「ジャパンは強くなった」ラグビー日本代表が強豪を破るまでの軌跡 | FRIDAYデジタル

「ジャパンは強くなった」ラグビー日本代表が強豪を破るまでの軌跡

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

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9月28日アイルランド代表に打ち勝ち、歴史を変えた日本代表
9月28日アイルランド代表に打ち勝ち、歴史を変えた日本代表

直前の大敗を経て

ジャパン、白星発進。ワールドカップ日本大会、20日の金曜夜、ロシアとの開幕戦は、きっと、いや、必ずそうなる。と、結果を知る前に書き始められるのが、長くラグビーを追ってきた身にはうれしい。

1987年の第1回大会から振り返って「ジャパンがはっきり有利」と開幕前に断定できる試合はこれが初めてだ。過去、米国やカナダには「やや優勢か」の見立ても場合によっては許されたが、まずは互角の範疇だった。’91年、大会最多9トライで完勝(52対8)のジンバブエさえ対戦前の国際的な評価では同格であった。

ジャパンは強くなった。

9月6日。優勝候補の南アフリカ代表スプリングボクスと本大会前の「最終リハーサル」で対戦、7対41の大敗を喫した。

体をぶつけるコンタクトで劣勢。ジャパンの身上の短いパスで崩す攻撃もディフェンスの壁に穴を開けられず、重いタックルが地面と平行に降り注ぐので、圧力を避ける心理はついふくらみ、やがて逃げるような長いパスが増えた。本番に備え「手の内を隠す」必要もあって攻め込んで仕留めきれず、小さなミスでインゴールを明け渡した。

世界のトップ級とは力の差がある。半分は正しい。しかし、あとの半分はこうだ。世界のトップ級との力の差は縮まった。

こんなにうまく運ばなかったジャパンが、ベストの布陣で気迫をたたえたスプリングボクスとこれくらいは戦える。

南アフリカを率いる知将、ラッシー・エラスマスHC(ヘッドコーチ)の勝利後の一言は外交辞令でなく本心に聞こえた。

「スコアボードは実力を表していない」

同感だ。ジャパンの出来が悪かったので、かえって「強くなったなあ」と思えた。

ジャパンのジェイミー・ジョセフHCのコメントも強がりではあるまい。「本当にいい準備となった」。残り7分まで7対27とゲームは壊れていない。勝って反省を理想とするなら、不出来にも崩れなかった敗北は「修正可能ランク」の次点かもしれない。

ジャパンは強くなった。しかしワールドカップは甘くない。でもジャパンは強くなった。予想を聞かれるたび、この順番を繰り返してきた。他にうまく表現できない。

ジェイミー・ジョセフ体制の戦績は順調である。3年前、敵地でウェールズに惜敗(30対33)。2年前、アウェーでフランスと引き分けた(23対23)。昨年11月はロンドンのトゥイッケナム競技場でイングランドと対戦、15対10と前半をリードした(15対35)。本年もフィジー、トンガに文句なしの快勝(34対21、41対7)を遂げている。フェアな観点で歴代最強と評価できる。ただし、その分、大会突入後の「大化け」の余地はあまりない。

闘争の堆積を糧に

前回大会の前、エディ・ジョーンズHCによる長期の猛練習、厳格な管理、面罵をためらわぬ怒りの数々に選手の心身は疲弊していた。すると開幕が近づいたところで、ジョーンズHCのワールドカップ限りでの辞任が明らかとなる。おしまいがわかった。空気の通りがよくなる。後日、パナソニックのチーム関係者は解説した。「反動で天井まで届いた」。選手の自主性が動き始めた。緻密にして妥協知らずの指導の蓄積が解き放たれた。外の目には「大化け」と映った。

今大会は順調な流れに沿って臨む。選手の自発的リーダーシップも尊重されてきた。ここからプール戦で当たるアイルランド、スコットランド、サモアが開幕前のキャンプにおいてどのくらい結束を高めたか。結果、「強くなったジャパン」という線よりもまだまだ上か、同じくらいか、下なのか。それがいまの構図だ。

勝ち抜けて、もはや事件ではない。9月9日発表のランキングで世界1位のアイルランド、同7位のスコットランドにいくばくかの点差で負けてもまた事件ではない。ジャパンの現在地はそのあたりにある。

1930年。89年前、始祖であるジャパンがカナダへ遠征した。6勝1分け。栄えある一員、台湾出身で早稲田大学の名センター、故・柯子彰さんが21年前、台北で思い出を語った。「百貨店のウインドウに日本代表のジャージィが飾られましたよ。最初、もし弱かったら子どもがいじめられると在留邦人は喜ばなかった。でも強いでしょう。途中から大歓迎」。大切に保存されたカナダの新聞の切り抜きに「右に左にパスを回し」とあった。

1968年。ジャパン、ニュージーランド遠征でオールブラックス・ジュニアを破る。当時のロックの小笠原博さんは4年前、屋久島の自宅で言った。「遠征中は仕事をしなくていい。毎日、ホームステイ先で肉が食べられる。日本では食ったことないもの。安月給で」。78㎏の体重が90㎏に増えた。不思議なことに帰国後もずっと落ちなかった。’71年9月、近鉄のモンスターはイングランドのモールをカチ割り、球をひったくるや、そのまま敵陣へ斬り込んだ。流血辞さず。すべてを出し尽くし、国際試合の直後によく倒れた。

昔話と未来が結ばれる。あいだをつなぐのは人間の普遍。それがラグビーだ。先人の血みどろ(小笠原博!)の闘争の堆積が現在の境地をもたらした。2019年のジャパンはいい勝負をする。

※週刊現代2019年9月28日号(9月20日発売)より

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  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『スポーツ発熱地図』(ポプラ社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)など

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