千葉真一、田村正和…今年亡くなった「あの人たちの秘話」 | FRIDAYデジタル

千葉真一、田村正和…今年亡くなった「あの人たちの秘話」

今年も惜しまれながら多くの有名人がこの世を去った あの名優や名脇役、上方落語の重鎮に五輪金メダリストまで

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俳優 千葉真一 8月19日没 享年82

’18年に新橋(港区)の雑踏でポーズをとる千葉さん。男性として〝現役〟と語るなど、「千葉節」は健在だった

「’92年にウチの父が亡くなったとき、『俺のことを「オヤジ」と呼んでいいんだぞ』と言ってくれたんです。オヤジはかなり天然で、本当にかわい気のある人でした。オヤジが『今日はヤギ料理を食ってきた』とおっしゃったことがありました。どこをどう聞いてもジンギスカンなのに、オヤジはヤギだと言い張るのです。店の名前を問い質すと、それは羊料理専門店でした。自分でも間違いに気がついているのに、それでも頑として『ヤギだ』と言い張っていましたね」

そう語るのは若山富三郎の長男で、俳優の若山騎一郎氏(57)。千葉真一さんとは40年来の付き合いで、実の親子のような間柄だった。

「亡くなって1ヵ月ほど経ったとき、出るわけがないのに酔ってオヤジの携帯に電話をかけたんです。オヤジが生きているときは、電話がかかってくると『どうせろくでもない要件だろう(笑)』と思っていたのですが、いまになると、そんな電話がかかってこないのも本当に寂しい。亡くなってから、オヤジが出演している作品は毎日観ています」

千葉さんの雄姿は、多くの人の心に残っている。

俳優 田村正和 4月3日没 享年77

’18年4月、自宅周辺で直撃した際の田村さん。噛んで含めるような口調で、淡々と引退への思いを明かした

俳優・田村正和さんがこの世を去ったのは4月3日のこと。『眠狂四郎』『古畑任三郎』シリーズなど、数々の当たり役を演じたことはご存じの通りだ。そんな名優は’18年以降、事実上の「引退」状態にあった。’18年4月、その心境をFRIDAYだけにこう明かしていた。

「自分としてはもう十分にやったなと。『眠狂四郎』は20代で初めて出演して、40代、50代とやってきた。でも、(’18年)2月の『(眠狂四郎) The Final』では、完成前の試写を見て『これじゃダメだな』と痛感したんだ。オンエアを見る気にさえならなかった。自分にしかわからない、『これはもうアカンな』という感覚……」

FRIDAY記者が田村さんの姿が見られなくなることの寂しさを告げると「残念だけど、再放送を見てください。良い作品も悪い作品もあるけど……」と語っていた。

名優は自身の引き際を誰よりもよくわかっていた。

俳優 田中邦衛 3月24日没 享年88

ドラマ『北の国から』の撮影で北海道を訪れた際の一コマ。亡くなる数年前から体調不良説が囁(ささや)かれていた

『北の国から』の黒板五郎役で愛された田中邦衛さん。晩年親交を深めたフリーパーソナリティの荒井幸博氏(64)が素顔を明かす。

「普段の邦衛さんは、『五郎さん』をより知的にしたような、誰にでも気さくに接するおおらかな方でした。高倉健さんを心から尊敬し、特別な日には健さんから贈られた腕時計を必ずつけていました。健さんとの思い出を語る時のにこやかな顔が忘れられません」

国民的名脇役のあの笑顔がまた見たかった。

柔道家 古賀稔彦 3月24日没 享年53

’95年、世界柔道の決勝で一本勝ちをした古賀さん。これに先立ち’92年のバルセロナ五輪でも金メダルを獲得した

「’03年の世界選手権で3回戦で負けてしまった私に、古賀先生は翌日から一日に何度も電話をくれたんです。でも当時私はメンタルがドン底で、電話に出ることができなかった」

そう語るのは古賀稔彦(としひこ)さんの愛弟子で、アテネ五輪と北京五輪で金メダルを獲得した谷本歩実(あゆみ)氏(40)。

「2ヵ月後の講道館杯で優勝し、ようやく先生の電話がとれました。一切怒らず『よかった。また頑張っていこう』と言ってくれた」

名伯楽でもあった。

落語家 笑福亭仁鶴 8月17日没 享年84

’08年に『なんばグランド花月』の高座に上がった仁鶴さん。上方落語の古典『池田の猪買い』を十八番とした

「テレビやラジオのレギュラーを何本も抱えて多忙なのに、番組の出演者を自分の車で送ったりしていましたね。送り届けられた出演者の家族はびっくりしたと思いますよ(笑)」

そう語るのは芸能評論家・矢野誠一氏(86)。上方落語の重鎮、笑福亭仁鶴さんとの思い出を振り返る。

「世間の方はタレントのイメージが強いでしょう。しかし本人はずっと寄席を大事にしていました。『上方落語の灯を消さない』という気持ちからだと思います」

作曲家 小林亜星 5月30日没 享年88

作曲家としての顔だけでなく、『寺内貫太郎一家』などでの俳優業、歌手など活動の幅は極めて広かった

『北の宿から』などの作曲や、歌手、俳優など、マルチな活躍をした小林亜星さん。小林さんの友人である、バイオリニストの天満敦子氏(66)が語る。

「作曲家・小林亜星はものすごくエネルギーを持った人でした。奥様が話していましたが、一度頭にメロディーが浮かぶと自宅の書斎に籠もり、床一面に五線譜の紙が並ぶそうです。それに少し触っただけで、ものすごく怒られたと聞きました。いい意味で厳しく、いい意味で優しい人でした」

脚本家 橋田壽賀子 4月4日没 享年95

代表作は『おしん』『おんな太閤記』など枚挙に暇がない。写真は’19年に熱海の自宅で撮影されたもの

『渡る世間は鬼ばかり』などを生んだ、脚本家の橋田壽賀子さんも鬼籍に入った。『渡鬼』で小島五月(泉ピン子)の娘・愛を演じた女優の吉村涼氏(43)が語る。

「橋田先生は『家事をしながらでもストーリーがわかる作品であること』を大切にされていました。ときに説明のようなセリフがあったのはそのためだと思います。長くなると覚えるのが大変でしたが(笑)」

女性を描き続けた脚本家は、多忙な女性視聴者のことを第一に考えていた。

劇画家 さいとう・たかを 9月24日没 享年84

’08年、『ゴルゴ13』の40周年記念で本誌の取材に応じた。「ゴルゴは自分が一番苦手な作品」と語っていた

『ゴルゴ13』など、数々の名作を生んだ、さいとう・たかをさん。『巨人の星』の作画者である漫画家の川崎のぼる氏(80)が大阪のさいとうさんの実家に通っていたのは中学3年生の頃だ。

「5〜6人で同好会を作り、漫画の勉強をしていたんです。さいとうさんは19歳でしたが、当時から素晴らしい筆使いでした。Gペンを使って太く強い線から細い線まで自在に描く。昔からただものではありませんでした」

デザイナー ワダエミ 11月13日没 享年84

デザイナー ワダエミ 11月13日没 享年84

写真は’86年に黒澤明の『乱』で、日本人女性初となるアカデミー賞(衣装デザイン賞)を受賞した際のワダさん。チャン・イーモウ監督の『HERO』など、数多くの海外映画でも活躍した。

野球選手 大島康徳 6月30日没 享年70

野球選手 大島康徳 6月30日没 享年70

大分県立中津工業高校を経て、中日、日本ハムで活躍した。’17年にステージ4の大腸がんであることを公表。がん治療を受けながら、テレビで野球解説などの仕事を続けた。写真は’90年に史上25人目の通算2000安打を達成した際のもの。

作家・僧侶 瀬戸内寂聴 11月9日没 享年99

作家・僧侶 瀬戸内寂聴 11月9日没 享年99

恋愛を始めとする人の欲や業を見つめ続けた作家だった。終戦間もない’48年に家族を捨て、夫の教え子の文学青年と駆け落ちするなど、私生活の逸話は数知れない。隣は秘書の瀬尾まなほ氏(33)。

作家 半藤一利 1月12日没 享年90

作家 半藤一利 1月12日没 享年90

ベストセラーとなり、映画化もされた『日本のいちばん長い日』や『ノモンハンの夏』など、さまざまな著書がある昭和史研究の第一人者。’19年に本誌の取材に応じ、秋篠宮家の長男・悠仁さまのご進講役を務めた際の詳細を明かしていた。

作曲家 すぎやまこういち 9月30日没 享年90

『ドラゴンクエスト』シリーズなどの数々のゲーム音楽を手掛けた。写真は’13年に自宅で本誌のインタビューに答えたときのもの。「最近は自分のことより日本のこれからを考えるようになった」と語っていた。

歌舞伎役者 中村吉右衛門 11月28日没 享年77

歌舞伎役者 中村吉右衛門 11月28日没 享年77

八代目松本幸四郎の次男として生まれ、4歳で初代中村吉右衛門の養子となる。『勧進帳』の弁慶役など、当たり役は多数ある。歌舞伎以外にも、ドラマ『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵役などでお茶の間の人気を呼んだ。死因は心不全だった。

『FRIDAY』2021年12月31日号より

  • PHOTO小松寛之 足立百合 産経ビジュアル 眞野公一 共同通信社 香川貴宏 アフロ 鬼怒川 毅 原 一平 朝日新聞社

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