柳裕也・中日ドラゴンズのドラ1 3年目に覚醒した理由
腕の振り、フォームを変えて「ボールが遅くても勝てる」
球速が遅くてもキレのある「ストレート」の正体
「シーズンが始まる前と今、見えている世界は全然違いますね。正直、こんなに勝てるとは思ってなかったです(笑)。
プロになっての1~2年目は、1シーズン、フルに投げたこともなければ、1試合フルイニング投げたこともほとんどなかったので、今の状態が自分にとってどれぐらいなのか、よくわからないんです。たとえば、前半が終わるまでにこれだけは達成しておきたいとか、何月までに何勝しておきたいとか、そういうのを考えたこともなかったので。
20勝!? いやいや、それはちょっと無理です。でも、とにかく一つでも多く勝ちたい。それだけです」
穏やかな笑顔で話すのは、中日ドラゴンズの若きエース、柳裕也(25)だ。’17年、明治大学からドラフト1位で入団した柳は、当時「10勝以上確実」と言われながら、2年間で3勝のみにとどまった。それが、今シーズンは前半戦で9勝を挙げるなど、その活躍ぶりは、まさに”覚醒”という言葉がふさわしい。
昨年までと何が違うのだろうか。
「やっぱり、ストレートの出来だと思います。過去2年間は、肩の怪我の影響もあって、自分のストレートが投げられていない、という感覚がずっとありました。そのせいで、バッターに対してかわしにいってしまい、変化球が多くなったし、ストレートを投げても、恐る恐るだった。実を言うと開幕当初はまだ不安だったんですが、『とにかくストレートは思い切り投げよう』と、それは心に決めてました」
大学時代の柳は、140キロ台だが伸びのいいストレートとカーブの組み立てが持ち味だった。ドラフト直前には「球速は130キロでも140キロでもいいんです。球のキレで勝負したい」と答えている。
「正直、ドラ1で選ばれて、『プロでも通用するだろう』って甘く考えてた部分がありました。だけどキレだけでは、そううまくはいかなかった。ストレートを打者に意識させられないと、いくら良い変化球があっても、プロでは通用しない。できない自分を受け入れ、全部やり直しです
まず身体を大きくしたんですけど、大きくしたての頃は、ぶよ~んとしちゃった感じでした。それなりに締まってきたのは最近で、それまでよくわかってなかった”身体のキレ”を感じることができるようになりました。
あと、投げる時の腕の位置を少し下げたんです。これは感覚的な問題で、たぶん端(はた)から見てもほとんどわからないと思います。去年までは、ストレートの球速を上げるために上からかぶせるように投げていた。球速を気にして身体を縦に使おうとしすぎてたんですね。ですが、オフシーズンの時に、自分が腕を一番振れるのはどういう時なのか、キャッチボールの仕方から考えてみた。斜めの軸を意識してみたら、それがうまくいったんです」
グローブに〈母への恩返し〉
そして今シーズン、柳は投球動作を二段モーションに変えた。ベテランの吉見一起と共に行った自主トレで体幹を強化した結果、しっかりと片足で立てるようになったという。重心が前に乗った、重い球が投げられるようになったことで、球速は140キロ台でも、持ち味のストレートが大学時代より、さらに力強く蘇った。
「この3年間、いいと言われたことはなんでも取り入れて、できることはすべてやったと思うんです。どれがよかったかは、焦って決めないようにしてました。それがかえってよかったのかもしれない。
もちろん、1~2年目のあの情けなさっていうのが、今の原動力になっているのは間違いありません。今となってみれば、入団時の甘い考えのまま中途半端に通用しなくてよかった。今では『あんな思いは絶対にしたくない。必ず自分がチームを勝たせる』と強い気持ちでマウンドに上がっています」
アマチュア時代の柳は、グローブに〈母への恩返し〉と刺繍していた。柳は12歳の時、交通事故によって父を亡くし、母の女手一つで育てられていたからだ。ドラフトの時には、その感動エピソードが繰り返し報じられた。
「母は今も頻繁に試合を見に来てくれていますけど、恩返しができたなんてレベルには今の自分はまだ達してません」
今のグローブには、自分の名前が刺繍してあるだけだという。その名が野球ファンの記憶にしっかり刻まれるかどうか。すべてはこれからだ。
『FRIDAY』2019年8月2日号より
- 撮影:平古直樹