンバーワンの『アイリッシュマン』はどうご覧になりましたか?
「19年、一番興奮した映画鑑賞が『アイリッシュマン』だ。池袋の映画館で観たが、映画としての面白さもさることながら、今の映画界の様々な状況や、映画の価値観そのものまでもあからさまにしてくる。とにかく、スリリングな作品だった。
映画を映画館で観るとは、いったいどういうことなのか。『アイリッシュマン』は、その意味を突きつけてきたと思う。それは、映画の流通過程における2次的な鑑賞以降はともかく、初っぱなにおいては映画は映画館で観るという当たり前の行為が、当たり前ではなくなってきたことを指し示す。
この作品は、最初の企画段階では、米国のメジャー・スタジオの会社も入っていたと聞くが、結局は映画館向きに作られた作品にはならなかった。にもかかわらず、もっとも映画館にふさわしい作品として立ち現れた。映画史上、こんな矛盾に満ちた作品があっただろうか。これは事件としか言いようがない。映画は、映画館が第一義的に観られる場として考えられてきたが、それはあくまで、これまでの産業的な枠組みのなかで長年常識化してきたに過ぎない。そのような常識がひっくり返った。
ただ、Netflixの今回の企みによって、逆に映画館で観ることのかけがえのなさが、一段と認識されてきたのが全く面白い。それは、『アイリッシュマン』の素晴らしい出来映えが促したのだ。今回、映画の作られ方から観られ方まで、映画の製作、産業的な枠組み、概念そのものが、大きく揺さぶられたと感じる」
――『アイリッシュマン』は、映画界のどんな状況を浮き彫りにしたのでしょう。
「こんなデータに驚いた。配信直後、膨大な数の人たちが観たらしいが、最後まで見た人は20%を切っていたというのだ。当然だろう。自室だろうが、どこだろうが、3時間29分の作品を、何の障壁もなく配信で観続けることなど、生半可な忍耐でできることではない。30分観る、1時間観る。残りは別の日に、となる。ただ、いつでも観られるということは、いつでも観られないということになりかねない。緊張感がないから、後回しになり、いつの間にか観ないままになっていく。映画は消費どころか、消費になる手間で消えていく運命となる。
『アイリッシュマン』は、配信における視聴のありようにも、強烈な一撃を与えたと思える。全部を観る人が、少ないのだから。こんな状況を、マーティン・スコセッシ監督は想像できただろうか。配信会社にとっては、それでも全く構わない。映画産業的な枠組みで作られているわけではないからだ。興行収入で、成否が問われることはない。
もちろん、映画を上映する興行側も大変だ。話題性抜群であり、下手な映画より集客率がいいとわかっても、日本では配給にもかかわるイオン系以外の大手は上映しない。米国も、似たり寄ったりだろう。配信優位の作品を上映したら、映画興行そのものが根底から崩れるからだ。
『アイリッシュマン』という作品は、配信、スクリーン双方から、完全な形で観られることを拒まれているかのごときだ。これは、映画の価値観にもかかわってくる。映画を観る側、送り出す側の足場双方を揺るがしているわけだ。とてつもない作品と言う以外ない」
日本の『全裸監督』も登場 劇場公開作品とは狙いも評価方法も違う
――日本の配信作品でも、AV業界に革命を起こした村西とおる監督を取り上げた『全裸監督』が話題となりました。
「『全裸監督』の存在は大きかった。製作費はトータルで、大手の邦画作品の3倍以上とも聞いている。Netflixのオリジナル作品は、お金の掛け方が違う。企画が通ればプロデューサーにはプロデューサーフィーがしっかり支払われ、監督のフィーも俳優たちのギャラも高い。これまでの映画製作だったら、製作委員会を作ったり、出資者を集めたり、足りない分を各社が補填したりして、それがコケると次の作品を作れなくなってしまうことも起きてくる。
Netflixの作品では、企画に対し潤沢な予算が与えられるので、プロデューサーが過度にお金の心配をする必要がない。しかも製作費の掛け方が日本の劇場映画のレベルとはぜんぜん違う。今や、独立系のプロデューサーたちが映画作りで一番に組みたい相手がNetflixになっているのが現状だ。
とにかく、Netflixは企画が斬新だ。タブーにも挑戦している。『全裸監督』は、今の大手の映画会社では作れない。過激な題材もさることながら、中身をめぐって、いろいろな問題が出るかもしれないからだ。園子温監督の『愛なき森で叫べ』も、現実の殺人事件を設定にしたとも言われ、かなり危険な作品だ。今の日本映画界では手が出せないだろう。
『アイリッシュマン』に関して言ったように、それもこれも、Netflixは1本、1本の興行の成否が作品成功の鍵を握る映画界の産業システムとは、全く違う土俵で作品を送り出しているからだ。この配信システムが、今や米国のメジャー・スタジオを凌駕するかのような作品のボルテージの高さにつながっている。
もちろん、この方向性がどこまで続くかはわからない。潤沢な製作費だって、いつまで維持できるか不透明だ。ただ、ディズニーにとくに顕著なシリーズものや名作路線など、企画が保守化の道を歩んでいる米国の映画産業に、楔を打ち込んでいるのは間違いない。日本にも刺激を与えている。映画の多様性と簡単に言うが、極端な市場優先主義の風潮では、それはもはや担保されてはいないと見ていい。配信が、映画及び世界の映画産業をどのように変えていくのか。展望が、なかなか立てられない面もあるが、Netflixが様々な作品のバリエーションによって、映画の価値観そのものを今一度考えさせてくれていることは重要だと思う」
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大高宏雄氏は、『キネマ旬報』にて「大高宏雄のファイト・シネクラブ」(2012年度キネマ旬報読者賞受賞)、『毎日新聞』にて「チャートの裏側」、『日刊ゲンダイ』にて「大高宏雄の新・日本映画界最前線」など多くの連載を持ち、映画に関する著書も多数。1992年には、独立系を中心とした邦画を賞揚する日プロ大賞(日本映画プロフェッショナル大賞)を発足し、最新の2018年度で28回目を数えている。
氏が指摘するように、配信映画の勢いは留まるところを知らず、これからも話題作が続々と生み出されてゆく。そして、“映画を観るスタイル”がますます問われていくだろう。あなたは映画館派? 配信派? それとも使い分け?
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『アイリッシュマン』ギャラリー
- 解説:大高宏雄
- 取材・構成:竹内みちまろ