元日本代表HCエディ・ジョーンズの「キケン」すぎる逸話 | FRIDAYデジタル

元日本代表HCエディ・ジョーンズの「キケン」すぎる逸話

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

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エディ・ジョーンズがヘッドコーチを務めるイングランドのW杯初戦は9月22日、札幌での対トンガ。フランス、アルゼンチン、米国と同組だ。 写真/アフロ
エディ・ジョーンズがヘッドコーチを務めるイングランドのW杯初戦は9月22日、札幌での対トンガ。フランス、アルゼンチン、米国と同組だ。 写真/アフロ

虎のように獰猛

その「お湯」はいつだって「熱湯」だ。

元日本代表HC(ヘッドコーチ)で現在はイングランドを率いるエディ・ジョーンズはこの4月中旬、指導者向けの講習会を兵庫と東京で開いた。そこでコーチングの要諦を明かしている。

「ティーバッグは、お湯につけて初めておいしいお茶かどうかがわかりますよね。これは選手も同じ。その選手の本当の能力は、ストレスをかけないとわかりません」(『ラグビーマガジン』)

昨年の11月、オーストラリアの出版社より評伝が発行された。ブリスベンの新聞記者、マイク・コールマンが、本人や関係者の証言を集めて「簡単な理解を拒む」コーチの半生を綴った。

書名は『Eddie Jones: Rugby Maverick』。マベリック。冒頭に語義が示されている。「独自の方法で考え、動き、しばしば予測や常識とは異なるふるまいをする」。電子版のページを辞書機能フル稼働で繰るたび「キケン! 高温注意」の逸話が次々と目に飛び込んでくる(カギカッコ内は同書より)。

一例。後年の世界的コーチは若き日、小柄なフッカーとして、勤勉さ、ゲームの読みの鋭さ、そして容赦知らずの口汚さで知られていた。試合中、のべつ舌と喉で噛みつく。

日系の血を引くため、人種差別とも無縁ではなかった。からかわれると、すかさず反撃を加えた。ニュー・サウス・ウェールズ代表の一員で、クインズランドとの伝統の対抗戦に出場、向こうのプロップが「中国人」と蔑む調子で叫んだ。毒舌出動!

「お前、バカか。中国人と日本人の違いもわからないなんて」

本稿筆者は過去に複数回のインタビューをした。米国育ちの日系の母が、駐留英連邦軍の父テッドと日本で出会ったところまでは確かめられていた。前掲書で細部がわかった。

母親のネリーは広島の江田島の駐留軍オフィスで通訳をしていた。その父はカリフォルニアに移住、サクラメント渓谷で果樹園を営むも、日米開戦で、日系人キャンプに強制収容された。いま59歳のエディが9歳、父親のテッドはベトナムに派遣されていた。シドニー南東のリトル・ベイの自宅。近くの退役軍人組織が海外駐留者の家族の芝刈りの手助けをしてくれる。ところが玄関の戸を開けて母が顔を出すと「あなたのところはできない」と引き返した。

富裕層の集う私学が中心のラグビー界にあって、とても豊かとはいえない地域の公立校で楕円球を追った。近隣の有名クラブ、ランドウィックに入ると、やがて1軍に選ばれた。当時の体格は「162㎝・80㎏」。ひどく小さい。国代表のワラビーズにはとうとう届かなかった。ただし実力は認められていた。

「虎のように獰猛なフッカー」とクラブ史にある。密集で大男の隙間に巧みに入り込んで「ビーバー」と同僚たちには呼ばれた。虎の気質の小動物はマベリック、群れを外れたウルフでもあった。

戦略家、寛容を許さず

日本人である妻と出会ったシドニーのインターナショナル・グラマー校の教職を辞し、コーチングの世界へ。そこからの成否は激しく動く。

ブランビーズでの成功(2001年、スーパーラグビー優勝)。ワラビーズを指揮して母国のワールドカップで準優勝(’03年)。同代表監督解任(’05年、最後の9試合に8敗)、レッズでの挫折(’07年、スーパーラグビー最下位)。南アフリカ代表スプリングボクスの「監督補佐」でワールドカップ制覇(同年)。イングランドのサラセンズでは契約期間途中に辞任(’09年)。

鋭い戦略家。ときに「165日」も休まずに働くワーカホリック。若者の資質を見抜き、伸ばし、停滞していたチームをたちまち立て直す。他方、公衆の面前で選手やスタッフを叱り飛ばしては人心が離れ、一定の時間を経ると戦績は下降した。

救ったのは日本なのかもしれない。サントリーサンゴリアスでトップリーグ制覇(’12年度)、’15年のワールドカップ、ジャパンをスプリングボクスに勝たせた。

「日本の選手は服従した。権威を敬い、疑いなく指示に従う。オーストラリアとは異なり協会の上層部も恭順の意を示そうとした」

長期拘束。早朝5時からの練習。「強国ではためらわれる実験的練習」を認められた。過去のいくつかの失敗は問われず「クリーンな経歴」で再出発できた。

結果は出た。イングランド代表の監督へ。

3年前のふたつの発言がある。

元ワラビーズのフィル・カーンズはエディのイングランドについて見立てを述べた。

「2~3年のタームではめざましい成功。大いなる疑問はそのあとだ」。最初の23戦に22勝。しかし昨年の6ヵ国対抗では5位に沈む。本年もウェールズに敗れ、大量リードを守れずにスコットランドと引き分けた。

もうひとつ。エディ自身がオーストラリアの記者に明かしている。

「私の最大の弱みは他者への寛容を欠くことだ。自分と同じようにできないと許せない。(略)でも過去よりはずっとよくなった」

どちらが当たっているのか。9月開幕のワールドカップのスコアボードのみが答えだ。

 

※この記事は週刊現代2019年5月25日号に掲載された連載『ラグビー 男たちの肖像』を転載したものです。

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  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『スポーツ発熱地図』(ポプラ社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)など

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