【22年墓碑銘】追悼・仲本工事さん ”脇役”コメディアンが残した「まったく地味じゃない」功績 | FRIDAYデジタル

【22年墓碑銘】追悼・仲本工事さん ”脇役”コメディアンが残した「まったく地味じゃない」功績

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トレードマークの黒縁メガネには度が入っておらず、キャラクター作りのためだった
トレードマークの黒縁メガネには度が入っておらず、キャラクター作りのためだった

10月19日、昭和のスーパースター『ドリフターズ』の仲本工事さん(享年81)が亡くなった。前日の18日、神奈川県横浜市西区の信号のない交差点でワゴン車にはねられ頭を強く打ち、急性硬膜下血腫が直接の死因となった。仲本さんの死後、’12年に3度目の結婚をした27歳年下の演歌歌手・純歌さんとの〝別居説″や〝ゴミ屋敷の中で孤独な生活を強いられていた″といった話ばかりが取り上げられているが、忘れてはならないのは仲本さんが芸能界に残した功績だ。

「仲本さんは、体操のコントを成立させた最初の芸能人でした。1969年にスタートした『8時だよ!全員集合!!』(TBS系)で、器械体操の経験を活かした完璧なバク転を披露しながらズッコケ、最後は力こぶを作って『ハイ、ポーズ!』 お茶の間の子供たちはみんな真似をしました」(民放バラエティ番組制作関係者)

都立青山高校出身の文武両道で、体操選手としても将来を嘱望される逸材だった。しかし、進学した学習院大学に体操部がなかったことからギターを独学で学ぶようになり、たまたま入ったジャズ喫茶で、飛び入りで歌ったことがきっかけでジャズバンドに加入。そのバンドのドラムが加藤茶(79)だった。1966年、日本武道館で開催されたビートルズのコンサートの前座を務めたドリフターズ。そのリードボーカルを務めたのも仲本さんである。しかし、ドリフターズがコメディアンになってからは、一貫して脇役に徹した。

「仲本さん一人で演じ、セリフを一言も喋らないサイレントコントは語り草になるほどでした。でも、仲本さんがメインを張ったコントはこれくらいで、いかりや長介さん、高木ブー(89)と共に登場した『雷様』コントや、志村けんさんとのジャンケンで負けた方が罰ゲームを受ける『ジャンケン決闘』。そして、体操でも、最後は必ずゲストタレントに花を持たせる。どんな場面でも主役を引き立てる脇役に徹していました」(民放バラエティ番組放送作家)

純歌さんと結婚後、デュエット曲をリリースしたり、YouTubeデビューも果たしたが、あくまで純歌さんの脇役に徹していた。そんな生活が仲本さんには心地よかったに違いない。

ドリフのコントは仲本さん無くして成立しなかったが、ドリフのメンバーはとうとう加藤茶と高木ブーの二人だけになってしまった。そう思うと、なおさら悲しみは募るのである。

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