円楽さんの突然の死去に…自宅に弔問に駆けつけた「納得の面々」 | FRIDAYデジタル

円楽さんの突然の死去に…自宅に弔問に駆けつけた「納得の面々」

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興行先の新潟から駆けつけた林家たい平の目は充血し、報道陣の問いかけにも言葉を詰まらせた
興行先の新潟から駆けつけた林家たい平の目は充血し、報道陣の問いかけにも言葉を詰まらせた

9月30日、落語家の六代目三遊亭円楽さん(享年72)が肺がんのため亡くなった。その夜から、東京都内の自宅には多くの弔問客が訪れた。その中の一人、『笑点』メンバーの三遊亭好楽(76)は、午後8時過ぎに訪れ、玄関先で円楽さんの弟子を抱きしめた。30分の滞在の後、出てきた好楽が報道陣に対して言葉を発することはなかったが、『笑点』(日本テレビ系)を通じてコメントを発表。

「先程会ってきました。いい顔してました。開口一番は『なんで俺より先に逝くんだ』でした。俺より四つも若いんだよ。早すぎるよ」

と、円楽さんの早すぎる死への無念の思いを綴った。同じく『笑点』メンバーの落語家・林家たい平(57)は、30日、自身のブログに、

「師匠と出会えた私は幸せ者です。笑点の林たい平を育てて下さいました。円楽っち!もう一度会いたいです」

努めて明るく、このように綴っていたが、翌1日に新潟県魚沼市で行われた『魚沼寄席2022 たい平・菊丸東西林家二人会』を終え、その足で大きなキャリーバッグを引き、円楽さん宅に直行。しばらくして出てきた時には目を真っ赤に腫らし、報道陣の問いかけに対して、

「もう、言葉が出なくて…すみません」

とだけ言葉を絞り出した。

その他にも、弟子でタレントの伊集院光(54)や長年親交のあったプロレスラーのウルティモ・ドラゴン(55)も訪れ、故人との別れを惜しんだ。

「師匠は大のプロレスファンで、1990年に天龍さん(72)が全日本を離脱し、’92年に自身の団体『WAR』を立ち上げると、ウルティモ・ドラゴンさんを筆頭とした若いプロレスラーを自宅に泊めてあげたりしてよく面倒を見ていたそうです。とにかく人と一緒にいることが大好きで、2018年に退院した後も体調は戻らず、いつも苦しそうにしていましたが、寄席終わりの打ち上げには必ず最初から最後までいました。座布団を布団のように敷いて、ずっと寝ているんです。『師匠、大丈夫ですか?』と声をかけると『俺は大丈夫だから』って、いつも笑っていました」(若手落語家の一人)

どんなに体調が悪くても、宴席で仲間との時間を好んだという円楽さん。今も、仲間たちの訪問をさぞかし喜んでいるに違いない。

 

亡くなった当日の夜に駆けつけた三遊亭好楽。報道陣の問いかけにも無言を貫いた
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10月1日に弔問に訪れた伊集院光もその表情は固く、言葉を発することはなかった
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円楽さんの弟子の三遊亭五九楽(ごくらく)
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  • PHOTO結束武郎

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