『ノーサイド・ゲーム』最終回 決戦を左右する浜畑、里村の実話 | FRIDAYデジタル

『ノーサイド・ゲーム』最終回 決戦を左右する浜畑、里村の実話

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大泉洋が演じる君嶋GM(手前)に反抗的な態度をとる浜畑譲(提供:TBS)
大泉洋が演じる君嶋GM(手前)に反抗的な態度をとる浜畑譲(提供:TBS)

社会人ラグビーの現状を題材にしたTBSの日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』が15日に最終回を迎える。主人公は、大泉洋が演じる君嶋隼人。大手自動車メーカー「トキワ自動車」で、エリート社員から左遷されたサラリーマンが、低迷するラグビー部のGMに就任し、再起を目指す物語だ。ラグビー部「アストロズ」の指令塔をつとめる浜畑譲を演じる廣瀬俊朗氏は、前回2015年ワールドカップ(W杯)の日本代表で、リーチマイケルの前任の主将だった。

「30年ラグビーをやりましたが、廣瀬の名前は浜畑に2日(2回分の放送)で負けましたよ(笑)。ドラマの反響や影響力の大きさを感じましたし、見ていただけているということなのでありがたいですね」

演技経験がほとんどない廣瀬が、どうして配役されたのか。

「慶応大ラグビー部の先輩、(演出の)福澤克雄さんから3月に声をかけていただきましたが、そのときは、ラグビーのシーンがリアルかどうかを見る監修のお話でした。その後、流れの中で読み合わせに交じることになり、やってみたら『OKだ』と。どんどん巻き込まれて(笑)。第1話でミーティングの最後に『やってられるか!』と声を荒げるシーンがあるのですが、実はそのひと言だけで7~8回は撮り直しました。僕はもともと、声を荒げるタイプではないから、難しかったですね」

俳優としては素人の自分を受け入れ、周囲のプロの俳優と同等に演じなければいけないプレッシャーとどう向き合ってきたのだろうか。

「そこは開き直りですね。一生懸命やらせていただいてますが、ただ任命したのは僕じゃない、福澤さんだと。その開き直りは、ラグビーで鍛えられたんです。ノーサイド・ゲームの現場もきつかったけど、現実もそれ以上にキツかったですから」

2009年、東芝の部員の不祥事で部を代表して頭を下げ続けた廣瀬俊朗(左)
2009年、東芝の部員の不祥事で部を代表して頭を下げ続けた廣瀬俊朗(左)

慶大から東芝に入社。しかし2009年、部員がドーピング検査で陽性反応が出る不祥事が発覚し、廃部の危機に陥った時、廣瀬は主将だった。部員を代表して関係各所やメディアに頭を下げ続け、何とか存続にこぎつけた。2012年からはエディ・ジョーンズ監督率いる日本代表でも主将をつとめ、リーダーに厳しいエディ氏からプレッシャーを受け続けた。廣瀬が続ける。

「主将は、監督と選手の間に立ってどうやって全体を最適化できるかを担うのが仕事です。お互いの主張を見てうまくバランスをとることが必要なんですが、誰を信じていいかわからなくなったことも実際、ありましたね」

チームのために身も心も砕く経験を乗り越えた廣瀬は日本代表に選ばれたものの、W杯では南アフリカ戦をはじめ、1試合も出られなかった。

「第7話で、アストロズにいる僕がサイクロンズから移籍を持ちかけられた時、サイクロンズの監督役を演じた渡辺裕之さんから『歴史的勝利をあげた南アフリカ戦、ベンチで見ていて悔しかっただろう?』と口説かれるシーンがありました。最初、脚本の台詞には無かったんですが、福澤さんが加えてくれたんです。まさに僕自身のことだったので、感情がぐっと入りました。
日曜劇場は『月曜日からまた頑張りましょう』というメッセージがあり、W杯の前に放映されるという大義があったので、何とかやってこられました。他の企業スポーツにも『コストをおとせ』と言われていることがいっぱいあると思うし、これからもドラマと重ねられる部分もあると思います」

里村亮太を演じる佳久創(左)。父の郭源治さん(中央)や双子の耀さん(右)と会食した時の一コマ(郭源治さん提供)
里村亮太を演じる佳久創(左)。父の郭源治さん(中央)や双子の耀さん(右)と会食した時の一コマ(郭源治さん提供)

第7話でサイクロンズの引き抜きに対し、浜畑は残留したが、日本代表として描かれた里村亮太は移籍した。里村役の佳久創は、プロ野球・中日で守護神として活躍した郭源治さんの息子。中学の途中まで野球をしていたが、同3年からラグビーをはじめ、愛知高校から名門・明大ラグビー部を経て2013年にトヨタ自動車に入社した。

俊足と父親譲りのバネを生かし、7人制の日本代表にも選ばれた快足選手だったが、ひざのじん帯断裂など度重なるけがの影響で、本来の力を出せる状態に戻らず。わずか2年で引退を余儀なくされた。トヨタ関係者が明かす。

「毎年行う部の納会で、引退する人はみんなの前で一言、挨拶するんですが、佳久は『ケガ』と言った後、絶句してね……。普通、大卒選手の場合4年は在籍するんですが、2年しかいられなかったので、佳久は悔しかったと思います」

佳久は引退後、1年間、社業に専念し、2017年に退社。役者の道にすすんだ。ラグビーを引退してからすぐに俳優の道に進まなかったのは、父・源治さんの言葉と無縁ではない。現在、台湾で生活する源治さんが明かす。

「僕は子供たちに自分たちの望む道を歩んでほしいので、『こうしなさい』と言ったことはありません。でもトヨタを辞めて俳優の学校に入りたい、と言ってきたとき、『俳優をやりたいんだったら、まず最初の舞台はトヨタじゃないか』と言いました。一般の人にまじって朝早く会社に行って、夜遅くまで働く。アスリートはいつも鼻高々で、芸能人もそうなる可能性がある。でも、地味かもしれないけど会社を支えるような仕事をすれば、会社で働く人たちの気持ちも奥まで理解して演じることができると思ったんです」

佳久創は現役時代と違うSHを演じたが、身のこなしは一流アスリートだった(提供:TBS)
佳久創は現役時代と違うSHを演じたが、身のこなしは一流アスリートだった(提供:TBS)

源治さんは1981年に来日。言葉が理解できなくても通訳はつかず、チームメートから冷やかされた悔しさをバネに言葉を覚え、日本球界で通算106勝、116セーブをあげた。かつての闘志あふれる守護神は、息子をどんな気持ちで見守っているのだろうか。

「実は彼が膝を折られるケガをした瞬間の動画を見て、ウワッと驚いたんだけど、手術後に息子が『またやる』と言ってきたとき、強いなって思ったね。彼は自分で何かを乗り越えたいみたい。今はラグビーをやっていた頃の(けがに対する)怖さはもうないんだから『やればできる』という気持ちしかないよ」

移籍した里村が順当に勝つのか、残留した浜畑が花を持つのか。『ノーサイド・ゲーム』のリアル感のかげには、彼ら2人が実生活で乗り越えてきた苦闘がある。

2013年、廣瀬俊朗はウェールズ代表を撃破した後、当時の日本代表・エディ・ジョーンズ監督と喜びを分かち合った(アフロ)
2013年、廣瀬俊朗はウェールズ代表を撃破した後、当時の日本代表・エディ・ジョーンズ監督と喜びを分かち合った(アフロ)

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