【22年墓碑銘】「落語やりながら死ぬのが一番なんだ」肺がんで亡くなった円楽さんが語っていた本音 | FRIDAYデジタル

【22年墓碑銘】「落語やりながら死ぬのが一番なんだ」肺がんで亡くなった円楽さんが語っていた本音

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’18年、肺がん手術から復帰。自宅前で本誌の単独インタビューに応じる師匠。記者が花束を渡すと、「ありがとう」と言い笑顔を見せた
’18年、肺がん手術から復帰。自宅前で本誌の単独インタビューに応じる師匠。記者が花束を渡すと、「ありがとう」と言い笑顔を見せた

9月30日、肺がんのため六代目三遊亭円楽さんが亡くなった。74歳だった。

‘18年に初期の肺がんであることを公表してからというもの、そこからの4年間はまさに病との戦いだった。それでも、円楽さんは不死鳥のように蘇り、『笑点』(日本テレビ系)に元気な姿を見せ、高座にも上がり続け最後まで〝毒舌″キャラクターを貫き通した。

18年10月、肺がん手術からわずか一週間で高座復帰した円楽さんに本誌が直撃すると、

「本当は病気のことなんて言うの嫌なんだよ。何が奮闘記だ。俺は落語やりながら死ぬのが一番なんだ」

そう冗談めかして答えてくれた。翌年には検査で脳腫瘍が見つかり、三週間の入院治療を行うが、ひと月後には高座に復帰。『笑点』で長年、名物だった毒舌の掛け合いの相手、桂歌丸(’18年に逝去)さんに触れ、

きっと(病気は歌丸さんが)教えてくれたんじゃない?『まだこっちに来ちゃいけねえよ』って。(天国に)呼ぼうとしたんだったら、ただじゃおかねえぞ」

と愛のある毒を吐いた。’22年1月に今度は脳梗塞で入院。既往症である肺がんの経過観察・治療のため入院生活が延び、5月にようやく退院した。7月、五代目圓楽一門のイベント『三遊まつり』に参加。約半年ぶりに報道陣の前に姿を現すと、

「残念でした。生きてるよ。まだ死んでねえよ!」

そう言い放った。

8月に7ヶ月ぶりに高座に復帰し、

ここまで帰ってきました。みっともなくていいから死ぬまでやります」

と涙ながら話した上で、

「ICUから3度目の帰還です。みんな歌丸が悪いんだ」

と恒例の歌丸さんに触れ、入院中観ていたテレビ番組の話題になると、

「見ていて面白くないのが『笑点』だ」

と毒舌を吐きまくり、会場が大きな笑いに包まれた。結局、この高座が最後の公の場となった。1977年に三遊亭楽太郎としてメンバーになり、今年の1月までの45年間レギュラーを務めた円楽さん。’18年に歌丸さんが亡くなった際には、涙ぐみながら、

「早過ぎんだよジジイ」

とキャラ全開で追悼したが、残された『笑点』メンバー全員がその言葉をまるまる円楽さんに送ったことは想像に難くない。円楽さん安らかに。

7月22日。取材に応じた圓楽(右)と三遊亭好楽。「(俺を)世間が欲してるんでしょ?」とおどけた
7月22日。取材に応じた圓楽(右)と三遊亭好楽。「(俺を)世間が欲してるんでしょ?」とおどけた
  • 写真川上孝夫、小河内孝行

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