児玉誉士夫邸に小型機で突入した青年俳優はそのとき何を思ったか | FRIDAYデジタル

児玉誉士夫邸に小型機で突入した青年俳優はそのとき何を思ったか

細田昌志の芸能時空探偵②

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春の朝を切り裂いた

時空旅行を続けていると、深掘りしたい欲求にかられながら、つい遠ざけてしまう出来事にぶつかる。「これに触れてはまずい」というブレーキがかかるのだ。例えば1977年の岡田奈々の例の事件がそうである。

長篇のノンフィクションをものすにあたって、その意識を出来うる限り取り払った。そんなこんなで、ある事件を追尾することにした。

しかし、知ろうとすればするほど判らない。理解し難い。そんな不気味な椿事が、今から45年前、麗らかな春の朝を切り裂いた。

1976年3月23日、世田谷区等々力の高級住宅街に建つ757平米鉄筋2階建ての邸宅に、米国パイパー社製の軽飛行機「パイパー28型チェロキー」が墜落、轟音とともに爆発、炎上した。2階の茶室、和室、バルコニー、寝室の一部が焼けたが、家政婦一人が火傷を負っただけで住人は難をのがれた。軽飛行機の操縦士は即死している。

東京都世田谷区の児玉誉士夫邸に小型機が突っ込み、操縦していた29歳の俳優が死亡(共同フォト)
東京都世田谷区の児玉誉士夫邸に小型機が突っ込み、操縦していた29歳の俳優が死亡(共同フォト)

邸宅の主は「戦後最大の黒幕」と畏怖されたフィクサーの児玉誉士夫。この頃は「ロッキード事件」で疑惑の渦中にあった。

調べを進めるうちに、操縦士は墜落したのではなく、意図的に邸宅に激突したことが判明する。そこから新聞報道も敬称から呼び捨て(当時)に変わった。

操縦していたのは前野光保という29歳の青年である。「前野霜一郎」という芸名で26本の映画、4本のテレビドラマに出演し、プロダクションに籍を置くれっきとした俳優だったから世間は騒然となる。曽根中生や長谷川和彦といった、付き合いのあった映画監督もコメント寄せている。

なぜ、前野は児玉邸に突入したのだろう。

そもそも、前野とはどんな人物だったのか。

「お前はサムライだ」

前野光保は1946年、渋谷区笹塚の布団店の一人息子として生まれた。

軍隊帰りの父親は幼少期より「お前はサムライだ」と言って育てるが、厳しくしつけることはなく、「比較的遅い子もちのため甘やかした」(『週刊明星』1976年4月11日号)と述懐している。とはいえ、父親が34歳のときの初子である。いかに当時の結婚・出産事情が現代と乖離しているか、49歳独身(子無し)の筆者は愕然とする。

13歳のとき「劇団ひまわり」に入団。水谷豊の6年先輩となる。16歳で『目をつぶって突っ走れ』(監督・堀池清/日活)でデビュー。以降『交換日記』(監督・森永健次郎/日活)『現代っ子』(監督・中平康/日活)『あゝ青春の胸の血は』(監督・森永健次郎/日活)と立て続けに出演し、1964年三島由紀夫原作の『潮騒』(監督・森永健次郎/日活)では吉永小百合、浜田光夫という当代きってのスターと共演している。

しかし、アーカイブを眺めると、65年から2年間のブランクを作っている。実はこの時期、同じ劇団員の女性と結婚し、新婚旅行を兼ねて米国に留学していたのだ。渡航費と生活費はすべて前野の親が工面している。

カリフォルニア大学演劇科に入学、新婚生活のかたわら演劇の勉強に励んだ。──はずだったが、ヒッピーカルチャーにどっぷり浸かり、ドラッグとフリーセックスに沈溺する。帰国してすぐ離婚していることから「自由」の尊さを思い知ったのかもしれない。余談ながら、前妻は程なく女優としてデビューし、70年代に『木枯し紋次郎』『時間ですよ』などに端役として出演した黒沢のり子である。

ここまでの彼の半生を追って、軽飛行機で特攻しそうな要素はまるでない。ただし、物事に影響を受けやすい兆候は見られる。

事実、彼がその後「愛国者」となり「特攻」に至ったのは、映画『花の特攻隊 あゝ戦友よ』(監督・森永健次郎/日活)に出演したことが大きかったはずだ。

川内康範原作、杉良太郎、藤竜也主演の本作は、終戦間際の8月13日に、特攻兵器「桜花」に乗り込み敵艦に体当たりする若者たちを描いた戦争映画である。深層になんらかの意識を芽生えさせたのは間違いないだろう。

その証拠に、前野はこののち操縦士免許を取得するために、岡山の航空訓練所に入所している。全寮制、午前6時半起床、ジョギング、国旗掲揚、座学、訓練。夕食後も予・復習、午後10時消灯。──という軍隊並の生活に身を置いた結果、ヒッピー青年に軍人意識が憑依したのである。

同時に、右翼思想も身にまとうことになった。というのも、この寮にはある右翼団体の次男も寄宿しており、前野と親しい間柄となったのだ。事件後「前野と思想的な話はしたことがなかった」と彼は供述するが「あなたにそのつもりがなくても」と筆者は思う。

生まれ育った環境は馬鹿に出来ない。芸能一家を出自とするサラリーマンが、華やかな雰囲気を隠しようがないのと同じで、右翼を家業とする件の人物にとって「思想的な話」のレベルは他者より当然高かったはずだ。彼の挙措は前野に強い影響を与えたのではないか。

そして、前野にとって決定的だったのは、児玉誉士夫本人との出会いである。

1911年生まれの児玉誉士夫は、18歳で赤尾敏の主宰する「建国会」に入会。服役を繰り返しながら、戦時中は上海で児玉機関を創設。軍部と結びつくことで莫大な財を成した。フィクサーとしての原点である。

前野は銀座のバーで児玉と出会ったとある。「お前は面白い男だ」と言われ、舞い上がったのは当然だろう。感化されやすい青年にとって、何物にも代えがたい金言だったはずだ。

かくして“児玉信者”となった前野が「ロッキード事件」を境に「裏切られた」と言い始めるのも、愛憎の表裏一体を思えば、自然のなりゆきかもしれない。事件における児玉の立場は「国士」でもなければ「愛国者」ですらない。ロッキード社の走狗でしかないことは判然とするからだ。

しかし、これだけならよくある話ではないか。なぜ、自死せねばならなかったのか。

一面は火の海に

1976年3月23日。前野光保は日活撮影所から借り受けた旧日本軍の特攻服の衣装を身にまとい調布飛行場に向かった。

そこには三人の友人が待っていた。同じ大洋飛行クラブに属する操縦士と日活のカメラマン、美容師の男性である。

数日前に「今度特攻隊の映画を創ろうと思う。そこでスチール写真を撮りたい。一枚は飛行機をバックに。もう一枚は実際に操縦している様子を、飛行機に乗って撮ってほしい」と彼らに依頼しており、快く引き受けてくれたのだ。無論、特攻の件は明かさずにいた。

要求通り、搭乗前と操縦写真の二枚分を撮影した。その後、二機は編隊を組んでしばらく並んで飛行していたが、「しばらく世田谷方面を回ってから帰ります」と前野から無線で連絡があった。「了解」と応答した。

前野の操縦するパイパー機は、予告通り世田谷方面に現れ、等々力上空を旋回したのち、「天皇陛下万歳」の声が無線から響いた。

午前9時50分、前野の操縦するパイパー機は児玉誉士夫邸に急降下。あらかじめ調べた児玉の寝室に突っ込む予定だったが、手前の立木に引っ掛かり、南側のバルコニー付近に激突。一面は火の海となった。

二階に寝ていた児玉は、秘書の太刀川恒夫(現・東京スポーツ新聞社代表取締役会長)に背負われ、火が回る前に一階の仏間に避難。前述の通り家政婦以外けが人はいなかった。火は30分程度で消し止められ、被疑者死亡のまま、放火、殺人未遂、航空法違反で書類送検された。

筆者はこのとき四歳。当然まだ記憶になく、事件は後追いで知ったにすぎない。ただし、六歳上の知人にこの件を尋ねると「憶えているも何も、俺はこの事件で児玉誉士夫って名前を知ったんだもの」と返答した。

事実、本件は大きく報じられた。すべての一般紙は夕刊と翌日の朝刊の一面で伝え、週刊誌も『週刊明星』(1976年4月11日号)『週刊平凡』(1976年4月8日号)『サンデー毎日』(1976年4月11日号)『週刊ポスト』(1976年4月9日号)は前野光保の名前を表紙に躍らせた。

フリーライターの高鳥都は《それは14年の俳優人生において、もっとも注目された瞬間であった》(『ミリオンムック27 別冊裏歴史 昭和の不思議101 2019年夏の男祭号』)と書いた。確かにそうだ。

特攻の直前、例のスチール撮影を手伝った友人の美容師は「彼は役になりきることに陶酔して死んだ」(『週刊ポスト』1976年4月9日号)と断じ、生前の前野と親しい関係にあった映画監督の長谷川和彦は「彼のアドリブ力と行動力はすごい」(同)と婉曲に死に至った理由を述べている。

実はこの前夜、前野は友人の日活女優を車に乗せて、相談に乗ったことを『週刊現代』(1976年4月8日号)は聞き取っている。

「ポルノ女優と呼ばれるのは嫌なのよ」とこぼす彼女に前野はこう言ったという。

「人間は結果が大事なんだ。今、現在はそういうことをやっていても、人間は結果だ。結果がどうなるか、わかりゃしない」

  • 取材・文細田昌志

    ノンフィクション作家。1971年岡山市生まれ。鳥取市育ち。サムライTVキャスターをへて放送作家に転身。テレビやラジオを担当しながら、雑誌やWEBに寄稿。著書に『坂本龍馬はいなかった』(彩図社)、『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』(イースト新書)、『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)がある。

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