『徹子の部屋』Pが明かす「視聴者は知らない番組のウラ設定」 | FRIDAYデジタル

『徹子の部屋』Pが明かす「視聴者は知らない番組のウラ設定」

”ヨン様”にまつわる黒柳さんのお茶目なエピソードや、番組の知られざる設定も明らかに

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「黒柳徹子さんは日頃あまりゲストの希望をおっしゃらないんですが、かつて“どうしても会いたい”という強い希望で実現したゲストがひとりいらっしゃいます。それは韓流ドラマ『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンさんこと“ヨン様”です」

こう話すのは、テレビ朝日『徹子の部屋』の田原敦子プロデューサー。前編では、なぜ最近『徹子の部屋』が若者にも評判になるような「尖った演出」を連発できているのかなどについて語ってくれた。後編では、知られざる『徹子の部屋』のエピソードなどについて、田原Pのお話を紹介する。

『徹子の部屋』番組Pが明かす「トガった演出が増えた理由」【前編】

なんと今回、『徹子の部屋』のスタジオセットの裏側まで案内してくれた田原敦子プロデューサー。テレビには普段映らない、貴重な舞台裏だ
なんと今回、『徹子の部屋』のスタジオセットの裏側まで案内してくれた田原敦子プロデューサー。テレビには普段映らない、貴重な舞台裏だ

前編で紹介したように、現在は「大谷翔平選手や『愛の不時着』のヒョン・ビンさんに会いたい」と周囲に話しているという黒柳徹子さんだが、かつて「ご本人の強い希望」で『徹子の部屋』にぺ・ヨンジュンさんをゲストで呼んだことがあるという。2005年のことなので、まさに『冬ソナ人気』絶頂の頃だ。この時とても印象に残っていることが田原プロデューサーにはあるという。

田原P「あの時はヨン様人気がものすごかったので、収録の混乱を避けるために、楽屋にもぺ・ヨンジュンさんのお名前は書かないことにしました。といって何も書かないのは変なのでどうしようかと思っていると、徹子さんが『“永六輔様”って書いときましょう。永さんなら怒らないから』とおっしゃったので驚きました。

それで実際に、楽屋に“永六輔様”って書いて貼ったんです。『徹子の部屋』は3本撮りなので、どなたか覚えていませんが、残り2本のゲストの方おふたりは『あ、もう一本は永六輔さんなんだな』と思っていらっしゃったと思いますよ(笑)」

黒柳さんのお茶目な面が実によく現れているエピソードだが、田原さんは知られざるこんな話も教えてくれた。

田原P「実は『徹子の部屋』には場所の設定があるんです。“郊外の、お庭が散歩できるようなお部屋”ということになっています。だから部屋の後ろにあるお庭にも実際に出られるようになっていて、8月20日の角野卓造さんがゲストの回にはそこからハリセンボン春菜さんがサプライズ登場したわけです。

私としては“軽井沢”というイメージでスタジオを作ったのですが、徹子さんは『ここは箱根ね』とおっしゃっています。でも、箱根だったら富士山が見えないとおかしいですよね……(笑)」

8月20日の角野卓造さん回。よく見ると、お庭にサプライズゲストの『ハリセンボン』近藤春菜さんの姿が… 写真提供:テレビ朝日
8月20日の角野卓造さん回。よく見ると、お庭にサプライズゲストの『ハリセンボン』近藤春菜さんの姿が… 写真提供:テレビ朝日

果たして「軽井沢」か「箱根」か。みなさんも今度『徹子の部屋』を見るときには窓の外の景色にも注目して見てもらいたい。

さて、筆者はかつてテレビ朝日でニュース番組やワイドショーなどを制作していたが、実は田原プロデューサーに対していまだに感謝していることがある。それは、誰か有名人が結婚したり、お亡くなりになったりした時に、真夜中に田原さんの携帯に電話をしても必ず丁寧に対応してくれたことだ。

みなさんも気付いているかもしれないが、テレビ朝日のワイドショーやニュース番組では、「電撃結婚」や「突然の訃報」などの時にはほぼ必ず『徹子の部屋』の出演映像が流される。訃報の場合はまさに時間を選ばないから、時には真夜中にでも電話せざるを得ない。テレビ朝日の報道局関係者はみんな田原さんの携帯電話番号を知っていて、筆者も何回も真夜中に電話をしたことがあるのだ。

「本当に申し訳なかったと思うのですが、なぜ田原さんは嫌な顔ひとつせず真夜中の電話にも対応してくださるのですか?」と当時を思い返しながら筆者が聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

田原P「それは私もワイドショーのディレクターをしていたことがあるからです。現場の皆さんの置かれた状況がよくわかるから、ちゃんと対応しなければならないと思っていました。本当に休みの日でも真夜中でも容赦なく電話はかかってきますけどね(苦笑)」

田原敦子プロデューサーはテレビマンとしてのキャリアをワイドショーでスタートさせ、その後『世界の車窓から』などのプロデューサーも務めた。黒柳徹子さんが出演されるユニセフの特番のディレクターとしてアフリカなどに何度も同行したこともあり、その縁もあって『徹子の部屋』のプロデューサーに就任。19年間にわたって『徹子の部屋』のプロデューサーを務めている。番組が45周年だから、その半分近くは田原プロデューサーが制作したものと言ってよい。

そして田原さんの父親はジャーナリストの田原総一朗さんだ。筆者は田原プロデューサーとSNSでの交流があるのだが、いつも田原さんはお父さんの出演情報などを必ずシェアして宣伝している。「とても仲が良い親子だな」と常々感じていたので、「お父様と仲が良いですね」と聞いてみた。

田原P「親子ですもの。仲が良いのが当たり前じゃありませんか?(笑)私の母が早くに亡くなっているので、父は男手ひとつで私を育ててくれました。だから仲が良いのかもしれませんね。

毎日3〜4回は電話がかかってきますよ。毎日決まって朝の9時半に一回。お昼に二回。そして夜の10時半過ぎに一回かかってきます。私にはふたり妹がいるのですが、妹たちのところにも毎日電話していると思いますよ。

父は自分のことが大好きな人なので、毎回自分のことだけ報告して電話が切れます(笑)総理大臣にお会いしたりすると、自慢の電話がかかってきますね(笑)

ひょっとして世間では怖いイメージなんかがあるのかもしれませんが、家ではネズミのように小さくなっていますよ。誰かに悪口を言われたりすると、めちゃくちゃ気にして凹んでます。可愛いですよ(笑)」

テレビ朝日は田原総一朗さんに『サンデープロジェクト』『朝まで生テレビ』など長年大変お世話になっている。かつて局員だった私も田原総一朗さんには「仕事に厳しい、怖い人」というようなイメージを勝手に抱いていたが、田原プロデューサーは田原総一朗さんの別の一面というか、飾らぬ素顔を教えてくれて興味深かった。

最後に、田原プロデューサーにこう聞いてみた。「『徹子の部屋』で一番大切にしていることは何ですか。そして『徹子の部屋』はいつまで続くのですか」

田原P「『徹子の部屋』では、ゲストの方に意地悪な質問はしません。『良かった、今日来て』と思って帰って欲しいんです。離婚したばかりの方がいて、徹子さんが前の奥さんと仲が良かったとしても、その話は絶対に出さないです。

そして『徹子の部屋』は、徹子さんが『イヤ』っておっしゃるまで続きます。弊社の会長からも『社宝だから』と言われています。いつまでも続けていきたいです」

まさに『徹子の部屋』はテレビ朝日の宝と言って良いだろう。そして多分、日本のテレビ業界にとっても、掛け替えのない宝だと言えるのではないか。


【田原敦子プロデューサー:1986年テレビ朝日入社。ワイドショーやドキュメンタリー番組のディレクターを経て『世界の車窓から』などのプロデューサーを経験。現在は『徹子の部屋』を担当している。】

  • 取材・文鎮目博道/テレビプロデューサー・ライター

    92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教関連の取材を手がけた後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島取材やアメリカ同時多発テロなどを始め海外取材を多く手がける。また、ABEMAのサービス立ち上げに参画「AbemaPrime」、「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、放送番組のみならず、多メディアで活動。上智大学文学部新聞学科非常勤講師。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究、記事を執筆している。近著に『アクセス、登録が劇的に増える!「動画制作」プロの仕掛け52』(日本実業出版社)

  • 撮影安部まゆみ

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